第7話
「おい、空山。俺を覚えているだろう。黄大仙の弟子、蒼真月だ。俺が人界へ下り、おまえの話を耳にした以上、戻る時だ。お前のような力のある剣が人の口に上るようでは危なっかしくてかなわん。さあ、俺と一緒に来い」
そう俺は目の前の宝剣、裂空破山の剣こと空山へ声をかけた。
水気に声を乗せる術を知れば、水中であっても言葉を交わすことなど容易い。
『なんだ、小坊主じゃないか。あいつめ、時が来れば迎えに来ると言いながら横着をしたな』
剣のまま、空山は不機嫌な声を発する。
この様子だと、師父が迎えに来てくれるのを心待ちにしていたに違いない。
師父は誰が迎えに行くかは明言していないようだから俺が使いとして来ても約束破りにはならないが、空山は明らかに不貞腐れている。
果てしなく面倒くさい。
「不満はあるだろうが、それは仙界で直接本人に言ってくれ。さあ、俺と一緒に来るんだ」
そう言って俺が手を伸ばすと、そこから逃れるようにその身を一匹の蛇と化して泳ぎ去ろうとする。
「おい、何処へ行く。逃げたところで何か変わるわけではないのだぞ。無駄なことは止めて俺と来い」
「無駄とはなんだ。俺がお前から逃れ、お前の手に負えないと知ればあいつが来るしかないだろう。俺はあいつが来るまでは誰にも捕まったりはしないぞ」
やはりそういう魂胆か。
不機嫌な様子からしてこうなるんじゃないかとは思っていたが。
師父へ文句を言って取りに来てもらうかとも考えたが、あの人が素直に動くとは思えない。
師父を説き伏せて連れてくるくらいなら、空山と追いかけあう方がまだ幾分もましだろう。
「空山、お前は師父の宝剣だが俺も師父の弟子だ。簡単に逃げおおせることができると侮るなよ」
言うが早いか俺は空山へ迫り、その身を掴まんと手を伸ばす。
「侮っているのは小坊主の方であろう。俺をなんと心得るか」
蛇の身と化している空山が体をひねると、たちまちに周囲の水が断ち切られる。
手を引くのがあと少し遅れていたら、俺の指は全て斬り飛ばされていただろう。
「木行宝剣たる裂空破山を人界の鈍らと同じと思うなよ。蛇身であってもその鋭利さはいささかも衰えたりはしていないからな」
くそ。わかってはいたが厄介な。
元より空山は木行の宝剣。木行は龍の属であり鱗類は悉くその下に従う。
また木行は天候を知る標であり、風雷は能く木行が司る。
先の斬裂は刃の鋭さとともに水中に在っても風を操る木行ならではの技なのだ。
「侮るつもりは毛頭なかったが全力ではなかった。なればこそ、ここからは全力でお前を捕まえるぞ。その身が仮に砕かれようと、恨み言は聞かないからな」
「小坊主が吠えるなよ。そういうことは俺を捕まえてから言うがいい。事を為す前に大言を弄するのは小人の振る舞いという言葉を知らないのか」
言って空山は素早く泳ぎ去る。
もちろん黙って見送るようなことはしない。
水気を操り流れを生めば、こちらも素早く動けるのだ。
「ついて来られるか。だが、追いついただけでは捕まえたことにはならんぞ」
言われなくともわかっているさ。だから俺は印を結び、口訣を発す。
「即ち金行を以て鋼糸を縒り、編んで網とする。捕らえよ」
空山の周りに鋼鉄の糸が生まれ、網を形成して包み込まんと迫る。
金行は木行に克つ。故に空山ではこの術は破れまい。
「なんだこの術は。小坊主、お前は山火事を茶碗一杯の水で消すつもりなのか。浅知恵にも程があるというものだ」
そんな言葉とともに俺が放った鋼糸網は千々に斬り散らされてしまった。
「むう。五行相克の理を覆すとは、さすがは師父の宝剣か。だが、これしきのことは考えの内よ。俺が次の一手を打っていないと思ったか」
言い返して俺は新たな印を結ぶ。
すると斬り散らされた鋼糸の残骸が砂の粒のようになり、空山へとまとわりついていった。
「磁鉄砂の絡みは格別だろう。流れ動く砂は刃で斬れるものではない。包み覆われ捕まるがいい」
いかに鋭利な刃と言えど砂を切るは能わず。
磁鉄砂もまた金行に属し五行相克の理を以て木行に克つ。
俺は動きを阻まれた空山の傍へと追いつき、術を用いて磁鉄砂を堅固な鞘へと変じて完全に禁固する。
「おのれ不覚。小坊主の浅知恵と侮りこの身を封ぜられるとは」
「お前は師父の宝剣として鋭利無双であったが傲りがあった。その隙があればこそ俺ごときが捕らえることが出来たのだ。師父はお前の傲りを自覚させようと俺を使ったのだろう」
俺の言葉に空山が押し黙る。
もっとも、これは空山より己を納得させるための言葉である。
深謀遠慮な師父の真意を俺のような者が推し測れるものではないが、小人故に己自身を納得させる言葉を欲するのだ。
「さて、お前もこんな粗末な鞘に押し込められるのも不快だろう。疾く師父の元へ送り届けてやろう」
道士・蒼真月伝 Fの導師 @facton
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