第19話 権田ヒカリの色彩
夜。
青井さんとの食事を終えた後、私たちは描画方法について打ち合わせをしてみた。
色塗りに関しては青井さんの言う通り、彼女は絵の具の分別が全くできない。明るさの区別は可能だが、似た色だったり同じ明度の違う色になると違いを一切識別できなくなる。
「……違いが全然わからない」
「なるほどね、ということはパレットに出された絵具の調合が不可能か……ごめん、どうすれば良いのか私もわからない」
正直言って色が見えないというのは絵描きにとって、言い方は良くないけどこの上なく深刻な弱点だと思った。
それこそ、両手両足が無くて物理的に絵を描けないの次ぐらい厳しいかもしれない。
「そっか。まぁ何とかなるでしょう、明日先輩に何か良い方法ないか聞いてみる! ひとまず今日の打ち合わせはおしまい」
「……やっぱり青井さんは前を向けるんだね、強いな」
「そうかな? 権田さんはこの後どうする、お風呂入る?」
「あ、先に入って〜 私は日課があるの」
「日課?」
青井宅で泊まった初日は深夜に済ませたけど、今日は早いうちに日課をやっておこう。私は自分のカバンから筆箱といつも使ってる手紙用紙の束を取り出した。
「お父様がね、ビジネスの場で字が汚いと恥をかくって言ってね、字の練習も兼ねて毎日日誌みたいな手紙を書いてるの」
「へぇー、そういえばお手紙を書くのが趣味って言ってたの覚えてる……ちなみにさ、書いた手紙って誰宛?」
「離れたとこにいる人、かな」
アレを避けるように筆箱から青のボールペンを取り出して握る。そしていつものように今日の出来事を用紙に書き記す。
常に書き順と字のバランスを注意して書くので、普段よりどうしても書くスピードが落ちてしまう。
「ハハ、このペンだけかわいい! このクマちゃんのペン」
青井さんは私の筆箱から一本のペンを取り出した。
それは大人しいデザインペンの中に一本だけ小学生が使うような可愛らしいペン。
「へ? あっ、それ……フフ、それ小学生の頃のお兄様のペン」
「かわいい、プレゼントされたの?」
「ううん、ずっと借りパクしてる……なんか、返し方わかんなくなっちゃって」
「なんかいいなそれ、仲良さそう。お兄さんって今何してるの? 大学生?」
文字を書く手が止まった。
本当のことを話すべきかどうかについて悩んでしまった。
いつもなら場の雰囲気がシラけないように、本心を隠して適当に誤魔化しちゃうけど……
なぜだろう、青井さんには……この人にだけは嘘をつきたくないと頭が勝手に考える。彼女の目の前にいると透明人間じゃいられない。
「お兄様はもう亡くなってる、私がそのペンを借りた次の日に」
「え」
「あと、き、気持ち悪いかもだけど……この手紙も本当は……お、お兄様宛てのつもりで書いてた」
「それが……日課?」
「うん、届かないってのはわかってる。き、キモイよねごめんなさい」
「そんなことない……ね、お兄さんの話を聞いてもいい?」
言っちゃった、シラけたよねこんなの。
やっぱり、あの日死ぬべき人間は私だった。お兄様ならきっと、もっと上手く生きられたに違いない。
「ペンを借りた次の日、私たち家族はキャンプをしに出かけたの……お兄様は私と違って明るくて文武両道で何でもできた、まさにお父様とお母様が望んでた将来有望な人材。だけど私はあの余裕綽々で私を子供扱いする態度が気に入らなかった…………だから、困らせてやろうと思った私はテント近くの川で溺れたフリをしようと思った」
「まさか、お兄さんは助けようと……」
「うん。最初は岸のすぐ近くでバシャバシャやってるだけだった、でもふとした瞬間に足を滑らせちゃって本当に溺れてしまったんだ……お兄様は真っ先に気づいてくれて川に飛び込んだけど、あの頃のお兄様も同じ小学生だったから私を上手く助けられずに2人一緒に流された」
今でも鮮明にフラッシュバックする。
口と鼻から流れ込む川水、水中で何とか私の頭を浮かそうとするお兄様の腕、何度も「助けて」と叫ぶあの声。あの日以来、私は二度プールに入れなくなった。
「その後、どうなったの?」
「近場の大学生グループに救助されたらしいけど、私が意識を取り戻した時はすでに病院のベッドの上。その後に知ったんだ、お兄様が溺死したって……いや、私が殺したんだ」
「そんなことない」
「そんなことあるよ! 青井さん言ってたよね、自分の「色彩」は未来にあるって……私は最初から自分の「色彩」の在処を知っていたの。お兄様が生きていた過去にあったんだ、それを……私は自分で
こうするつもり無かったのに涙が止まらない、青井さんは無関係の他人なのに八つ当たりしてしまった。
あの日からずっと心の隅で溜まり続けた淀み、それが爆発したんだ。
生きていく勇気も無ければ自ら死ぬ度胸もない、それが私。
そんな自分のことが好きになれない、嫌いだ。
「お兄様なら両親の期待に応えられた、お兄様ならもっと良い成績を出せたし、私の何倍もの数の友達を作れた……私みたいにいつも本心を隠さずに済んだ」
涙が手紙に落ちて消えないシミになっちゃった。
最初は懺悔のつもりで手紙を書いていたのに、それはいつの間にか私の消えたい願望に変わってしまった。
「そんなことない。権田さん、私を見て」
「何でそう言えるんだよ! 両親も法律も私みたいなヤツを裁かなかったのに、他人の青井さんに何ができるって言うの? あの日死ぬべきだった人間はわ──」
青井さんは両手で私の顔を包んで、言葉を止めたのと同時に下を向く私の視線を自分の目に合わせた。
「何もできないかもしれない、だけど私は権田さんの涙を止めてあげたい」
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