あほんだら
川谷パルテノン
浮気されたんすよ?
「浮気されたんです」
「ほんで?」
「浮気されたんすよ! なんでもっと、こうさ、あるでしょう一言」
「お前が後輩やから
「なんで!?」
「女の心ちゅうのは雲や。掴めそうで掴まれへん」
「何言ってんすかセンパイ」
「殺すぞ」
「とにかく俺は被害者っすよ。相手の男は必ず殺します。美紗都もタダじゃ済まさねえ」
「あのなあ。お前がそんな物騒やから美紗都ちゃんかてその男のとこ行ったんちゃうの」
「物騒? センパイが言いますそれ。そうだ手伝ってくださいよ。朔くんって
萩原朔。当然偽名や。前の名前は忘れた。今首根っこ掴んで捻り殺したろうかと思っているこのクソジャリは俺がこの名前になってからパチンコ屋で知り合った二つ年下の東条哲。相談があるや言うてから聞いてみればしょうもない痴話喧嘩。こんなカスに素性がバレたんは一生の不覚。哲は俺が人を刺し殺すとこをばっちり見とった。俺にしてみたら大した仕事やないと気を抜きすぎとったんが災いしたんや。見られたもんはしゃあないから一緒に殺すか思うたけどなんでかな。まあ今んとこ生かしとる。哲はアホやけど変に義理堅いところがあって俺の裏稼業についてタレ込んだりはせんかった。
「お前さ、俺みたいなんと居って怖ないん?」
「何がすか?」
「何がてわかるやろタコ」
「や、朔くんのことはカッコいいって感じっすかね。ダークヒーローみたい。バットマンって知ってます? あんな感じ」
「全然ちゃうわ。カスボケどないなっとんねんこの台! もう一万吸われとるぞ」
「朔くんにはだいぶ貧乏助けてもらいましたから。誰にも言わないっすよ」
ほんまガキみたいな顔で笑いながらぬかしおる。本物のアホや。
哲をシバいたんはこの仕事を手伝いたいとか言い出した時とそれから今。軽々しく掃除屋の名前出すなって散々言い聞かせたのにこのザマやったから。
「ゲホッ。ォエ。マジで殺されかけた俺?」
「お前んとこの痴話喧嘩のためにプロがリスク負うわけないやろ。それに俺は事務所通してでしか仕事は受けてへん。せやからお前がマジならその根性で事務所に話してみろや」
俺は人差し指で頬を擦ってみせた。
「でも本気っすよ俺。朔くんが手貸してくれなくても必ず見つけて殺しますから」
「相手の男が誰だかわかってんのか」
「手伝ってくれるんすか」
「全然」
哲はため息をつきながら彼女を寝取った男については何も知らないと答えた。
「なあ哲、居酒屋行かへん?」
「お会計四万八千円になります」
学生さん大歓迎、リーズナブルが売りの大衆居酒屋でビア樽空にする勢いだった哲はヘベレケのでろんでろんになっていて俺はレジ前で愛を叫んだ。
「起きろボケ」
「朔ちゃん!」
「殺すぞ」
「お願いしまーす! オエはね許せないんすよ」
「いつまで引きずっとんねん」
「いつまでもっすよ! 莫迦にしやがってよ。裏切りなんて最低だ! だよね、朔ちゃあん」
大丈夫やでと言いながら腹を三発殴ると哲は這いつくばって虹を吐いた。ゲロと酒臭さでどうしようもないカスを背負って帰る羽目になり俺は哲を居酒屋に誘ったことを後悔した。哲から聞けた話では哲の彼女を寝取った奴の名前や顔こそはわからないがどうやら芸能人らしい。週刊誌読んでる気分やった。今の仕事をやってると芸能や政治の界隈とぶち当たることも少なくない。せやかて俺はそいつらの素性やしがらみにはなんの興味もないしやる時に情は持ち込んだりせん。やけど有名人が突然自殺扱いで報道されてたりするんを見るとなんか見方変わってしもた。知ってる顔をそこに見つけてなんも知らんフリして今日も生きとる。変な感じや。哲を寝かしつけた後、俺は建設会社の事務所に向かった。
「ですからアポ取って頂かないと」
「や、俺はお宅の的場さんに呼ばれてて」
「ですからですね!」
「おいコラ女、なんで半ギレやねん」
「お前もだよ、朔。ヨシ子ちゃん、こいつはいいから。通してやって」
的場新次郎。表向きは横黒建設の代表で本業はバチバチのヤクザ。俺に仕事を回してくるいわば上司みたいなもんやった。的場に連れられてやっとこさエレベーターに乗る。
「的場さん、俺が名前変える度にナチュラルに合わせてきますよね」
「お互いプロ意識が高いってこった」
「こんな時間まで受付働かすなよ」
「高い給料払ってんだ。嫌なんて一回も言われたことねえよ」
「そんで。今回は誰ですか。誰でもええけど」
「部屋に着いたら写真だけ渡す。何度も言ってるが対象についても依頼主についても詮索はするな。今日から三日以内に必ずやり遂げろ。しくじったら」
「はいはい、わかってます」
的場から受け取った写真を見た時、俺は固まってしもた。ターゲットについては詮索するな。俺にとってはなんてことのないルールで、今まで一度だって情を持ったことはない。なかった。せやけど。
「どうした? 珍しく顔色悪いじゃねえか。まあいつもか。まったく同情するぜ。若いわりにそんな白髪頭になるまでそりゃストレスだわな。人を殺すってのはよ。だけど俺たちはお前の腕を買ってんだ。ガッカリさせないでくれよ」
事務所を出た後、部屋に戻ると哲はまだ暢気に眠っていた。
「お前、えらいことになっとるぞ」
写真に映っていたのは紛れもない東条哲本人やった。
まだ三日ある。俺はそれまでに決めなあかん。三日なんて必要なかった。今までは。見つけて隙見てやる。それだけのこと。手際なんて慣れたもんで一瞬や。なんにも思わへん。子供が蟻を踏み潰すんとなんも変わらへん。そない思うてやってきた。せやけど今回の三日は短すぎる。なんでや。確かにカスでどうしようもないヤツやけどそれは俺もおんなじレベル。なんでお前が命狙われるほどイキっとんねん。誰や。詮索はタブー。わかってはいたけど俺はこの
「朔くん……」
「あああボケ! 哲! 起きろ!」
「あと五分」
「アホ! 美紗都ちゃんの連絡先教えて」
「なんすか アッタマ痛え」
「早よせえ!」
こんな時なんて聞いたらええんやろか。付き合ってる方のお名前教えていただけますか。アホか。
「お久しぶりです」
「ああ、久しぶり」
「てっちゃんに何か言われたんですか」
「す、鋭いね」
「だって朔さんくらいしかいないから友達」
「さみしい奴やね」
「てっちゃんに会ったら伝えてください。もうしつこく連絡してこないでって。朔さんも聞いてるかもだけど私達別れたんで」
「哲はそう思ってへんのちゃうかな」
「てっちゃんがどう思ってても私にはもう他に好きな人がいるんで」
「そいつのことそんなに好きなん?」
「てっちゃんと違って優しいしギャンブルしないし一緒にいるだけで夢見てるみたいなんです」
「芸能人やから?」
「朔さんには関係ないでしょ」
「哲がどないもならん莫迦なんは認めるけど話し合いくらいはしたってもええんちゃうかな。お互い拗れたままやとなんちゅうかその、後腐れ残らんか」
「朔さんもお人好しですよね。てっちゃんの今度は頑張るって言葉に私が何回騙されたと思いますか。もう無理なんですよね。思いやりとか」
美紗都の言うことはもっともやった。俺はそれ以上なんも聞けんなってしもうて結局今尾行してる。哲のおかげでストーカーみたいなことまでさせられて何やっとんねん。朔さんもお人好しですよね。そうかもしれん。あの莫迦と初めて会った時は今にも死にかけのセミみたいで、寝覚め悪なる思うてハンバーガーの一番安いやつ食わせたらすぐ懐いてきた。人には言えん仕事をしてる俺かて友達なんか一人もおらへんけど哲だけは
(おい朔。お前珍しく手こずってんじゃねえか)
「しょうもない電話かけてこんとってくださいよ。的場さんかて忙しいでしょ色々」
(なあ朔よお。前にも言ったがお前の腕は疑っちゃいねえ。だがそりゃあ腕の話だ。お前、大丈夫なんだろうな)
「アホなこと言わんでください。プロで飯食うてるんですわ。切りますよ。ほな」
今忙しいんじゃボケが。ようやっと美紗都が動き出した。グラサンにマスク、帽子を目深に被ったいかにもな奴と接触。俺は二人の後をつけてホテル街に入った。芸能人様がケチ臭い場所選びよる。算段はこうや。芸能人様が美紗都と離れたところで依頼主であることを吐かせる。言質取れたら依頼を取り下げさせる。殺しはせんがビビらせはしとかんとやろな。ほんま手ェかかるわ。二人がホテルに入るところを写真に収める。あとは解散を待って……
「朔さんゴメン」
強い衝撃が頭から全身に走った。意識が遠のいていく途中で俺はなんとかアイツを止めようとした。待て。早まるな。あほんだら。
「たいしたザマだな」
なぜか目の前に的場がいた。せっかく戻った意識も顔面をぶん殴られたせいでまた飛びそうになる。腕と胴がパイプ椅子に縛り付けられ一緒に転倒した。
「おこせ! 話は終わってない」
「なん すかコレ。俺なんか しました?」
「面倒見てた犬にコケにされたんだ。躾しねえとな」
「なんのこと? おもろ」
また飛びそうになる。あかん。死ぬかもしれん。こんな糞たれた人生いつ終わってもええ思うとった。でも今やない。ヤクザに依頼して哲殺そうとしたんは誰でもない哲本人や。アホが。ゴメン言うたら全部気づいてしもたやんけ。アイツはそないなったら俺が動くん見越してアホな真似しよった。なんやねん天才やんけ。なあ哲、せやけどお前結局的場に殺されるぞ。女取られたくらいなんやねん。ボケがよ。お前のええとこもっといっぱいあるやろが。
「ほなね、的場さん。今までおおきに。……まあもう返事できへんか。さいなら」
俺はホテルまで走るしかなかった。体ボロボロやしめちゃくちゃ痛い。早よいかな。アホな真似すんなよ、哲。
「なあ哲……なあ。なんとか言えやボケぇ! なんでお前がこんなことせなあかんねん! おい! 見てみぃ! お前の大好きな美紗都ちゃん、血まみれやんけ……誰やねんこいつ、テレビで見たことないぞ、なあ! お前がクソやからこんなことなったん違うかい! なんでや……どこまでアホやねんお前……何とか言えて! ああ、アアァァアアアアアアアア!!!」
まだ温かい哲の体から熱を逃さんかったら生き返るんやないかと思った。外からはサイレンの音が聞こえて、でもここで俺が逃げたらこいつはずっとひとりぼっちやんけ。ほんなら居るわ。せやから置いていかんといてくれや。頼むわ。
あほんだら 川谷パルテノン @pefnk
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