人は欲求に従って生きものを喰う

三鷹たつあき

第1話 E0.7 あたし。そして神谷の血



 死ぬ。辛いこと。悲しいこと。悔しいこと。二千十九年。なぜ、あたしは死ななければいけなかったのだろう。あたしに憑依していた悪魔はそれが運命なのだと言った。運命なんて言葉で納得するはずがない。死とは魂と身体が離れること。あたしが望めば、魂は新しい世界に連れて行かれる。天国とか地獄とかいうものではないの。あたしはもう少しこの世のことを知りたかったから、この世に魂を残すことにした。あたしが見たことは全部あなたに話すわ。あなたにも知って欲しい。人とはなんなのか。あたしとはなんなのか。利里と翔とはなんなのかをね。

 

 時代を生きていく人達の声。正しいこともある。間違えたこともある。正しいのか間違えたのかは、その時代では裁ききれない。何十年もかけてようやく答えらしきものが出されるのだが、それだって正解なのかどうか怪しいものだ。だって人は人を裁く力を持っていないから。人は自分を信じて生きていくしかないの。それが人の限界。限界に到達するまで力を振り絞るしか道はない。それはあなたも一緒。あなたの隣にいる人も一緒。


人らしくない思想。狂った思想。慰めと感謝の違いが曖昧。西暦二千三十七年の日本では人が動植物を喰らうことはよくないことだという風潮が高まっていたわ。欲求を満たす為に動植物を殺して喰らうことは卑しい行為であるとされたの。そんな思想を持つ人々を後押ししていたのがディージアという団体。ディージアから独立した軍事団体はClipzeon(クリプジオン)と呼ばれていた。思想を広める為に軍事力が必要であるということは納得されないかもしれないけど、この時代では当たり前のことなの。


どんな崇高な思想であっても必ずそれに反対するものが現れる。ディージアが推し進める思想に対して、神谷啓という男を中心にして日本各地で反対運動が起こった。この時代では命を喰うことが悪だとされるので、人は動植物を一切喰わずに分子を上手に組み合わせて造ったクレイシアという錠剤を飲むのが一般的だった。すべての栄養バランスが配分よく組み合わされていた為、服用は二日に一度一錠飲むだけで十分。


あたしから見れば神谷啓の運動は当たり前の批判。あたしの生きていた時代の誰から見ても当たり前の抵抗。神谷啓は動植物を食べることが悪であるという思想そのものを非難したわ。喰いたいものを喰うことは人がこの世に生まれてきたときから持っている欲求なのだと主張した。それは、人として最低限度の欲求なの。なにもかも欲求に従うことがよいこととは言わないけど、食欲を無理やり抑え込むのは人の欲求と権利を犯していると大声で神谷啓は唱えた。


食物連鎖という言葉があるわ。過去にはその連鎖の頂上には人が立っていると考えられていたが、人が動植物を喰わなくなったせいで種のバランスが昔とは大きく変わったの。動物が増えて餌を確保することが難しくなり、人を襲うことが多くなったわ。神谷啓はこの事態も異常だと訴える。人間の食の変化により生態系が崩れている。これは人間の罪悪であると指摘したの。


人の持つ食欲。食を求めるマズローの欲求の理論とは人間が生きていく為の理論ではあったが、それに反すると人間以外の動植物の世界にも異常をきたすのね。 


食事の必要性。食事とは栄養を摂る為のものではない。食事とは暖かいもの。ぽかぽかするもの。動物を喰らうことが当たり前の時代を生きてきたあたしにはその行為に抵抗がまるでなかったけど、この時代の人は喰うということを難しく考え過ぎていたのではないのかな。もしくは食事というものを理解していなかったのかも。家族や親しい人とテーブルを囲んで豊かな味わいを感じながらコミュニケーションをとるというのも食事の大切な役割だとあたしは思っていたのだけどな。


生理的欲求。身体から沁み出す最低限の人の欲求。最低限の欲求にはいくつかの種類がある。それがバランスよく満たされればよいのだけど。食から快楽を得られなければ、別なことで快楽を得るしかないわね。この時代の人は一日の半分を寝て過ごしていた。そして、政府は民の性欲処理を満足させる為に「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」の規制を緩めた。そうしないと生理的欲求が満たされないの。快楽が充たされなければ人は活力を失うに決まっている。そして自律神経も安定しない。まず仕事に励まなくなる。当然、その結果所得が低くなるものが溢れる。金銭がないから認可を受けた風俗店に行けないので性犯罪も増えたわ。世間は悪循環を繰り返しているようにあたしには思えたけど、それでも日本政府は食に関する規制を緩和するつもりはなかった。なぜ、そこまでサトバを喰うことを拒否するのかあたしには思いが至らない。


やえ婆ちゃん曰く、人は動物を喰うことに慣れてしまうと人のことを喰いたくなるから危険なのだって。ヒトというものが人を喰うと、でいばという化け物になってしまうらしい。この世には人の姿をしているヒトというものや、でいばというものが混じっているのだって。それらは人を脅かす怖ろしい存在なのだって。


言論。自由なはずのもの。それはおとな達が決めたルール。だけど、ルールを守らないおとなもいる。それは幼いこどもではなく、ルールを作ったはずのもの達。神谷啓は動植物を食べないという状態にある人を不健康であると言い切る。その人は反社会的な思想を持つ危険人物だとされて政府や自治体は警戒していた。


しかし、神谷啓を支持する人は意外と多かったの。実は隠れて肉や魚を喰っている者も少なくなかったのね。だけど、政府は啓の存在が邪魔になり脅威に感じたので彼を始末したかった。 


殺人の請負。犯罪の請負。人とは違うものの利用。神谷啓の活動をなんとか止められないかと苦悩している政府関係者に当時のクリプジオンの所長であった岩城ダイスケから申し出があった。自らの組織を使って神谷啓を処分してもよいと言い出したわ。政府は莫大な報酬を支払って岩城ダイスケに神谷啓の処分を依頼することにした。もちろん政治家の中には神谷啓を消す方法を持っている者もいたに違いない。だけど、彼等には自分や身内の手を汚したくないという習性があるの。汚れた仕事を遂行して、責任をとってくれる者を求めていたのね。


一週間後、神谷啓は全身の関節を砕かれるという変死を遂げる。人をそんな風に壊せるものは限られているわ。それはクリプジオンに所属している葉月ナミの仕業だった。


★最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。

本短編は「人型戦闘兵器はサトバも食う」の物語を補完するための物語です。

何卒、本編の方も応援頂きますようよろしくお願い致します。


https://kakuyomu.jp/my/works/16817330662358581162

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