神秘なアドバイザー実験の原点

榊 薫

第1話

トラブルを起こすと、魔法の使える異世界に転生したくなります。その原因は、常日頃携わっている本人が一番良くわかるはずですが、担当者が違っただけで、今までのデータが使えないことも少なくありません。昨今では、分析会社で不良品を測ってもらっても、原因が何わからないことがほとんどです。

技術分野では、従来から技術アドバイザーがトラブル相談の客筋を見極め、何を必要としているか解決する仕事をしています。長年、顧客との絆を生かし、臨機応変に対応しています。

トラブル事故

車のワイパーを取り付けるアームを製造している工場で、塗装したものに膨れが発生しました。このワイパーアームの塗装不良発生率は0.1%程度です。アームは亜鉛めっきの上を焼付け塗装しています。その製造作業はこの一年、比較的順調に推移してきました。

アーム素材はU字形状したバネ鋼本体にSS鋼材が取付けられています。作業者が一本ずつ引掛け治具に吊るし、めっき自動機で、前処理の脱脂、酸洗を行った後、亜鉛めっき、および化成皮膜による後処理を行い、乾燥工程を経たものを、工場内の塗装工程で150℃の黒色焼付塗装を施しています。塗装終了後の部品は目視検査が行われています。検査では、しみ、ざらつき、ピットなどないかどうかを確認していて、問題の膨れが発見されました。めっき・塗装の品質を維持するため、各工程の液管理、薬剤補給は毎日作業終了後、点検、調整が行われています。

3日前に、アームのU字型の内側に塗装膨れが発生する不良報告がありました。不良になったアーム膨れ箇所をはがしたところ、素材と亜鉛めっきの間から剥離していることから、亜鉛めっきの後処理や塗装不良に起因するとは考えにくく、素材の可能性があります。

めっき前には、めっき密着をよくするため素材表面を活性化する処理として、脱脂後、酸性溶液に10分間品物を浸漬して酸化物を除去する洗浄工程があります。しかし、U字形状の内面での溶液の動きが悪く、脱脂されにくく、酸化物は除去されにくくなります。

ところで、一年半ほど前、夏場に同じような膨れが発生したことがありました。その原因を知るため、取引先から指示された通り、脱脂、酸洗、めっき、クロメートの各工程からサンプルを抜き取り、150℃の加熱したサラダ油に浸す試験をしました。その結果、脱脂、酸洗、めっきの工程から抜き取ったものはいずれも気泡が発生し、ふくれが発生したことから、どれが原因だか分らなくなりました。そのうち、不良は起こらなくなったので原因究明は立ち消えになっていました。


今回の不良品はU字形状の内面に集中していますが、発生率が0.1%程度で低いことから、通常工程によるものとは考えにくいです。

塗装のそれぞれの工程を終了した品物を抜き取り、150℃に加熱したサラダ油に浸して調べました。しかし、今回も脱脂、酸洗、めっきの工程から抜き取ったものはいずれも気泡が発生して、どこが原因であるか知りたいということでアドバイザーに相談があり、一緒に同行しました。


アドバイザーの解析は、発生場所を特定する作業から始まりました。板を曲げ加工した内側は外側に比べて温度が伝わりにくくなることを指摘しました。以前の不良は、U字内側めっき後処理の乾燥温度を低くしていたことが原因の一つと考えられます。

アドバイザーの示した回答は次のようなものでした。

「1.150℃の加熱油に浸すことで、気泡が発生するものとしないものとの違いを調べる必要がある。

2.今回、150℃の加熱油試験する試料として、素材を一週間放置したものとそうでないものを比べたらよい。

3.たまたま、前工程で「先入れ後出し」が行われて発生した可能性がある。」

といった内容で、なぜ起こるのか詳しい説明は行われませんでした。

「先入れ後出し」とは品質管理の用語の一つで、先に入れたものの上に次のものを乗せることを繰り返し、取り出すときには、上から取り出すことで、一番下のものが最後に残ることです。保管時に不良事例が起こりやすいものの一つです。次の工程に移動させずに、残った品物の上側に新たな品物を積み上げることで、一番下側のものはいつまでたっても加工されずに残ることから、この不良発生率は0.1%以下で低いことが特徴です。

実験

アドバイザーは依頼者の用意した、熱したサラダ油の中に、長く放置した品物のほかに、短い放置時間の品物を浸しました。前者から小さな細かい泡が発生しましたが、後者は発生しないことを確認しただけでなく、後者の表面に付着した油をきれいに取り除き、水に浸して軽く拭き取った後、加熱油に浸しました。すると、激しく気泡が発生し始めたではありませんか。ちょうど天ぷらを揚げるときと同様に泡がブクブク沸き上がり、それを見ていた依頼者も同じ作業を繰り返し確かめていました。

疑問と解説

アドバイザーは、詳細な説明をせず、また、素材の不純物検討、前処理液やめっき液に含まれる不純物の有無、作業者がそれだけ床に落とすといった作業ミス等の可能性なども調べず、発生した問題とその管理・取り扱いについて、見つめ直しています。

腐食の広がり方を眺めると、温度の上昇しにくいU字隙間に集中していることから、加工工程での溶液濃度、温度管理だけでなく、目に見えない保管時の空気の流れ、温度差による水分の凝縮、空気中の酸素濃度の不均一、それによって生じる反応について、確認することが重要であることを見つけています。

そこで、「なぜ、泡が出るのか?」質問してみたところ次のような回答でした。

「水分で泡が出るのと同様、品物を「先入れ後出し」で放置すると、冬の外気で冷え込んだ素材に、室内の水分を含んだ温風が当たることで、金属表面に水分が結露する。ちょうど蒸し暑い日に冷蔵庫から冷たい飲み物を取り出すと、表面がびっしょり結露するのと同様で、その微小な水滴に生じた酸素濃淡電池が腐食を起こす。バネ鋼本体は腐食しやすい。」とのことです。

「酸素濃淡電池とは何か?」質問してみました。

「結露した水分があると、水滴一つずつ、酸素が拡散しにくい中心部が電気的にプラスになり、酸素の多い周囲がマイナスになるのを酸素濃淡電池と呼ぶ。」

さらに、「プラスとマイナスの間に電流が流れプラス側に塩化物イオンが引き寄せられ腐食する。腐食現象は、水分、温度、酸素で起こる。」とのことです。

しかし、今回の放置した品物は、錆の大きさがルーペを使わないと分からないほど小さく発見することは難しいです。そこで、

「その小さな錆がなぜ、気泡を発生するのか?」質問しました。

「腐食成分は金属酸化物、水酸化物であり、いったん腐食生成物ができると、金属酸化物、水酸化物は結晶水を持っていて、常に水を含んでいる。湿度が高いときには取り込まれる水の量が増し、電流が盛んに流れて腐食が進行する。乾燥時はその結晶水も減り、腐食も停止する性質がある。顕微鏡下で腐食生成物の内部を観察しながら、針先で腐食の内部を触るとねっとりして水分があることがわかる。腐食孔の中のpHは1以下の酸性となる。」のだそうです。さらに、

「もし、150℃に温度を上げると、その水分は一気に気体となる。液体の時に比べ、気体の体積は約1000倍に膨れる。そのため、極わずかな腐食箇所であっても気泡が発生する。」と付け加えました。

これにより、150℃の浸漬試験で、「ごくわずかな水分が付着しているかどうか分かる」謎が解けました。

結露する条件には、冬場の暖房、梅雨時の湿気、夏場夜冷えた品物が暖かい湿度の外気に触れ結露します。冬場には、トラック輸送で冷えた品物が暖房のある室内で結露します。何れも、保管・放置している間の出来事なので気づきにくいです。

まとめ

腐食が発生した大きさが小さいため、表面処理工程を見直すと、品物を治具に引掛ける作業時に見つからないはずです。めっきの下地で発生していることが解決のカギとなっています。腐食の広がり方は、この品物だけで単一部品しかも局部的に発生しています。たまたま起こる工程を探すことも解決のカギとなっていました。

この工場では、保管管理は気付くことが難しいめっき素材放置場所の湿気対策を徹底していないことが品質管理上問題でした。

アドバイザーは、めっき前処理液やめっき液なら不良発生率はもっと多いはずであること、作業者の落下ミスなら、品物の内側よりむしろ外側に異常が発生することを見越しており、それ以上の詳細な機器分析などについては触れずに終わらせた理由は、工場の管理力が、金と時間をかけて本気で根本から改善するレベルでないことを見抜いて、「同じことがまた繰り返し起こることを予測している」と思いました。 以上

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神秘なアドバイザー実験の原点 榊 薫 @kawagutiMTT

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