第20話 光也と陽

「……ごめん、この課題辞退しよう……私には無理、自分の「色彩」と向き合えない。青井さんみたいに強くないんだ、私」

 

「あ、まっ、待って権田さん」


「大丈夫だから。青井さんは一人でも大丈夫だから」


 何やってんだろ。

 自分でもなんで青井さんの温かい両手を振り払ったのかがわからない。

 でも唯一明確にわかることはある。


 青井さんの目が治らないように、私がお兄様にしたことは取り返しのつかない事。


 私は青井宅に持ってきた荷物を全てバッグに詰め込んで、彼女が呼び止める声を無視して青井宅から逃げ出した。

 青井さんは私にとって眩しすぎるし熱すぎる、彼女のそばにいるとヤケドする。それに彼女みたいな強い人は一人でもきっと何とかなる。


 今日は持ち合わせが少ないけど、それでも家までのタクシー代は何とか足りた。

 自宅に戻ったのは二日ぶりなのに、何故か自分の家が他人の家のような感じがする。


「……ただいま…………聞きたいのは私の「ただいま」じゃないだろうな……お兄様」


 鉛よりも重い足を引きずって玄関に入る。


「た、ただいま、戻りまし……ぁ」


「あらっ、お帰りなさい! お友達の所に泊まるんじゃなかったの?」


「あ、えっと、課題が思ったより早く終わりましたので……」


「そうか。どう? 美術楽しい?」


「え、あぁ……わかりません、まだ……あ、えっと、お母様、その荷物は?」


 顔を上げると、お母様は何かが詰め込まれた段ボールを抱えている。

 掃除ならお手伝いさんに任せればいいのに、仕事で忙しいのになんで自分でしてるんだろう。


「あ〜、これね。あの子、ミツヤの荷物をまとめたの」


「ミツヤ……お、お兄様の荷物!? ど、どうして、今まで一度も片付けなんて」


「あなたと同じように私とお父さんも心の整理がつかなかった……だけどね、久しぶりにヒカリちゃんがお友達と仲良くしてるとこを見て、そろそろ前に進もうと思ったの……それでミツヤの部屋を整理してみた」


 お母様は段ボールを床に置いて、こっちにきてと私に手招いた。

 ずっとお兄様の部屋に入る勇気がなくて、久しぶりに見たお兄様の私物がたくさん詰め込まれていた。


「ずっと心の中で沈んでいたのに、整理してみると……不思議よね、段ボールは重くなったのに心はすっと軽くなったわ」


「お母様…………お兄様のことを、忘れるんですか?」


「フフ、ムリよ。忘れられる筈がない……家族ってのは血が繋がってるとか、好きとか嫌いとかそういう割り切れたものじゃない。心のそこで繋がっちゃってるもんだから、死ぬまで一生忘れることはないよ……もちろん、ヒカリちゃんもそうよ」


「……私も……家族。これ、お兄様の……捨てちゃうの?」


「捨てないわ、ミツヤは私たち家族の一部だから捨てられないよ……をするの」


「整理……」


 お母様は力を振り絞るように段ボールをまた持ち上げた。


「今夜は倉庫の前に置いておくね。最後にもう一度だけよく見てお別れをするの……それで今よりもっと良い場所に仕舞う。いい?」


「はい、お母さm……ううん、わかった、お母さん」








 翌日の放課後。


 課題を辞退しても美術部に居られるだろうか、青井さんに影響を与えるのは申し訳ない。

 部長にどう話せば良いのかと教室で迷っていた。なかなか良い言い方が思い浮かばなくて自分の席から立ち上がれずにいると、彼女が声かけてきた。


「いた、権田さん」


「え? あ、青井さん! あの、昨日は──」


「権田さん、コレ見て」


 青井さんは真っ直ぐと私の目の前までやってきて、手に持っていたスケッチブックを広げて見せた。

 そこに描かれてあるのは私たちが案を出し合ったラフを清書したもの。

 繊細に描写された線画の上には……言い方良くないけど、常人とは思えない色使いだ。アンバランスな色が塗られてて何となく汚い印象を与える。


「どうかな?」


「こ、これ……青井さんが塗ったの?」


「うん。いいよ、率直な感想言って」


「色塗りが……お、怒らないでね……汚ぃ」


「…………」


「…………あ、あの……怒ってる?」


「やっぱり、権田さんが必要だよ。これが私の全力……権田さんと一緒じゃなきゃ、この課題できない」


 初めて自分を見つめられてる気がした。

 お兄様の影に隠れている私じゃなくて、今を生きている16歳の権田ヒカリ。


「……仕方ないな〜」

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