閑話

閑話 馬ぐるいお嬢様  ミミリア視点

 私はミミリアと申します。フェバステイン公爵家の侍女で、次期公爵のアクロード様の婚約者であるエクリシア様の専属侍女です。


 私が公爵家の侍女になったのは二年前。成人の儀式があった十三歳の時ですね。私はロスパー伯爵家の三女でして、実家の都合で公爵家に侍女として入ったのです。


 なので、侍女経験が二年しかありません。普通、公爵家の方々の専属侍女は侍女としての経験が豊富な方がなります。それなのに嫁入りして来られるエクリシア様の侍女に私は抜擢されたのです。意外な事に目を瞬く私に、侍女長のニルベニア様は仰いました。


「なんでも、元気な侍女を付けるようにとのアクロード様からのお達しなのよ」


 元気。いえ、確かに私は元気ではあります。お屋敷の侍女の最年少でもありますし。しかし、お嬢様に付ける侍女の条件に元気さとは、あんまり聞かない条件ではあります。


 そういう訳で、私は嫁入り(正確には婚約してのお屋敷入りなので違うのですが)なさったエクリシア様に緊張してご挨拶をした訳です。


 エクリシア様は美人なことは美人でした。年齢は十八歳で私よりも三つ歳上。背は比較的高く、スタイルは平凡でした。ただ、後で分かりましたけど、非常に筋肉質な体格です。そのため驚くくらい力持ちでした。


 髪の色は薄茶色で艶々しています。枯れ草色だとご本人は仰っていますけども、私は夕日を浴びた小麦の畑のように美しい色だと思いますよ。お手入れのし甲斐がある髪です。


 お顔立ちは大きな水色の目が特徴的です。贅肉が少ないのでふっくらとしておらず、好みが分かれるところはあるでしょうけど、十分に美人の範疇に入るお顔立ちです。後に、妊娠して少しふっくらなさったらよりお美しくなられましたよ。


 容姿は美人と言えましたけど、少し所作が雑で、動きが機敏すぎて優雅さに欠けるところがございましたね。その辺はニルベニア様が少しずつ注意して、エクリシア様も意識して直していらっしゃいました。


 しかしながら飛び抜けた美人と言うほどではありません。正直に申し上げまして社交界にはエクリシア様よりも美人である方はいくらでもおられるでしょう。それなのに、エクリシア様は幾多のライバルを押し除けて次期公爵であるアクロード様の婚約者の座を勝ち取りました。


 しかもエクリシア様は伯爵家の三女です。伯爵家の三女といえば私と同じ立場です。それなのにエクリシア様は明らかな身分差を乗り越えてアクロード様に望まれたのです。最初私はその理由が分からず、エクリシア様に嫉妬に近い感情を持ったものでした。


 それにしても、どうしてエクリシア様の侍女には「元気であること」が必要なのでしょうか。その理由はエクリシア様がお屋敷に来られたその日に明らかになりました。


 数ヶ月前から何やらお屋敷の敷地で大きな工事をしているなぁ、とは思っておりました。私はエクリシア様のお部屋の準備に忙しくて現場を見てはいなかったのでよく知らなかったのですが。


 しかし、アクロード様に手を引かれて行くエクリシア様にお供して向かったその先は、なんだか大きな牧場? になっていたのです。はい?


 ここには森の中に何代か前の皇帝陛下だか公爵閣下だかが隠居用に建てた何軒かの別邸が建ち、趣のある庭園があって、静かな場所だった筈です。そこがバーンと吹きっ晒しになり、馬が走っています。私は唖然としてしまいました。


 しかし、説明を受けたエクリシア様は狂喜しました。それまでは婚約式と披露宴の疲れでなんだかダルそうにしていたのに、突然元気になられ、馬場を走り回り、厩舎に飛び込んで馬を撫でまくっています。


 アクロード様の手を引いてエクリシア様の為に造られた広大な馬場を隅々まで見て回っています。最初は付いてきていたニルベニアや年嵩の侍女達は途中で脱落してしまいました。私も大変でしたけど、エクリシア様もアクロード様も幸せそうに手を取り合われて、暗くなるまで歩き回っておられました。なるほど、これでは経験豊富で年齢のいった侍女は付けられませんね。


 翌日からはもっと大変でした。


 エクリシア様は毎朝とんでも無いほど早起きをいたします。貴族女性は普通、朝の八時くらいにゆっくりと起床なさいます。これはあまり早起きしてしまうと、侍女達が行う朝の準備が終わらないからです。起きたら洗顔か軽い湯浴み、お化粧お着替え、そして朝食です。


 ところが、エクリシア様は朝日が出るずっと前、四時くらいには起きてしまわれます。そして乗馬服を着ると一目散に馬場へと向かわれるのです。これには参りました。


「別に着替えるのも何もかも自分でやるから良いわよ。みんな寝てて」


 と仰るのですが、そういう訳にも参りません。


 という事で、私はエクリシア様よりも少し早起きする事になりました。どうしてこうなった。


 四時前に起きて洗顔のお支度とお着替えの準備をして、エクリシア様のご起床をお待ちするのです。それが侍女のお役目なのですから仕方がありません。


 エクリシア様はお起こししなくてもパッと目を覚まします。寝起きも非常に良く、寝ぼけた様子も見せません。そしてあっという間に洗顔と着替えを済ますと、お部屋を飛び出して馬場に駆け付けるのです。


 比喩ではありません。走るのです。私も必死に追い掛けます。私だって貴族令嬢ですから、子供の頃以来ほとんど走った事なんてありません。最初は本当に大変でした。


 エクリシア様はそして厩舎に駆け込むと、必ずそこにいる十頭程の馬に親しげに挨拶をします。一頭一頭に声を掛け、首を撫で、愛おしそうに抱き締めます。なんというか、人間に対する以上の親愛の情をお見せになるのです。それくらい馬がお好きなのです。そして馬たちも例外なくエクリシア様の事を慕っていました。


 特にガーナモントという黒くて一際大きな馬はエクリシア様が来るとお側をなかなか離れようとはしません。この馬は甘える時にエクリシア様の髪を噛んだりお顔を舐めたりするのです。こらー! やめて! 後でケアするのは私なんですからね! でも、馬を叱る訳にも参りません。エクリシア様は馬を荒く扱う者を見るといつもの穏やかさを投げ捨てて怒るらしいのです。牧夫の一人がそう言っていました。


 エクリシア様は他の皆様がご起床なさる八時まで馬に乗って。それからお屋敷に駆け戻って、それ以降は皆様と同じスケジュールを熟されます。物凄い体力とバイタリティですね。だからかも知れませんが、エクリシア様は非常に健啖家で朝から非常にたくさんの食事をお摂りになります。


 エクリシア様がお好きなのは魚介料理で肉類はあまりお好みになりません(食べることが出来ない訳では無いようですけど)。これは馬に乗る関係上太りたくないという理由からのようでした。そのせいか赤身の肉をお好みになり、脂の多いお肉は残していましたね。


 パンは伝統的な固いものが好きで、柔らかいパンはお好きでは無いようです。お食事の際はお水を所望され、お酒は全くお飲みになりません。曰く「酔っ払って二日酔いにでもなって馬から落ちたら困るから」との事でした。


 次期公爵の婚約者ともなると、勉強しなければならないことは沢山ございますし、社交も沢山で大変です。しかしエクリシア様はなんという事もなく熟してしまわれます。私が感心してお褒め致しますと、エクリシア様は笑って仰いました。


「頑張ったらご褒美があるからよ」


 そのご褒美、朝の馬乗りの時間は毎日の頑張りに非常に大切だとの事で、エクリシア様は雨だろうが風だろうが一日だってお休みになりませんでしたよ。もちろん私も毎日お供させて頂きましたとも。


 朝が早いエクリシア様は夜が早いのです。十時前には寝てしまいます。私も必然的に朝が早いので、エクリシア様がご就寝になったら自分も寝ますよ。おかげで侍女仲間との夜のおしゃべりタイムは無しになりました。悲しい。


 ただ、私はエクリシア様と二人で駆け回っている内に、エクリシア様から頼りにされ、仲良くなったこともあり、寂しく思うことはありませんでしたよ。エクリシア様は偉ぶるところはありませんでしたから気持ちの良い主人でした。


 ただ、馬の事については人が変わるので注意が必要でした。一度、馬の調教をしているエクリシアをお待ちしている間に雨が降って来て、私は持参した傘をポンと広げた事がございます。その時、馬が近くにいたのです。以前に、エクリシア様から「馬が驚くから傘を馬のそばで開いてはダメよ」と注意されたのをすっかり忘れていたのです。


 馬は少し驚いた様子を見せましたが、別に背中の牧夫を振り落とすような事もなかったので私は気にしなかったのですが、その日の調教が終わったエクリシア様は怖い顔で仰いました。


「貴女はもう馬場に来てはなりません!」


 驚く私にエクリシア様は、自分や牧夫、牧童がどれだけ注意して馬を扱っているか、馬がどれほど繊細かという事を滔々とお説教しました。馬は、一回脅かされるとその事に必要以上に過敏になってしまう事があるそうです。あの馬に傘についてのトラウマが出来てしまったら、競馬場で傘を見るだけで暴れるようになってしまうかも知れない。そうすれば馬の将来が閉ざされてしまうと。


 私は慌ててエクリシア様に二度としないとお詫びいたしました。それでもエクリシア様はなかなか許してくれず、それからしばらくは私は馬場では身動きひとつせずにエクリシア様をお待ちしなければならなかったのです。


 もっとも、しばらくエクリシア様とお付き合いする内に、私も馬の事が好きになってきました。馬はあれでなかなか愛想が良くて甘えん坊で、子供のように悪戯なところがあります。触れ合っていると子供と遊んでいるように癒やされるのです。


 馬にも乗せてもらいましたよ。初めて馬の背中に乗った感想は「高い!」でしたね。私はスカートですから横座りで乗ったのですが、馬が歩くとゴツゴツとお尻に響いて驚きました。エクリシア様が馬を引いて下さって、私は馬の鬣を撫でながら初めて見る景色を楽しみました。それで私も興味が出て、エクリシア様にたまに乗馬を習うようになりました。エクリシア様は大変喜んで教えて下さいましたよ。


  ◇◇◇


 エクリシア様とアクロード様は非常に仲睦まじいご様子だったのですが、こんな馬の事ばかりなエクリシア様のどこにアクロード様が惹かれたものなのか、最初は疑問に思ったものです。


 ですがエクリシア様のお世話をしている内にだんだん分かってまいりました。まず、そもそもアクロード様は女性がお好きではありません。……そういう言い方だとエクリシア様が女性で無い事になってしまいますが、そうではなく、より正確に言うなら貴族令嬢らしい方がお好きでは無いのです。


 貴族令嬢は持って回った言い回しを好み、相手に好意を持っている場合でも相手に好意をはっきり伝えるのではなく、態度や仕草で示す事が優雅であるとされます。どうもアクロード様は上位貴族のそうした態度が好きでは無いらしいのです。


 これに対してエクリシア様はアクロード様にはっきりとした物言いをなさいます。好きなら好き、嫌いなら嫌いと言います。アクロード様のプロポーズに「私は人より馬が好きなんです」と言い放ったと聞いた時には大笑い致しましたよ。婚約した後はアクロード様の事を大事に思っていらっしゃって、その事もはっきり態度にもお口にも出します。その事がアクロード様には嬉しいようでしたね。


 そのアクロード様はエクリシア様が婚約後も馬馬馬の生活を送っていても一切気にした様子はありませんでした。婚約したというのに、お二人のデートはいつも馬場で馬に乗ることで、しかも馬を全力疾走させるのです。ロマンチックの欠片もありません。


 たまにお茶を共にしても話すことは馬の事ばかりです。内容に甘やかさが全然ありません。しかしアクロード様は全く気にした様子はございませんで、むしろ喜んでエクリシア様の馬話に乗って楽しんでいらっしゃいましたね。


 これはかなり後で聞いたのですが、アクロード様はエクリシア様が気を使って他の話題を向けても、ご自分から馬の話題に戻して下さるのだそうです。それだけアクロード様は、エクリシア様が自然な態度でいられるように気を使っておられたのでしょう。


 そんなアクロード様のお心遣いはエクリシア様にも伝わっていて、エクリシア様は遠慮なく自分らしく馬中心の生活に邁進する一方、同時にアクロード様のためにと、次期公爵夫人としての自覚を持って社交にも励んでいましたよ。


 エクリシア様は社交がお上手でした。エクリシア様曰く「物言わぬ馬に比べれば、人の考える事は結構分かり易い」のだとのことでしたね。


 エクリシア様はもう準皇族でしたから、社交においては最上位に近い存在です。ですから、エクリシア様の社交における役割は、社交で出席者からの要望を受け取る事です。


 社交には貴族の皆様が上位の方に対する様々な要望を持って集まります。それを婉曲な貴族言葉と態度と贈り物などでなんとか伝え、実現しようとしているのです。


 この際に上位者が勘の鈍い方だと、この以心伝心が上手く行きません。あんまりあからさまな要望の仕方は優雅ではありませんから上位者に嫌われて結局叶わなかったりします。その辺の匙加減が難しいのです。


 しかし、エクリシア様は非常に勘が鋭い観察眼に優れたお方でしたから、社交の出席者の要望を的確に汲み取り、公妃様なり公爵閣下なりにお伝えしていました。しかもその際には自分の見解を必ず付け加えて、公妃様や公爵閣下を驚かせていましたね。


 そしてエクリシア様は婉曲な貴族表現ももちろん使いこなせるのですが、時に社交でも物凄くはっきりした物言いもなさいます。


 ある社交でとある侯爵夫人が、同席した伯爵夫人が昔した失敗を蒸し返して話の種にした事がございました。


 侯爵夫人と他の方は笑い、伯爵夫人は身分差もあって困ったように笑うだけだったのですが、エクリシア様は笑いませんでした。そして侯爵夫人を睨むとハッキリとこう仰ったのです。


「私は、そういうの嫌いです」


 周囲は仰天です。準皇族であるエクリシア様のご機嫌を損ねたら、侯爵夫人と言えどただでは済みませんからね。侯爵夫人は謝罪し、伯爵夫人にも謝罪を余儀なくされました。


 それにしても身分高い者は直裁的な言い方を避けるものでございますし、エクリシア様だってそれはご承知の筈なのですが。しかし、エクリシア様はご帰宅なさってから言いました。


「ハッキリ言わねば分からぬ事があります。馬だって人間の態度がハッキリせねば人を馬鹿にします」


 私はハッと気が付きました。あの侯爵夫人はエクリシア様があの様な話を好むかどうか試したのでしょう。エクリシア様が曖昧な態度を取れば、エクリシア様がそのような話をお好みになるという噂が広がり、今後の社交でも同じような下品な話題が増えてしまうかもしれません。


 それをさせないように、エクリシア様はハッキリと言ったのです。同時にそれはエクリシア様を試すような事をすると恥をかかされるぞ、という警告にもなった事でしょう。実際、あの侯爵夫人は今後、エクリシア様に頭が上がらなくなったと思います。


 エクリシア様は婚約前には貴族女性には全く知り合いがいらっしゃいませんでした。伯爵家の三女ではそれも無理はありませんけどね。しかし、面白い事に貴族男性、しかもやや年嵩の男性に知り合いが多くいらっしゃいました。


 競馬のジョッキークラブの会員の皆様だそうで、馬の売り買いでお知り合いになった方や、子供の頃から競馬場に出入りしていた時代に可愛がってもらった方達だそうですね。そういう方は準皇族になったからといって態度は変わらず、社交でお会いすると皆様「エリー!」と呼んでエクリシア様を抱擁なさっていました。


 その方々はエクリシア様がアクロード様と婚約なさったのを聞いてもさして驚かず「エリーなら見事次期公爵の手綱を捌いてみせるだろうよ」などと言ってアクロード様を苦笑させていましたね。


 何気に、すでに長老級の貴族であるこの方々からの支持は馬鹿にならなかったのだそうです。なにしろエクリシア様とアクロード様の結婚はかなりの貴賤結婚です。結構強い反対もあったのですが、ジョッキークラブの長老達の支持のおかげで、無事に婚約に漕ぎ着けた面があったそうですね。


 中でも貴族界の大長老の一人にしてジョッキークラブの理事長であるクレバーン侯爵は、エクリシア様を非常に可愛がっておられ、エクリシア様も「マロンドおじ様」と慕っていました。長老である侯爵からの後押しは婚約成立に重要だったそうなのですが、後に婚約の条件だった馬の譲渡の話で揉めて、嫁取り競馬事件が起こってしまったのだから皮肉な話です。


 嫁取り競馬後もエクリシア様はクレバーン侯爵を慕っているのは変わりなくて、お二人の馬ぐるいタッグはその後、戦争の時にエクリシア様が「馬大臣」におなりになった時に協力し合って様々な事を成し遂げる事になります。


 馬大臣の時は大変でしたよ。なにしろエクリシア様は何かというとクラーリアに乗って飛んでいってしまうのです。護衛騎士も私も後を追い掛けるので精一杯。エクリシア様は馬について何かを思い付いたらジッとしていられず、すぐに飛んでいってしまうのです。しかもあの駿馬であるクラーリアに乗ってです。


 終いには私も馬車ではなく馬に跨って乗って追い掛けるようになりましたよ。おかげで、すっかり私も乗馬が上手くなってしまいました。


 そんな私を見て、エクリシア様はなんだかしてやったりみたいな顔をしていましたね。

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