閑話 馬ぐるい妹の嫁入り  エルナード視点

 私はエルナード。クランベル伯爵家次期当主だ。つまり、エクリシアの兄である。


 私とエクリシアは十歳差だ。間に二人の妹を挟んでいる。かなり歳が離れてるので、私にとってエクリシアは妹というより娘に近い感覚だ。だから時に喧嘩もした他の二人の妹とは違って、エクリシアは私にとってはただ可愛いだけの妹だった。


 エクリシアは貴族令嬢らしく気位高く育った妹達と違って穏やかに育った。これは三女であるエクリシアにはあまり厳しい教育が施されなかったからだ。エクリシアは嫁入りするとしても子爵家か男爵家か、何にせよ低い身分の家になると思われていた。同格や格上の家に嫁入りするのに必要な持参金が、三女のエクリシアには用意出来なかったからである。


 子供の頃から馬に異常に興味を示す他は、ごく普通の令嬢としてエクリシアは育った。まぁ、休みの度に牧場に行きたがるのは令嬢としては珍しいが、田舎に憧れて農作業を趣味にしているご婦人はたまにいるので、その類だと思えばおかし過ぎる話でもない。


 ただ、男装して馬に跨って乗るまでになると、末娘に甘い父上はともかく母上は流石に難色を示した。しかしエクリシアは母上を説得してまで牧場通いを続けたのだった。


 エクリシアは美しく育ったのだが、いかんせん我がクランベル伯爵家はそれほどの名家でもない。しかもエクリシアは三女。引く手数多というわけにはいかなかった。それでも何度かお見合いの席は設けられたのだが、エクリシアは相手が気に入らなかったらしく「私は結婚しても馬に乗りますよ!」と無理難題を言って全てのお見合いをぶち壊したらしい。


 結局、エクリシアは十八歳になっても嫁に出されることもなく、牧場に入り浸る日々を送るようになってしまった。エクリシアは牧場で馬の育成に携わっているらしく、父上曰く「エリーの手掛けた馬はどうも評判が良いようだ」との事だった。


 そうなるとエクリシアにしてみれば私は立派に我が家の役に立っていると言い切れる訳である。彼女はむしろ堂々と牧場に住み着き、嫁になど行かずに家に残ると宣言する事態になった。


 私も父上も、まぁ、確かにエクリシアがいるおかげで我が家の馬の評判が上がるならそれでも良いか、と思っていた。それに、貴族に嫁に行くのが絶望的なら、平民に嫁に出すという手もある。牧場主のロランの息子あたりに嫁がせて、牧場を継がせるプランも当時あるにはあった、


 そんな感じでエクリシアはたまにしか屋敷に帰って来なくなり、父上も母上も私もその状況に慣れ始めた頃、突然とんでもない情報が舞い込んで来たのである。


 フェバステイン次期公爵であるアクロード様といえば、絶世の美青年で有名であり、同時に女嫌いでも有名だった。そのアクロード様が少し前から女性の所に通っているらしい、というのは社交界で噂になっていた事で私も知っていた。


 それについての賭博があり、一番人気は「何かの誤解である」というものだった。あのアクロード様が女性にご執心というのは、それくらい信じられない情報だったのである。ちなみに二番以下には公爵侯爵令嬢以下の有名なご令嬢が続いた。


 ところが、物好きというのはどこにでもいるもので、アクロード様がどこの美姫の元に通っているのかと、後をつけた者がいたらしい。


 すると、アクロード様はなんと我が家の牧場、クランベル伯牧場に通っている事が分かったのである。そこにいた色の黒い女性と楽しそうに話をしていたとか。


 それを聞いて私は驚愕した。牧場にいる色の黒い若い女性といえば、エクリシアしかいないではないか!


 い、いや、ロランの息子達の妻もいるから、該当する女性は一人とは言えないものの、いくらなんでもアクロード様だって平民の女性の元には通うまい。だとすれば、やはりエクリシアが一番怪しい。


 社交界は大騒ぎになった。ありとあらゆる身分の方々が私や父上の所にやってきて、私たちに事の次第を問い正した。しかしながら私たちは何も答えられない。何も知らないのだから。


 これは大変な事になった。私と父上はエクリシアに使者を送り呼び戻して詳細を確かめようとした。その時に、エクリシアがノコノコ帰宅したのである。


  ◇◇◇


 問い詰める私たちにエクリシアはケロッとした顔でアクロード様は「お友達」だと言ってのけた。私は頭を抱えた。


 分かっていない。この馬バカ妹は全然分かっていないのだ。


 アクロード様ほどのお立場になれば、女性に親密な態度を示すだけでも十分な検討と配慮が必要になる。その次期公爵が、相手であるエクリシアが分かるほどの親密さを表したのだとすればそれでもう十分異常な事なのだ。


 これはもう確定である。アクロード様は少なくともエクリシアの事が気に入っている。周囲の者にそう悟らせても良いと考えるくらい気に入っている。それまで堅物、女嫌いで知られていたアクロード様がそこまで気に入ったと表明したのだとすれば、これはエクリシアを嫁に迎える可能性は十分にあると考えなければなるまい。


 エクリシアが次期公爵の嫁に⁉︎ トンデモない事だ。この満足な令嬢教育も受けていない、牧場で泥まみれになって働いている、真っ黒に日焼けしている上に、年中馬馬馬馬言っている妹が公爵家に嫁ぐなど。上手く行くはずがない。


 まさかアクロード様はエクリシアの容姿に誤魔化されているのではないだろうか、と思ったものの、妹曰くアクロード様はもう何ヶ月も休みの度に牧場に来て彼女が働く様子をニコニコしながらご覧になっていた、という事だった。それならエクリシアの正体が知られていない訳がない。


 そして更にエクリシアはとんでもない事を言い出した。なんと明日、公爵家の馬が競馬に出るという事で、エクリシアはそれに招待されているというのだ。


 何を呑気な顔をしているのだこのバカ妹が! 男性が女性を社交に招き、その手を引いて社交会場に乗り込むということが何を意味するかくらいは分かるだろう!


 私がそう言って初めてエクリシアの顔色が変わった。アワアワしているがもう色々何もかも遅い。


 公爵家の馬が出走するという事は、公爵閣下が競馬場においでになるということだ。我が家もそうだが、競馬開催は帝都暮らしの良い気分転換になるので、家族全員で競馬場に向かう事が多い。公爵家もそうなのであれば、公爵閣下どころか公妃様も一緒だろう。


 公爵閣下ご夫妻に「恋人です」と紹介しに行くというのだ。これはもう普通に考えて結婚秒読み段階。完全に詰んでいる。


 しかしながら、当家の事情としてはエクリシアを公爵家に嫁入りさせるわけにはいかないのだ。何しろ持参金が用意出来ないせいで嫁入りを見送っていた妹なのである。公爵家への持参金など途方もない額になるだろう。とても用意出来るとは思えない。


 私と父上は話し合い、出来れば穏便にお断り出来るよう頑張ってみよう、という事になった。


 のだが、翌日。競馬場の入り口でいきなりアクロード様がお待ちだった。もうダメだ。お終いだ。


 何しろアクロード様はそのままエクリシアの腰を抱いてエスコートして、競馬場のクラブハウスに乗り込んだのだ。競馬場の中には貴族が一杯だ。そして誰もがアクロード様のお顔を知っている。悪い事にエクリシアは子供の頃から競馬場に来ているので、ジョッキークラブの方々に可愛がられているのだ。だからアクロード様が手を引いて腰を抱いているのがどこの誰かはすぐさま見る者にバレてしまった。


 そしてあろうことか、アクロード様はそのまま三階の貴賓室に向かったのだ。貴賓室に招待する、という事には当たり前だがその者を強く信用している事を示す。エクリシアを始めとした私たちクランベル伯爵家の者達はそういう扱いを受けたのである。


 貴賓室では案の定、公爵御一家が揃ってお待ちだった。皇帝陛下の妹君である公妃様が嫣然と笑っていらっしゃったのには気が遠くなり掛けた。公爵閣下の態度は伯爵家の三女に過ぎないエクリシアを嫁に迎える気満々という感じで、これまた私は気が遠くなりそうだった。


 アクロード様が独断で暴走してエクリシアを連れてきたのなら、公爵閣下ご夫妻は反対なさると思ったのだ。しかし、どうやら公爵閣下ご夫妻には反対する気などさらさら無いらしい。


 実際、公爵閣下は我が家を既に親戚扱いなさっていた。いつでも公爵城に来ればいい。この貴賓室を使っても構わない。そんな扱いを受けて名誉に思わない事は無かったが、それよりも恐れ多くて父も私もろくな受け答えが出来なかったものである。


 それなのにあの大馬鹿妹はアクロード様からのプロポーズを言下に断ったのだ! こ、断るのは良いがもう少し断りようがあるだろうが! 幸い、アクロードは全くめげず公爵閣下も公妃様も笑い転げただけだったが、正直私は生きた心地がしなかった。


 しかし結局、エクリシアはアクロード様からの求婚を受諾した。お断りしたにも関わらず、無茶な条件を付けたにも関わらず、諦めなかったアクロード様にエクリシアも惹かれているのは明らかだった。……まぁ、我が家は大変だが、可愛い妹が想い想われた相手に嫁げるのなら何も言う事は無い。


 我が家は大変だが。本当に大変な事になったのだが。


 我が家はフェバステイン公爵家の係累になったのだ。しかも次期当主に娘を嫁入りさせた。これは大快挙ではあるのだが、通常はあり得ない暴挙でもあったのだ。


 公爵家次期当主には別の公爵家、悪くても侯爵家長女。もしくは帝室の皇女が嫁ぐのが常識だった。伯爵家の、しかも三女が嫁ぐなど前代未聞だったのである。


 伯爵家の長女であれば前例があった。しかしその場合、その娘は一族の本家の養子になってから、つまり我が家ならアロイスバーム侯爵家の養女になってから嫁ぐものだったのである。


 しかしながら、エクリシアの縁談はあまりに急であり、話が明らかになってから婚約式までにわずか三ヶ月しかなかった。私も父上もそんな昔の事情は知らなかった事もあり、本家に話を通す前に婚約が公になってしまったのだ。


 本家であるアロイスバーム侯爵家は「顔を潰された! クランベル伯爵家は我が一族を蔑ろにするのか!」と激怒した。貴族社会において、一族の繋がりは非常に重要である。いかにフェバステイン公爵家の係累になるとはいえ、一族の恩に後ろ足で砂掛けたなどという話になったら、我が家は貴族社会で村八分にされる可能性もある。


 私も父も本家に出向いて平謝りに謝った。そもそも、エクリシアの嫁入りには莫大な持参金が必要だ。これを用意するには一族の協力は不可欠だったのだ。アロイスバーム侯爵家としても、一族から皇族が出るというのは魅力のある話だった事もあり、和解に応じてくれて、持参金集めにも協力してくれた。


 エクリシアの嫁入りには持参金の他にも途方もないくらいのお金が掛かった。エクリシアの婚約式の衣装代だけでも馬五頭分くらいの費用が必要だったし、公爵城に持ち込む家具や装飾だって全部新たに造らせたのだ。とても我が家単独では用意出来ず、一族に頭を下げ倒して借金するしかなかった。


 アクロード様はそういう事情はちゃんとご存知で、何かと我が家にお金が回るように配慮して下さった。エクリシアのために造らせた馬場(!)に入れる馬や牧夫の移籍料という名目で莫大な料金を払って下さったし、後にはガーナモントという馬を購入して下さる際にはこちらが提示した金額の五倍のお金を払って下さった。


 それ以外にもアクロード様は、エクリシアが無理難題を言って婚約の条件としたクラーリアという馬についての揉め事の際には自ら馬を駆って嫁取り競馬に勝利した。貴賤結婚と陰口をきかれ、慣例を覆す事について古株の貴族に色々言われても、アクロード様は一貫してエクリシアと我が家を護って下さった。


 なんというか、私は申し訳なくなり、ある時アクロード様にお礼とお詫びを申し上げた事がある。


「妹と我が家に対して過分なご配慮をいただき感謝と慚愧の念に耐えません」


 すると、アクロード様は存外真面目な表情で私に言った。


「義兄殿。この程度、エクリシアのためであれば決して過分ではない。これは私が彼女を愛しているから、というだけではないぞ。エクリシアならこの程度の投資はすぐに取り戻せるほどの利益を、我が家にもたらしてくれると信じているからだ」


 私はこの時は、アクロード様のお言葉が何を意味するのかさっぱり分かっていなかったのだが、やがてエクリシアが戦争の時になぜか「馬大臣」になり、どういうわけだか帝国の馬についてのあらゆる事を取り仕切るようになってから、ようやく理解出来るようになった。


 確かにエクリシアの活躍と尽力で、帝国の馬についての考え方は変わり、競馬は盛り上がり、その結果馬産が家業である我がクランベル伯爵家も大きく潤う事になった。フェバステイン公爵家との強い繋がりのおかげで北の王国から良質の馬を輸入出来るようになり、次々と強い馬が生産されて、我が牧場の馬は帝国競馬を席巻する事になるのである。


 エクリシアは結婚後に、私にこう言った事がある。


「私がアクロード様と結婚出来たのは、お父様とお兄様が私の好き勝手を許して下さったおかげですわ。ありがとうございます」


 ……別に許していたわけではなく、諦めていただけなのではあるが。


「外聞とか体裁とかを考えたら、普通は嫁ぎ遅れの娘なんてお屋敷から出さないものでございましょう? 私、クランベル伯爵家に生まれて本当にようございました」


 エクリシアはそう言って本当に幸せそうに笑ったのだった。

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次期公爵の婚約者は馬ぐるい令嬢! 宮前葵 @AOIKEN

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