閑話 お嬢の事  ロラン視点

 俺はロラン。クランベル伯牧場で牧場長をしている。


 クランベル伯爵家は帝都近郊に領地を持っていて、そこに大きめの牧場を持っていた。


 伯爵家の事情として、そもそも領地の土地があんまり肥えていなくて麦があまり育たない、というのがあったらしい。それまでは領地関税と宿場で収益を上げていたんだか、五十年くらい前に領地関税か禁止になり、馬車の移動速度が速まったせいか宿場もあまり儲からなくなったのだそうだ。


 それで、牧畜を新たな収益源にしようとしたんだろうな。最初は牛や羊を飼っていたんだが、その内に馬で成功したので馬に注力するようになったみたいだ。


 伯爵の領地は土地は肥えて無くて麦は実らなかったけど、どうも良い草が生える土地だったらしい。それを喰わすと馬が丈夫に育ったんだな。馬というのは過酷な労働をしなきゃならん生き物だ。丈夫に越したことは無い。それで軍馬、荷馬や農耕馬から初めて、俺が生まれた頃にランニングホースの生産を始めたんだ。ちなみに、当時の牧場長は俺の祖父だな。


 最初にランニングホースを見た時には随分綺麗な馬がいるんだな、と思ったな。それと、気性が荒くておっかない。実際、普通の馬は面倒見ている時に暴れたり噛んだりする事は少ないんだけど、ランニングホースは気に入らないことがあると直ぐに人に噛み付いたから驚いたよ。


 ただ、ランニングホースは結構良い儲けになったみたいだ。売り先が貴族様だからな。それで親父も先代の伯爵も何頭かのランニングホースを購入して交配させたり、他の牧場の種牡馬と交配させたりしていた。ちなみに、牧場長としてランニングホースを管理するようになった今でも、俺は競馬を見たことが無い。だから馬の駆けっこに使う馬がこんなに高価になるというのが未だにイマイチ理解出来ないでいる。


 さて、そんな風にクランベル伯牧場では馬を主に生産していった訳だが、俺が牧場を継いだ頃、牧場にエクリシアお嬢がやってきたわけだ。


 その頃はまだ十歳にもなっていなかったな。小さい貴族のお嬢ちゃんが伯爵と奥様に連れられて遊びに来たわけだが、その時からお嬢は馬を全然怖がらなかったよ。むしろ不用意に馬に近付いて蹴られないように引き留めた。だけど馬たちも最初からお嬢に懐いていたな。


 それから、お嬢は休みの度に牧場に遊びに来るようになったわけだ。お嬢は兎に角変わっていてな、俺たちの仕事をやりたがるわけだよ。どうしたものかと思っていたんだが、伯爵様がやらせても良いと言うから、仕方なく馬糞の掃除から馬磨きまでやらせた。そうしたらお嬢は事の他喜んでな。キラキラ顔を輝かせて笑ったもんさ。


 そうしてお嬢はだんだん牧場に入り浸るようになっていったな。伯爵曰く、三女であるお嬢を嫁に出す金は無いので、好きにさせて良いという事だった。


 お嬢は馬の、特に若馬の扱いが上手くてな。お嬢に馴致された馬はどれも素直に育ったんだ。あの荒馬であるランニングホースもお嬢の手に掛かると従順になるんだからかなりの腕だったよ。その様子を見て伯爵はお嬢に馬の事を任せるようになっていった。


 お嬢は馬が好きで兎に角大事にしているんだが、それはそれとして馬が商品であるという事は完全に理解していた。ダメな馬はすぐに肉にする決断が出来るんだな。その代わり、育てると決めた馬は周囲がどんなにダメだと思っても真摯に世話をして、必ず立派に育て上げた。


 おかげでクランベル伯牧場の収益は上がったし、生産する馬の評価は高まった。貴族様がわざわざ牧場にやってきて馬を買い付けて行くようになったくらいだ。そういう時は貴族のお嬢様であるお嬢が居てくれて助かったよ。俺では貴族様の相手は出来ねぇからな。


 お嬢は一流の馬乗りに成長して、ランニングホースも軽く乗りこなしていた。若馬は些細な事で驚いたり暴れたりしてよく落とされるから、俺はヒヤヒヤしていたがね。でも、なんだかんだ言ってウチの牧夫牧童の中では一番上手かったから、任せるしかなかったんだ。


 お嬢はだんだんお屋敷に帰らなくなって、俺の家の一室に荷物を運び込んで住み着くようになっちまった。何でも家に帰ると奥様がなんとかどうにか結婚させようとして煩く言うらしいんだな。それでお屋敷に帰りたく無いらしい。


 まぁ、お嬢は美人だと思うから奥様の気持ちも分からないでは無かったがな。ただ、俺の家に住み着いて、毎日一緒に働いて、俺や家族と一緒に仲良く飯食ってるんだもの。その内俺はお嬢が家の娘みたいに思えるようになっちまってな。嫁に行かれたら寂しいと思うようになっていたよ。


 そんな風にして過ごしていたある日の事だった。


 貴族様の馬車が牧場に来たんだ。それ自体はあんまり珍しいことでも無かったんだけど、降りてきた紳士が普通じゃなかったな。


 立派な身なりの若い紳士で朝日の光のような色の髪色だった。そして帽子を取ったらこれが恐ろしいくらいの美男子だ。俺はちょっと愕然としたね。その美男子が楽しそうに微笑んでお嬢の事を見たんだ。


 俺は直感したね。これは、この紳士の狙いは馬でなくてお嬢だとな。馬の話しかしないお嬢と話を合わせてはいたけれども、紳士が見ているのは常に馬じゃなくてお嬢だったからな。


 ついにお嬢にも良い人が現れたかと思えば、それはめでたい事だと思ったし、同時に娘を奪われるような気分にもなったさ。でも、お嬢は所詮、伯爵様からの預かり物。貴族の世界に戻れるならお嬢だってその方が幸せだろう?


 その後何度も来るようになったその紳士、アクロード様だけど、単なる美男子ではなくてな、物凄く良い方だった。物腰は丁寧なんだけど毅然として堂々とした方でな、若いのに風格があるんだ。平民である俺や牧夫にも普通に話掛けてくれてな、馬を買いに来る貴族様連中のように俺たちを蔑視したり無茶を言ったりしない。


 俺たちの邪魔にならないようにしてくれて、じっとお嬢が馬に乗るのを見ているんだ。あんなに良い人ではお嬢との縁談には反対出来ないよなぁ、と俺は女房や子供達と嘆いていたよ。


 案の定、縁談は成立してお嬢はお屋敷に戻る事になった。お嬢は帰りたく無さそうだったが、そういうわけにもいかない。俺たちだって寂しかったが、あんな良い男の縁談なんてそうあるもんじゃないからな。泣く泣くお嬢を見送ったよ。


 お嬢は貴族の奥様になるんだから、これでもう俺達との縁は切れた。もう二度と会うこともなかろうよ。俺たちはそう思っていたのさ。


 ところが、お嬢がいなくなってもアクロード様はたまに牧場にいらっしゃった。そして馬の様子を聞いたり、お嬢からの伝言を伝えたりしてくださった。俺たちは感服したね。これはこの方は本当にお嬢を大事にしてくれているんだなって。これなら安心してお嬢をお預け出来るってな。


 そしてある日アクロード様が俺を呼んで驚きの話を持ちかけた。


 何でも、ご自分のお屋敷の中に牧場を造るから手伝って欲しいとの事だった。は? お屋敷の中に牧場? と俺たちには意味が分からなかったんだが、他ならぬアクロード様の頼みだからな。俺たちは了承してアクロード様の差し向けた馬車で帝都へ向かった。ちなみに馬車に乗ったのなんて生まれて初めてだったぜ。


 ……いやぁ、貴族様の屋敷ってスゲェんだな。城壁をめぐらせてある丘全体がお屋敷だって言うんだけど、家の牧場くらいあるんじゃないか? そこに何だか土を放り起こされた広い土地があって、そこに競走馬が走らせられる馬場と放牧場、厩舎を造るとの事だった。


「エクリシアのための馬場だから」


 とアクロード様が仰ったのにはちょっと感動したな。いくら掛かるか知らんけどこんな大工事をお嬢のためにしてくれると言うんだから、お嬢がアクロード様の嫁として大事にされるのは間違い無いと思ったさ。俺たちは張り切って馬場の造成に取り組んだ。


 完成した馬場と厩舎の責任者には俺の息子のレオックを入れた。あいつならお嬢とも子供の頃からの付き合いで気心は知れているし、馬の扱いも間違い無いからな。この馬場には家の牧場から育成馬を送り、ここでお嬢に馴致と育成をしてもらう事になった。


 ただ、家の馬はクランベル伯爵家の持ち物だ。他家の嫁に行ったお嬢の馬場に送ってしまって良いものか。俺はそう思ったのでアクロード様に尋ねたんだが、彼は一笑に付したな。どうも伯爵様よりアクロード様の方がお偉いらしいと俺はこの時初めて気が付いた。まぁ、そうかもな。明らかに威厳が違うからな。


 お嬢の馬場と家の牧場の間には定期的に馬と人のやり取りをした。だからお嬢が馬場を見て狂喜したとか、ガーナモントを競馬に出すべく勇んで乗っているとかいう話が聞こえてきて嬉しかったね。レオックからは貴族の奥さんとして頑張っているという話も聞いていた。俺も女房もまぁ、安心したよ。何やら色々あったらしくて、クランベル伯牧場に来る貴族も増えたんだが、それがなんだか以前よりも丁重な態度の方々ばかりで、前みたいに無茶苦茶な事をいう奴はいなくなっていたな。


 やがて、戦争の噂が聞こえてくるようになってな。クランベル伯爵家としては馬で帝国の役に立とうという話になったそうで、牧場からは根こそぎ馬を持って行かれた。残ったのは二歳にならない子馬と種牡馬、母馬だけだったな。俺たちとしては仕事が無くなって困ったけど、戦争なら仕方が無い。以前の戦争ではこれに加えて牛や豚まで供出させられて、更に物資の流れも滞り、戦争が終わるまで馬の餌である大麦を喰ってしのいだ事もあったからな。


 で、仕事も減ってどうしようかと思っている俺たちの前に、突然お嬢がもの凄く綺麗な馬に乗って現れたというわけだ。最初は何事かと思ったね。


 お嬢は「私は馬大臣になったので、帝国軍の軍馬の面倒を見ることになったの。だからロラン達にも手伝って欲しいのよ」と言い出した。馬大臣? 大臣がなんだかは知らないが、貴族の奥様であるお嬢がなる位なんだからきっと大した役職なんだろう。それに他ならぬお嬢の頼みなら否や無い。俺たちは言われるまま遠出の準備をしてお嬢の手配した馬車で何日も掛けて目的地に向かった。


 そこは何とかという貴族様の牧場で、お嬢が借りたのだという話だったな。そこには元々いた牧夫の他、帝国各地から集められた牧童が何百人もいた。なんだこりゃ? お嬢は何をしでかすつもりだ? こんなに牧夫を集めてどうするつもりなのか?


 理由は直ぐに分かった。次々と馬が運ばれてきたからだ。戦場で怪我をしたり病気になったり、疲れすぎた馬たちだそれが続々と運ばれてくる。お嬢は俺たちにこの馬たちを治して、また戦場に送り返すように命じたんだ。


 何しろ何百頭という馬が入れ替わり立ち替わりやってくるんだ。何百人もの牧夫がいたっててんやわんやだったぜ。俺は他の牧場の年嵩の牧夫と協力して馬たちの管理の計画を立て、それはもう大騒ぎで馬たちを治療し、休ませ、そして戦場へと送り返した。


 その牧場は飼料の中継基地にもなっていたから、続々と帝国各地から馬用の飼料が送られて来た。俺たちはそれを戦場に帰る馬たちに背負わせて戦場へと送り届けた。


 それほど大きな戦闘は起きていないという事だったが、馬は環境変化に弱いからな。病気になって戻される馬、そして山道を走って脚を挫いた馬は多かったな。それを放牧するなり薬を飲ませるなりして治療する。色んな馬がいたな。荷車を引く重種馬から険しい山道を登らせる用のロバまでだ。お嬢は流石に帝都から何日も掛かる牧場には来なかったけど、頻繁に使者を寄越して命令を伝えてきたな。相変わらず馬を大事にしろ、人より馬が大事だ、言っているようで、あの勢いでお偉いさんにガンガン馬についての要求を出していたらしい。


 いや、忙しかったけど、この時にいろんな牧場の連中と話したり仕事ぶりを見たりしたのは勉強になったな。餌の種類だとか、放牧のやり方、怪我や病気の治療の仕方というのは何処の牧場でも秘密なんだが、ここではそんな事は言っていられなかったからな。大いに色んなものを盗ませて貰った。勿論、俺のやり方も沢山盗まれただろう。戦争が終わってからも何人かとは連絡を取り合う仲になったな。


 やがて、戦争がどうやら終わったとの事で、そのタイミングで俺たちは何故か移動を命じられた。てっきり帰るのかと思ったら、どうやら様子が違う。俺たちはなんと戦場に送り込まれた。勿論、戦争はもう終わっていて片付け段階。敵味方の兵士の遺体は埋葬されて跡形も無かったけど、大砲の跡とかはまだ生々しく残っていた。


 俺たちはここで、敵が遺棄していった馬の捕獲を命じられた。なんだそりゃ。まだ戦地にいたアクロード様が(なんと軍の将軍様だそうだ)俺を呼んで言うには、戦場に残された馬はアクロード様の物になるのだそうで、出来るだけ多くの馬を捕獲して欲しいとの事だったな。アクロード様の物ということはお嬢の物にもなるわけだ。お嬢なら一匹も残すな! と言うに決まっている。俺たちは張り切って戦場跡を駆け回ったよ。


 結局三百頭くらい捕獲したんだったかな? あんまり元気の無い馬が多かったが、捕獲して元の牧場まで連れ帰り休養させた後、俺たちはその馬たちを引き連れて指示された牧場まで一ヶ月くらい掛けて行った。何百頭もの馬をゾロゾロ連れて行くんだから大変だったぜ。一頭でも死なせたり逃がしたりしたらお嬢が怒るだろうしな。


 アクロード様の家の牧場という、途方も無い広さの牧場に馬を預けた後(そこの牧場主はお嬢を絶賛していて、俺とも仲良くなった)俺たちはようやくクランベル伯牧場に帰った。後でお嬢は牧場まで来てくれて俺たちに大感謝をしてくれたな。供出した馬もほとんどがちゃんと帰ってきて一安心だった。

 

 暫くしてお嬢とアクロード様の結婚式があって(どうやらまだ結婚式をしていなかったらしい)俺たち牧夫まで招待されたよ。まぁ、とんでもない大きさの神殿の端っこに立ってただけだけどな。それでも嬉しいじゃないか。娘とも思うお嬢の結婚式に立ち会えたんだ。俺も女房もキラキラピカピカに着飾った綺麗なお嬢の姿を見てボロボロ涙を流したよ。息子のレオックはその前のパレードでガーナモントを引いて先導を務める名誉ももらった。こんなに平民の牧夫を大事にしてくれる貴族の奥様はいないと思うぜ。


 この先もお嬢の事を応援して、助けていこうと俺も牧夫達も強く誓ったよ。まぁ、そのせいでその後に本当にお嬢からの無茶振りが降り注いできても逃げられなくなっちまったんだけどな。お嬢はあれで人使いが荒いからな。でもちゃんと俺たちの事も考えてくれている事は分かるから俺たちも頑張れるんだよ。


 まぁ、お嬢にとっては馬の方が大事なんだろうけどな。それでも良いんだよ。俺にとってはお嬢の事が一番大事なんだから。

 

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