ジャッジ〜殺し屋青年の備忘録〜

黒宮アキ

file1 天野博

「雨は好きだ。音を掻き消してくれるから。」

そう呟いて俺は子供のように水溜りを蹴った。水が跳ね、水面が大きく揺れて、鏡写しになった通行人の顔が醜く歪む。それがおかしくて何度も蹴った。水面が更に激しく波立った。俺はジーンズの裾についた水滴を払った。雨の音に掻き消されているからか、はたまた俺に興味がないのか通行人達が俺の奇行を咎めることはなかった。

女警官がコンビニのポリ袋を持って俺の横を通り過ぎた。化粧が崩れ、アイシャドウのラメが頬まで垂れている。きっと職場に戻れば「雨降ってた。最悪。」と愚痴りながら化粧を直すのだ。


俺は重いリュックを背負いながら更に思案を巡らせた。

世間の多くの人は雨が嫌いなのだと思う。今も肩を濡らす水滴をうざったそうにしながら人々は歩いている。女性は湿気で崩れた髪を直し、傘を持っていない少年はコンビニに駆け込む。どちらもこの雨が腹立たしいといった形相だ。古い友人がこんな日はいつも頭痛に苦しんでいたことを思い出した。


湿った空気を吸い込む。今日は地に足がついていない。通行人たちも同様だ。意識が雨に持っていかれるので、その他の物事に対する注意が失われる。少しだけ上の空なのである。だから先ほどのような奇行も気づかれない。自分に興味を向け逐一咎めるような面倒くさい男が隣にいるはずもないのである。俺はため息をついて再び歩き出そうとした。が、尻に変な感触を覚えたので立ち止まった。ピスポケットに雑に突っ込んだ携帯が震えていた。仕方がないので取り出す。仕事の依頼人から感謝のdmが来ていた。


「栗花落様

いつもお世話になっております。Aです。先日はお力添え頂き誠にありがとうございました。

早速ではございますが次の日程についてご確認頂けますと幸いです。

6/10 13:00〜13:30

○○センタービル5階 ホテル××

503号室 白衣の男性――」


俺は形ばかりの文章を読み飛ばしながら、先ほどの仕事のことを思い出して最悪な気分になった。先ほどの警官に少し共感した。そして今日の最悪な仕事について思い起こそうとした。


仕事内容はヤクザを3人殺すことだった。手練れの俺にとっては造作もないことだった。いつものように依頼のDMを読み、指定されたホテルの部屋に向かう。そこにターゲットはいた。いや、ターゲットだったものがあった。体格のいい成人男性3人分の死体は溶解剤でドロドロに溶かされ、ゴミ袋にすっぽり収まっていた。袋の中は血と肉と脂肪が混ざりあったあずき色の液体で満たされている。視界に男の後ろ姿が映る。袋の縛り口をつかんでいたのは後輩である時雨誠だった。


「あ、先輩!お疲れ様です。」

誠は陽気に振り向く。

「おい。なんで誠がここにいるんだ。」

誠はきょとんとして言った。

「なんでって、先輩のお手伝いですよ。ボスも言ってたじゃないですか、栗花落さんの後ろをついていけって」

「手伝いの範疇を超えてるだろ。俺より先に殺しちゃってるし。こういうのは定石があるんだよ。なるべく痛みがないように――」

と、言おうとしたところで誠がそれを遮る。

「先輩もアイツみたいなこと言うんですね。痛みなんてどうでもいいじゃないですか。相手は人殺しですよ。」

俺はカッとなって反駁した。

「痛みはどうでもいいだって?お前、うちのモットーを忘れたのか?『正義による制裁』だ。相手が悪人だとはいえ正義感を忘れてはいけない。極力痛みのないように殺してやれ。」

パーカーの紐を指に巻きつける。鬱血して痛い。

誠は捲し立てるように言った。

「はいはい、わかりましたよ。今回は全員、頸動脈を狙いましたから痛みは感じてないはずです。僕は帰りますからあとはお願いしますね。」

「おい、ちょっと待てよ。待てって!」

彼は立ち止まって振り返る。俯いているので表情は見えない。数秒たった後、彼は顔を上げた。潰されたカエルの死体を見るような顔をしていた。軽蔑の視線が痛い。誠は小さく口だけを動かした。

二人の間に緊張が走る。

俺は肩をピクリと動かし黙りこんだが、すぐに調子を取り戻し説得を続けた。

しかし、それも馬の耳に念仏といった様子で、誠は早足で部屋を出ていってしまった。


部屋には俺と小豆色の液体だけが残された。彼はまるで嵐のようだ。平穏はうれしいが静寂は苦しい。さて、この状況をどう処理しようか。俺はイレギュラーが嫌いだ。はらわたが煮えくりかえるのを抑えるためにベッドに腰掛けた。ベットからは窓がよく見えた。部屋の狭さの割には大きな窓だ。金属製のサッシは錆びつき、ガラスには水垢が付着している。この窓はいったいどれだけの人々に見られてきたのだろう。男、女、子供、老人、家族、カップル、ビジネスマン、旅行客。その中に俺みたいな殺人鬼は何人いるのだろう。そう考えた途端、小汚いはずだった窓がまるでイタリアの教会のような歴史を孕んでいるように見えた。血も、涙も、子供の手垢も、女の嬌声も、時代の流れも、街の移ろいも、俺みたいな殺人鬼も、全てを知り受け入れなおそこに佇んでいる。いやこいつに選択権はない。自由意志は存在せず、全てを受け入れるよりほかないのだ。俺と同じだ。生きていくためには世界に溢れかえる死を否応なく受け入れるしかない。目を背けることは許されない。これは生者の義務なんだ。


サッシをコツンと叩く音を聞いて我に返った。水滴が窓ガラスを濡らしている。外は豪雨だった。ここから、車を止めているコインパーキングまではかなりの距離がある。傘は持っていない。雨は好きだが濡れるのは嫌なのだ。


慌ててゴミ袋を掴み、リュックに詰め込む。液体が袋の中で虫籠いっぱいに詰まった芋虫のように蠢いていた。俺はうんざりして溜め息をついた。リュックのチャックを力一杯勢いよく閉める。ジッと小気味良い音がした。


ドアノブに手をかけをかけたところで、もう一度部屋を見回そうと思った。やはりあの大きな窓がよく見える。ガラスについた水滴は玉状だ。その一つが重みに耐えかねて流れ出す。俺は息をのんで見守った。それはいくつもの水滴を巻き込んで大きな塊になった。やがて窓の外に落ちていった。また雨の音が聞こえ始めた。窓には窓を伝い落ちたほかの雨粒の跡がいくつも残っている。小汚いとは思わなかった。心の中で「ご苦労様です」と言った。変わらず、雨が滴る音だけが鳴り響いていた。


携帯を見ながら歩いていると、危うくコインパーキングを通り過ぎそうになった。俺は携帯をしまい、黒いプリウスのロックを解除し、ドアを開けた。助手席にリュックサックを置き、運転席に乗り込んだ。エンジンを蒸して、ゆっくりと発進する。車はせせこましい住宅街を縫うように走った。途中、ブロック塀の角で車体を擦りそうになった。庭の手入れをしている老いた女性がこちらを見つめていた。俺は急いでアクセルを踏んだ。少し走れば開けた通りに出た。ハンドルを握り直し、スピードを上げた。免許を取って5年ともなると運転に余裕が見えてくる。俺はシートにもたれかかった。スプリングがギシギシと音を鳴らした。


どんなに車が好きな人間でも1時間も運転していれば疲れが見えてくる。俺はシャツの第一ボタンを外しながら、タクシーを使えばよかったと後悔した。いや、タクシーはいけない。足がついてしまう。袋で密封しているとはいえ人の死体を溶かした液体をリュックに入れていれば異臭が漂うのは間違いないだろう。それだけは避けないと。そう考えて、ハッとした。俺は自分自身が悪い人間であるかのように振る舞っている。こそこそと隠れて、人を殺してまるで犯罪者だ。俺は一気に息を吐いた。胸の奥から息がごっそり抜けて、身体は空気を入れる前の風船のようにしぼみ切ってしまった。伽藍洞となった心の最深部では「ギゼンシャ」の4音だけが静かに、しかし、幾度となく反響していた。


ところで、誠はどのように寮に帰ったのだろう。免許は持っていないので車はつかえない。そもそも自分は未成年だ。電車か?いや、あのような血まみれのシャツで電車に乗れるハズがない。途中で着替えたとも考えたが誠が着替えを用意するほど用意周到な男であるとは到底思えなかった。勢いで出て行ってしまったので荷物も持っていなかったが、大丈夫なのだろうか。一抹の不安がよぎったが彼のことなのでどうにかなるだろうと忘れることにした。


3日前、ボスの横にたたずむ誠の姿を俺は見た。それが誠と俺の遭逢だった。

背が低く、猫背で、痩せていたが、シャツだけはキチンと糊付けされていた。が、彼の軟派な雰囲気には不相応だった。

ボスが仰々しく言った。

「栗花落くん、昨日伝えた時雨くんだ。面倒を見てやってくれ」

俺は軽くうなずいた。ボスが誠の方にに向き直る。

「彼が栗花落俺くん。君の先輩であり指導役だ。彼の後をついていきなさい。」

「はい。わかりました。栗花落先輩、宜しくお願いします。」

誠は一点の曇りもない笑みを俺に向けた。

「ああ、宜しく頼む。ところで、どうして新人なんて連れてきたのですか?人は足りているって言ってたじゃないですか。」

ボスはイタズラがバレた子供のような顔をして首を横に振った。

「それは、ちょっとした事情があってね。」

「はあ。」

俺はため息をつくように言った。

ボスが声を潜めて言う。

「まあ、彼は訳アリなんだ。お願いだから黙って彼の教育係を受けてくれ。君にしか頼めないんだ。」

ボスはさらに表情を崩した。いつも微笑みをたたえている口角は無様に垂れ下がっていた。俺はひどい顔だと思った。しかし、彼はボスのこんな顔に弱いのだ。

「……分かりました。」

俺は目を伏せて小さく答えた。

そして、顔だけを誠に向けて言った。

「次の任務は3日後だからそれまで部屋で休んでおけ。きついぞ、人殺しは。」

俺はニヤニヤ顔で、軽く挑発した。

「そこは心得てますから。大丈夫ですよセンパイ。」

誠は先ほどとは対照的に気味の悪い笑みを浮かべた。にやりと口をゆがめるさまは到底堅気とは思えない。

「では、僕はこれで失礼します。3日後をたのしみにしています。」

そう言って誠は部屋を出た。

俺は率直な疑問をボスに投げかけた。

「そういえば、あいつ何処で寝泊まりするんですか?確か寮は満室でしたよね。」

「ああ、君の部屋だよ。」


俺と黒いプリウスは深い森の中へと入っていった。ヘッドライトが、蛇のように細く曲がりくねった道を照らした。舗装がなされていないけもの道を数百メートル進んだ先に寮はある。鬱蒼とした森の中の鉄筋コンクリート造の建物はまるで別世界から切り取られてきたかのように不自然だ。地面に砂利を敷いただけの簡易的な駐車場に車を止める。寮ではそれぞれに専用の駐車場所が割り当てられる。俺の番号は2番だ。


駐車場を出ようとした時、1番の車のヘッドライトがついたままになっていることに気づいた。確か1番はボスの車だ。今日は非番で外に出る必要はないはずだ。誰が車を使ったのだろうか。


俺は寮の重い鉄扉に手を掛けた。建物が古いので立て付けが悪くなかなか開かない。3秒ほど格闘したのち唸るような音と共に扉が開いた。帰ってきた。あの、イレギュラーばかりの最悪な任務から無事に帰ってきたのだ。


俺は自室のドアを開けるや否やベッドに飛び込んだ。もちろん、濡れたパーカーを着たままで。寝返りを打って仰向けになれば、グチュりと嫌な音がした。背中の辺りから水が染み込んでいくのがわかる。身体は疲れているのに意識だけは妙にはっきりしていた。学生の頃、テストのために徹夜した日の朝はこんな感じだったような。学生というキーワードから嫌な思い出が連想される。当時、目に映った映像、聞こえた音、そして感情がシャボン玉のように浮かんでは弾け、不快感と後味に悪さだけを俺の胸に残す。全く、あんなイレギュラーさえなければ。そのような考えが脳裏に浮かんで、自分が強い被害者意識を持っていることに気づいた。それはお門違いだ。これは自分自身の罪禍なのだから。


目を背けるなと自分に言い聞かせる。何回も何回もただひたすら脳内で反芻する。俺は「死」の記憶とむき合わなければならない。



3

高校生の頃、天野晴人という友人がいた。お互い別の中学出身で、共通の趣味も話題もなかったが、入学式の座席が隣だったという理由だけで友達になった。次の日、その次の日も俺たちは一緒にいた。学生生活自体は平凡でつまらないものだったがいつも横でうるさく何かを叫んでいる彼を見るのは面白かった。気がつけば1年生が終わっていた。


高校2年生の夏、その日はひどい雨だった。偏頭痛持ちの晴人は授業の途中で気分が悪くなり、俺が彼を家まで送ることになった。晴人は俺が家に入るのを拒んだ。悪いが玄関までにしてくれ、僕は大丈夫だから、と。理由を尋ねても答えない。埒が開かないと思った俺はそこで話を切り、彼を家まで送り届けた。


後日、晴人の友達(彼はサッカー部に入っており友達も多かった)に話を聞くと、晴人の家は父子家庭だからそれが恥ずかしかったんじゃないかと言われた。俺は驚いた。少なくとも彼の口からはそんなこと聞いていなかったし、サッカー部員の中では共通認識と言わんばかりに知れ渡っていたからだ。

俺にとって、ほとんど唯一といえる友人が大きな秘密を隠している。俺は晴人が恨めしかった。結局晴人にとって俺は数多いる友達の中の一人でしかないのだ。


それから数ヶ月が経ち、季節は冬になった。普段病気以外の理由で休むことのない晴人が二日間無断欠席をした。三日目で流石に心配になり、放課後、彼の家を訪れた。真冬なので5時にもなれば辺りは真っ暗だ。ストーカーみたいだと、何となく悪いことをしている気分になり、しのび足で裏口に近づいた。呼び鈴に手をかけようとした時、ギギギ……と重い音が玄関の方から聞こえた。

晴人かもしれないと思い立ち、闇に紛れてそっと近づいてみた。しかし、そこには背広をきた晴人より幾分か背の高い男の影があった。男は人一人がギリギリ入る程度の袋を担いでいた。お父さんか、でもこんな夜中にスーツなんか着て何を?


その時肩にひんやりとした何かを感じた。一瞬で身体がこわばり、身動きが取れなくなる。ひんやりとしたものが力を込めて肩を押さえつける。俺は肩をかなり強い力で掴まれていた。

ゼンマイ仕掛けの人形のようにぎこちなく振り返る。白い手袋をした背の高い男と目が合う。暗くて見えにくいが白髪で髭を蓄えている。

「やあ。こんなところで何をしているのかな。今ここはちょっと物騒だから離れた方がいい。」

地を這うようなバリトンボイスが静かに響く。

「ちが、違うんです。俺は友達が心配で、様子見に来ただけで。すみません。すぐどっか行きますから」

堰を切ったように震え声まじりの言い訳が溢れ出てきた。

「ふうん、友達、ね。残念だがその友達というのは、多分もう死んでるよ。ほら、前を歩いてる男がその父親だ。名を天野博という。あいつがお友達を殺したんだ。担いでいるのが天野晴人の死体だ。」

』。数秒思考が止まった。理解が追いつかない。死んだ、晴人が死んだ。嘘、そんなわけない。あいつが死ぬなんて、数日前まで普通に話していたのに。そもそも何で死ななきゃいけないんだ。

「辛いね。でも仕方がないよ。終わったことは変えられない。彼は死んだんだ。」

「どうして……ですか?」

「話せば長くなるがね。端的に言うとサンドバックだ。女に逃げられて、ストレスを息子に向けていたみたいだね。片親の家庭ではままあることさ。

それが行き過ぎてしまったのか、耐えかねて自殺したのか、私も詳しくは知らない。何せ依頼されて仕事をしにきただけだから。」

「サンドバックって、そんな。何されたんですか。」

「そんなの、私に聞かれても困るが、少なくとも殴る蹴るの暴力は当たり前だっただろう。時にはそれ以上も、ね。」

「それ以上」を考えるのも悍ましかった。俺の前ではあんなに笑っていたのに、結局はそれも傷を隠す仮面に過ぎなかったのか。どうして気づかなかったのだろう。罪悪感で胸が一杯になる。謝りたい。無知な自分を許してほしい。ならば、許してもらうためには――。

「殺したいかい?」

「はい。」

もう声は震えなかった。


気がつけば目の前に鮮血が広がっていた。道端には男――晴人の父親の死体が横たわっていた。

「初めてにしては上手だね。それに度胸もある。いいな。うちに欲しいくらいだ。あ、銃返して。」

男の銃を手放したら、頭から血が引いた。冷静にこの出来事と行為について考えてみる。。死体の処理はどうすれば良いだろう。そもそも、これは犯罪なのだから俺は犯罪者ということになる。適当に歩いていたらいつの間にか立入禁止区域に入っていたかのような気分だ。もはや取り返しはつかない。

「明日からどうしていけばいいんでしょう。俺、普通に堅気の学生ですし、かといって平気な顔して街を彷徨くわけにもいかない。八方塞がりです。」

「そうだね。でも一つだけ助かるルートがある。いっそのこと堅気をやめてしまってはどうだろう。さっきも言ったが、君には素質がある。どうだね、私の組織に入らないか。」

「組織というのは。」

「殺し屋専門の殺し屋『ジャッジ 』。殺しを犯したものを依頼に応じて片っ端から殺していく集団だ。私はそこのボスみたいなものをやっている。形式的だけどね。応ならはいと答えろ。否なら今すぐここから逃げるんだ。」

「一つだけ質問させてください。人を殺せば、晴人は俺を許しますか?」

「亡き友に捧ぐ制裁か。ある種の償いにはなるんじゃないか。」

「なら、答えは『はい』です、ボス。」

「はは。そんなふうに呼ばれるのは初めてだよ。よし、これが君の最初の仕事だ。まずは死体の処理から始めようか。ついておいで。」


ボスが闇を掻き分けて、歩き出した。俺はそれに続いた。風が吹いて、彼のコートが舞う。饐えた死体のにおいと硝煙の焦げ臭さが俺の鼻をついた。


俺は半生と数多の人間の命を捧げて、ただ1人の死に向き合ってきた。しかし、なぜだろうか。逃げてきたようにも感じる。この行為は正義による制裁なのか、ただの狂人の所業なのか。ジャッジするのは俺ではない。


目を瞑る。なんとなく眠ってはいけない気がする。何かをなさなければいけない。何かとは何だ。やはり、思考だけが空まわる。体が、四肢に蓄積された疲労物質が俺を眠りに誘う。俺は必死に抵抗する。その努力も虚しく、劇の幕引きのように意識は暗転した。



4

俺は突然目を覚ました。窓から濁った光が差し込む。半乾きのパーカーを着た男とシーツにできた人型のシミがスポットライトのように照らし出された。

階段を駆け降りて一階に降りる。疲れは感じない。疲労物質はたった一晩の睡眠で全快したらしい。時計を確認すれば6時だった。少し早く起きすぎたかもしれない。

「俺が一番乗りか。」

そう呟いて食堂のドアを開ける。ふと、部屋の最奥の椅子に人影が見えた。

「残念ですね、先輩。2番です。」

誠が憎たらしい笑顔を浮かべて言った。

「ほら先輩の分の飯も用意しておきました。できた後輩がいてよかったですね。」

「はいはい、よかったです。」

俺はため息をついた。席につくと旨そうな朝食が視界に飛び込んできて思わず頬を緩める。狐色にこんがり焼けたトーストにじゅわっと溶けるバター。ふんわりとしたオムレツの黄色と丁寧に盛り付けられた野菜の緑色。まともな食事を摂るのはいつぶりだろう。彼が作ったのは癪だが、腹は空いているので仕方なく食べた。


ふと気になったことを尋ねる。

「お前、昨日の晩どこにいたんだ」

「ああ、ビジネスホテルに泊まってました。まだ荷物が運びきれていなかったので。明日からはちゃんと先輩の部屋で寝るんで安心してください。」

「おまえ、本気で言ってるのか。

「ええ、ボスも仰ってたはずですけど。」

「俺の部屋は狭いし家具も一人分しかないぞ。」

「まあ、自室と言ってもほとんど寝泊まりだけですし、ベッドはーー。」

「譲らないからな。床で寝ろ。」

「寝袋があるので結構です。」

全く、何でそういうところだけ用意周到なんだ。


食事を終えた頃には7時を回っていた。そろそろ他の組員も降りてくる頃だ。俺は席を立ちながら言った。

「午前中は休みだから、荷物の運搬でもしてろ。午後から一緒に任務、行くぞ。詳細は後でdmに送っておく。」

「わかりました。でも、荷物、僕一人じゃきついんですけど。

「手伝えってことか。なら他を当たれ。俺は昨日の報告書がある。」

「ケチですね。もういいです一人でやります。あーあ、明日は筋肉痛で仕事もままならないだろうな。」

そう言って誠は部屋を去った。相変わらずうるさいやつだと思った。


タバコを吸うために窓を開ける。昨日とは打って変わって眩しいくらいの晴天だ。

やっぱり、自分は晴れより雨が好きだと思う。でも、晴れの日に湿っぽい皮肉をいって、雨の日の空気を感じさせてくれる人間がいるのも案外いいかもしれない。

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