閑話 お坊ちゃまの恋 クラバード視点
私はクラバードでございます。フェバステイン公爵家で侍従長を務めさせて頂いております。
私は今年で五十五歳ですので、現公爵閣下であるロバリード様が生まれた頃より公爵家にお仕えしております。当然、アクロード坊っちゃまの事はお生まれになった時より存じ上げておりますとも。
ロバリード様のご長男であり唯一の男子であるアクロード様は、幼少時から利発なお子様でした。素直で活発で、公爵城中の使用人全員から愛されるお子でしたよ。
長じて、特に剣術や乗馬といった軍事関係の事に強い興味をお示しになり、そもそも軍事関係で帝国に貢献してきたフェバステイン公爵家としてはそれは願ってもない事でしたので、ロバリード様は大層お慶びになりましたね。
十三歳で成人して社交界デビューされますと、なにしろ凛々しくお育ちになりましたから、その日から令嬢達の熱い視線を独占したものでございます。この頃は私もロバリード様も公妃様であるファランティーネ様も、アクロード様のご結婚について何の心配もしていませんでした。
むしろ、ロバリード様の若かりし頃のように、女遊びに精を出すようになってしまう事を警戒していたくらいです。今ではすっかり落ち着いて貫禄も付いたロバリード様ですが、当時は先代公爵閣下の頭痛の種だったのですよ。
ところが、アクロード様は群がるご令嬢に、さっぱり興味を向けなかったのです。それどころか隣国の王女様が表敬のために帝国にお越しになり、アクロード様に一目惚れして騒動になった時も、坊っちゃまはただひたすらに迷惑そうなお顔をなさるだけでした。
理由はいくつかあったようでございますね。ある時坊っちゃまがポロッと溢されたのですが曰く「しつこくて煩いのは嫌いだ」という事でした。アクロード様はご自分のやることの邪魔をされるのが嫌いで、しつこいご令嬢はその際たるもの、とお考えのようでしたね。
なにしろ坊っちゃまは大人気でしたから、社交の時だけでなく、騎士団の内勤で帝宮でお仕事されている時にも、訓練の最中にもご令嬢方が集まってしまって大変だったようなのです。我慢出来なくなったアクロード様は、軍務にかこつけて国境地帯に逃げてしまわれました。
危険な国境の任務で名将と呼ばれるほどの実績を重ねたアクロード様でしたが、国境での厳しい経験のおかげでより一層、帝都の貴族達が腑抜けたものに見えてしまうようでして、甘ったるい態度の令嬢方には嫌悪感すらお持ちになってしまうようでしたね。
アクロード様が二十歳を超えられた辺りで公爵閣下も公妃様も焦り出しました。公爵家唯一の男子が結婚しなければお家は断絶してしまいます。お二人は必死に見合いの席を設定し何人ものご令嬢と引き合わせましたが、坊っちゃまは一顧だにしません。それどころ縁談を持ち掛けられるのを嫌って、より一層国境から帰ってこ来なくなります。
何とかアクロード様が女性に興味を持ってくれないものか、こうなれば子供が産めるならどんな女性でも良い、とまでロバリード様は切羽詰まっておられましたね。
そんなある日、公爵ご一家はダフネス競馬場にお出掛けになりました。公爵閣下所有の馬が競馬に出るので見届ける為です。所有馬を競馬に出す時は、オーナーでありジョッキークラブの会員である公爵閣下が競馬場に行く決まりですからね。
競馬場は帝都郊外にありますので、都会の喧騒から抜け出すちょっとしたバカンスになります。その為。競馬をご覧になる時は公爵閣下お一人で向かう事は稀で、大抵公妃様、そして姫君お二人を伴って向かわれるのが普通です。
しかしこの時アクロード様がご一緒されたのはたまたまでした。珍しく帝都におられた事と、ご令嬢が煩く、更に皇太子殿下にまで結婚話を持ち掛けられるから帝宮には行きたくないという事で、ご一緒されたのです。
馬車で数時間掛けて競馬場に参りますと、ジョッキークラブの理事長であるクレバーン侯爵がお出迎え下さいました。他にも多くの貴族が公爵閣下にご挨拶に参りまして、公爵ご夫妻は二階の貴族用観覧席で皆様と談笑を始めます。姫君お二人も知り合いのご令嬢を見つけて馬を見ながら笑顔でお話になっていましたが、アクロード様だけはさっさと三階の貴賓室に上がってしまいました。
私はアクロード様にお供して貴賓室に入りました。坊っちゃまは中で上着を脱いで寛いだ格好になると、バルコニーに出て暖かな風に吹かれ、白金色の髪を靡かせ、気持ち良さそうに目を閉じます。何しろ美男子の坊っちゃまですから絵になる姿でございましたね。私はグラスに果実水を注いでお持ちしました。
「ああ、ありがとう。クラバード」
アクロード様はグラスに口を付けるとバルコニーから下を見下ろしました。アクロード様は馬はお好きですが、競馬にはあまり興味がお有りではありませんでした。競馬には賭け事の側面がありますからね。潔癖な所のあるアクロード様は賭博を嫌っておられたのです。
なんとはなしに私も坊っちゃまと一緒にバルコニーから競馬のレースの様子を見ていました。それは丁度レースが一つ終わって、馬たちが下見所まで引き上げて来た時の事でした。
その時、緑色の外出ドレスに身を包んだ若い女性が馬の方に駆け出して行くのが見えました。勝ち馬の関係者でしょうか。帽子の後ろから枯れ草色の長い髪が靡いていましたね。
そしてその女性は帽子をポイと投げ捨てると、馬の側に歩み寄り、馬の首にガッチリと抱き付きました。私は驚きましたね。競馬を終えた馬は汗をかいていますし、興奮しています。それに抱き付く貴族令嬢とは、これまた変わった女性もいたものです。
更に驚いた事にそのご令嬢は騎手が馬を降りて後検量に向かうと、ご自分で馬を引いて歩き始めたのです。普通は平民の牧童の仕事ではありませんか。それなのにご令嬢は馬に何やら話し掛けながら嬉しそうに誇らしげに馬を引いています。
それを見てアクロード様も驚いたようでした。私に尋ねます。
「なんだあれは。どこの家の令嬢だ?」
私は馬を引いて歩く令嬢の側でクレバーン公爵と話をしている人物を見ました。あれは……。
「クランベル伯爵、ああ、思い出しました。あれが有名な『馬ぐるい令嬢』でしょう」
「馬ぐるい令嬢? なんだそれは」
アクロード様が興味をお持ちになったようでしたので、私は社交界で耳にいたしました、クランベル伯爵家の三女が馬好きで有名だ、という話を致しました。近年、クランベル伯爵家は馬の生産でその家名を高めています。それに絡めて、娘を馬の神に捧げたらしい、などとやっかみ半分で言われているのです。
アクロード様は面白そうにお笑いになりましたが、その時はそれで終わりました。たわいも無い噂話。クランベル伯爵家は家格も低く、エクリシア様は三女です。アクロード様とは身分違いが過ぎます。それに別にアクロード様は瞬間的にエクリシア様に興味を持たれただけ。それ以上の事は無い筈、でございましたね。
◇◇◇
それから二年ほど後の事でございます。相変わらず坊っちゃまに女性の気配は微塵も無く、ロバリード様も公妃様も悩みに悩んでおりました。兎に角、ご令嬢と引き合わせなければ何も起こらないということで、公爵閣下はアクロード様を春の儀式にかこつけて無理矢理に呼び出しました。
帝都にご帰還なさったアクロード様はそれは不機嫌で、お疲れのご様子でしたね。この頃にはご令嬢に群がられるのをことの他嫌がるようになってしまっていまして、夜会に行きたくないと散々ゴネてからようやくお出かけになったのでございます。
そして夜会にはどうにか出席されたのですが、宴もたけなわという頃に「もう良いだろう。私は国境に帰らねばならぬ」と言い出しました。私は慌ててお止め致しましたよ。皇帝陛下主催の大夜会を中座するなんて皇帝陛下の面目を潰す行為です。許すわけには参りません。
すると坊っちゃまは「少し風に当たってくる」と庭園に降りて行かれました。何人ものご令嬢と侍従や護衛騎士が一緒に行ったので安心していたのですが、なんと坊っちゃまはすぐに皆を撒いて行方不明になってしまいました。なんとも困った坊っちゃまです。
私はロバリード様にご報告をしました。閣下はちょっと苦笑いをしていましたね。皇帝陛下には公爵閣下からフォローして下さるでしょう。陛下は甥であるアクロード様に甘いですしね。
ところがです。もう少しで宴も終わりという頃合いで、大広間が大きく響めきました。
なんとアクロード様が一人のご令嬢の手を引いて、庭園から広間に上がって来たのです。な、何が起きたのでしょう? その妙に色黒なご令嬢の、枯れ草色の髪に見覚えがございました。あれは、確かクランベル伯爵令嬢では?
しかし、クランベル伯爵令嬢はすぐにアクロード様から離れると、さっさと退場してしまいました。周囲はザワザワとしていますがアクロード様は「庭園で迷ったので案内をしてもらったのだ」と何食わぬ顔で説明なさっていましたね。
何しろ身分差はありますし、それまで何の噂も無かったお二人でございます。これでお二人の関係を詮索するにはネタが弱く、しかもその後、エクリシア様は一切社交に出て来ませんでしたから、お二人の関係が話題になる事はその後ほとんどありませんでした。
しかし、この日からアクロード様が見違えるように明るく穏やかになり、国境にどうしても戻らなければ、と言い出さなくなったのです。そして、何やら休みの度にいそいそと郊外へと出掛けて行くようになりました。
こ、これは! 公爵閣下ご夫妻も私も色めき立ちました。公爵閣下はすぐに馬車の御者を尋問して、アクロード様が郊外のクランベル伯牧場に通っており、どうやらそこで牧夫のように暮らしているエクリシア様とお会いしている事を掴んだのです。
格の低い伯爵家の三女とはいえ、立派に貴族令嬢。平民に恋人を作られるよりは全然マシだということで、公爵閣下も公妃様もアクロード様の恋を容認する事に致しました。というより、これを逃したらアクロード様は結婚しないかもしれないという事で、余計な邪魔が入らぬよう公爵城の使用人には厳重な緘口令が敷かれました。おかげで、数ヶ月後にもの好きな貴族が尾行して判明するまで、アクロード様の微行先がクランベル伯牧場、そしてエクリシア様との逢瀬であるという秘密は守られたのでした。
アクロード様は牧場通いを始めてから、表情は明るくなり、ご機嫌なご様子でした。公爵御一家も私もその変化を知りながら、アクロード様には何も言いませんでした。しかし、アクロード様がいつ自分の恋心を打ち明けて下さるかを楽しみに待っておりましたよ。
そしてついにある日の朝食の席で、アクロード様が公爵閣下に仰ったのです。
「父上にご相談があります」
「なんだ、アクロード。改まって」
と言いながらロバリード様は口元がニヤニヤしています。遂に来るべき時が来たという感じです。アクロード様は少し緊張したご様子で、ロバリード様に仰いました。
「結婚したい女性が出来ました。会って評価して下さいませんか?」
評価して欲しいとは意外なお言葉です。アクロード様のご性格からしたら、結婚すると決めたら何をどうしても結婚すると言うと思うのですが。
しかしロバリード様は流石でございます。ニヤッと笑って言いました。
「自信があるというわけか」
「はい。会えば父上も母上も絶対に気に入っていただけると思います。面白い女性なので」
結婚相手を表現するのに「面白い」とはなんとも。公爵閣下は笑い、公妃様は若干不安そうなお顔をしております。ただ、お二人共、もうエクリシア様の事は詳細に調べさせて、三代前の先祖の事から全てご存じです。その上でこの縁談をこのまま推し進める方針を既に決めておられました。
反対などしたらアクロード様のあのご性格です。二度と結婚を言い出さないかもしれませんし、そんなことになったら公爵家はお家断絶一直線です。
アクロード様は競馬場でエクリシア様を紹介すると言い、公爵閣下は所有馬を二週間後のレースに出場させる事に決めたのでした。
当日、私はあいにく用事があって競馬場に行く事が出来ず、アクロード様の渾身のプロポーズをエクリシア様が見事に断ったところは見ていないのですが、お帰りになった皆様は何だか大笑いなさっていましたよ。
「面白い。あれは面白いぞ。アクロード。何としても我が家に迎え入れなけばならぬ。陛下には私と妃からもお願いの手紙を書くゆえ、其方も参内して自らクラーリアとかいう馬を譲ってくれるよう頼むがいい」
「もちろんですとも。つきましては父上、婚約の内諾を得られたら、エクリシアのために贈り物をしたいのです」
「贈り物? あの娘がそんなモノを喜ぶものか? 馬以外にはまるで興味が無さそうだったが……。ああ、そうか。馬を贈るのか?」
「いえ、父上。エクリシアは馬は好きですが、それより馬に乗る事がもっと好きなのです。それなのに婚約して公爵家に入って、馬を駆けさせる機会が無くなったら悲しむ事でしょう。私は婚約者を悲しませる気などありません」
アクロード様は幸せそうな笑みを浮かべて仰いました。それを見て私は感慨深いものを覚えましたね。あの女嫌いのアクロードお坊っちゃまが、初めて女性の事を想って愛おしげに笑っているのですからね。
ただし、続けて言い出した事はなかなか物騒でしたよ。
「ですから馬場を造りたいのです」
私は首を傾げました。公爵城内には既に馬場はありましたのでね。ロバリード様も不審げに眉を顰めます。
「馬場ならあるではないか」
「あんなモノでは足りません。屋敷から遠いですし。もっと大きい競走馬用の馬場を、屋敷のすぐ側、そう、その森の別邸の辺りに造りたいのです」
森の別邸というのは、何代か前の皇帝陛下が隠居用に建てたお屋敷で、この公爵城がまだ離宮だった頃に建てられたものです。当時の名建築家、造園家が手掛けた素晴らしいお屋敷です。……嫌な予感が致します。
「ですから、あの別邸をぶっ壊す許可を頂きたい」
私もロバリード様も流石に唖然としてしまいました、流石にそれはちょっと……。確かにあの別邸は今は公爵家の所有物ですが、元々は皇帝陛下の隠居場です。言うなれば皇族の共有物とも言うべき代物で、フェバステイン公爵家の独断で壊して良い物とは思えません。
しかしながら公爵閣下はうーんと唸った後、ポツリと言いました。
「確かに、エクリシアは馬に乗れなくなったら逃げてしまうかも知れんな」
「そうです。しかし、馬に乗せてあげられさえすれば、彼女はその才覚で公爵家のために必ずや役立ってくれるでしょう」
ロバリード様はファランティーネ様の事を見て仰いました。
「別邸と嫁とどちらが大事かな」
「嫁でしょう」
公妃様は即答なさいましたね。この方もなかなか思い切りが良い方です。
「あんな、誰も使っていない屋敷など、嫁の大事さと比較になるものですか。アクロード。私が許します。やっておしまいなさい」
公妃様は皇帝陛下の妹姫です。その公妃様のご許可があれば怖いものはありません。アクロード様は満面の笑みを浮かべて頷きましたよ。
「ありがとうございます! これでエクリシアは必ず私の妻になってくれる事でしょう」
アクロード様だけでなく、公爵閣下も、気難しいところのおありになる公妃様までもがエクリシア様の事を随分と気に入っているようです。よほど「面白い」方なのでしょう。私も俄然、エクリシア様に対する興味が大きくなって来ましたよ。お会いするのが楽しみです。
そして、私は婚約式を終えて、初めて公爵城に入場なさったエクリシア様を出迎えて、初対面のご挨拶をしたのです。
「初めてお目に掛かります。エクリシア姫。私はクラバード。このお屋敷の侍従長を務めさせて頂いております。何なりとご用命くださいませ」
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