不幸と狂気はひた走る

夢月七海

不幸と狂気はひた走る


「……ねえ、キョウちゃん」

「なあに、コウちゃん」


 思い切って声をかけると、真横から彼女が言葉が返ってくる。まるで、芝生の上で日向ぼっこしているようなのんびりとした声色だけど、それに騙されてはいけない。

 僕らは、今まさに逃げている途中だった。黄昏に沈んだ治安の悪い港町を、法定速度を守ってサンルーフ付きワゴンで走っているけれど、その後ろから付かず離れずの位置を、判で押したような同じ車種の黒い高級乗用車が三台追いかけている。この町を牛耳っているのヤクザの手下たちだ。


「どうしてこうなったのか、分かる?」

「うーん」


 キョウちゃんは、首を大きく傾げながらハンドルを切る。赤信号に右折可の矢印が灯っていたが、この車が曲がった直後に消えた。これで撒けるかと期待したが、反対車線の車を邪魔してでも、背後の高級車は追ってくる。

 なんて乱暴な運転だろうと、僕は呆れてしまう。それに比べてキョウちゃんは、完璧なドライブテクで、誰にも迷惑をかけていない。今日も、口元が鉄格子のようになっている鉄仮面を被り、目以外を隠しているけれど、視界の不利をものともしない。


「わかんない!」

「そうかぁ。よし、最初から振り返ってみよう」


 そんなごつごつした仮面をつけていると思えないような、無邪気な声で、キョウちゃんは言い返す。僕は、その答えを半ば予想していたので、彼女を責めずに、満面の笑みで頷いた。


「まず、侵入の為の下調べは完璧だったよね?」

「だよ! コウちゃんがいろいろしらべてくれた!」

「自画自賛になっちゃうけどね、手にした情報と現場との相違は殆どなかったね」

「いいよいいよ。じぶんをたまにはほめよう!」


 どうしてキョウちゃんに慰められているんだろうと、内心首を傾げる。あと、いつもより難しいことを言ってきているけれど、それは多分CMからの受け売りだ。


「ヤクザ所有ビルの金庫室。そこに来るまでは、何にも問題なかったでしょ?」

「コウちゃんがみんなをねむらせてくれたから」

「催眠ガスでね。で、端末を使って金庫の暗証番号を割り出すまで、時間が掛かるから、僕はそれの前にいて、キョウちゃんは動いたよね?」

「うん」

「どこで何していたの?」

「べつのへやでちょっとラクガキしていた」

「何に?」

「みはりのかお」

「それ! それのせいだよ!」


 さあ、あと十秒で解錠するぞと、ほくそ笑んだ直後に、外から「何だテメェ!」という怒号が聞こえた瞬間の驚きと絶望と言ったら。振り返ると、「キャー!」と悲鳴を上げながらこちらに走ってくるキョウちゃんを、マジックペンで頬に猫の髭や額に肉と書かれたごつい男が追いかけてきて、僕は泣けばいいのか笑えばいいのか、分からなくなった。

 死に物狂いでビルの中を逃げ回り、無傷でこの車に乗り込んで走り出せただけでも、奇跡に近い。しかし、そのビルからヤクザたちの車が三台も追いかけてきたのは予想外だった。


「催眠ガスの効果は覿面てきめんだったけどね、顔に落書きされたら、流石に起きちゃうよ。あんな怖い顔の男に、猫の髭とかついていたら面白いのは分かるけれどね」

「そっか……。ごめんね」

「謝れて偉い!」


 キョウちゃんがぺこりと頭を下げたので、僕は彼女の失態を水に流すことにした。過ぎたことをねちねち攻めてもしょうがない。これで同じ轍を踏まないだろうから、今はこの危機をどう乗り越えるかを考えないと。

 しかし、なぜ彼らは執拗に僕らを追いかけるのだろうか。僕らの盗難計画は未遂に終わったのに。縄張りを荒らされたこと自体に怒っている?


 その時、サイドミラーに映った高級車の窓が開き、両手で握られたオートマチックのハンドガンがこちらに銃口を向けられたのが見えた。


「右に寄って!」


 ハンドルが大きく回されたので、ギャリギャリと音を立てながら、ワゴンが右へ動く。その三秒後、右後ろのタイヤがあった位置に弾丸が放たれた。


「びっくりしたぁ~」


 膝カックンされた時のようなキョウちゃんの反応だが、ここで大騒ぎされないのは本当に有り難い。一応、車体もタイヤも防弾対策をしているのだが、何発も撃たれれば辛くなる。

 この一帯は人も車も姿を見せないから、相手もなりふり構っていられなくなったのだろう。もう少しで彼らの縄張りから脱出できるのだが、こちらも反撃すべきタイミングかもしれない。


「キョウちゃん、スピードはこのままキープで、次の角を左に曲がってね」

「オッケー」


 ガソリンの量から、このスピードで走れるのはあと三キロ弱。ヤクザの追撃も考えると、今のうちに後ろの三台をやっつけた方がいいと、僕は判断した。

 小路地から、右側に空き家が建つ角へと、キョウちゃんは急カーブで入っていく。 追手はまさかここで曲がるのかと面食らった様子で、スピードを上げたのを窓を開けながら確認する。


 足元に置いたスポーツバッグから、手榴弾を取り出す。ビルから逃げる際に散々投げて、これが最後の一つだから、失敗できない。

 手首のスマートウォッチで秒数を測り、ぴったりの瞬間に手榴弾を後方へ投げる。それは曲がってきた追手の先頭の車の下部に貼り込み、爆発して上方へ飛ばした。


「ひゅーう。さっすがぁー」

「慣れない口笛はやめなよ」


 僕もキョウちゃんと一緒に大喜びしたいけれど、転がる先頭だった車をよけて、二台目と三台目がまだ追いかけてくるから、まだ油断できない。僕は足元に立てかけていたライフルを手にした。

 これも弾数を考えると、あまり無駄打ちできない。少ない弾数で仕留めるなら、直接撃つよりもいい方法がある。


「キョウちゃん、十秒、頭を下げてね」

「ケーオー」


 「OK」を逆さまに読んだ返事をするキョウちゃん。最近の彼女のお気に入りの返答だ。意味は全然変わってしまっているけれど。

 キョウちゃんがハンドルを握ったまま九十度のお辞儀をした、向こう側の窓の外に、路上駐車したバイクが現れる。そのガソリンタンクに向かって、ライフルの弾丸を撃ち込んだ。


 タンクに空いた穴からは、ガソリンが噴き出してくる。大通りに出た僕らをトップスピードで追っていた二台目は、濡れた地面のせいでくるくると回りながら、真横の電柱へ突っ込んでいった。


「なんだか、たのしそうだね!」

「いや、死活問題だと思うよ」


 バックミラーでそれを見て、声を弾ませるキョウちゃん。実際、後ろの車から煙が出てきたので、中の人たちは死に物狂いで脱出していた

 だが、まだ三台目が追ってくる。キョウちゃんほどじゃないけれど、あちらのドライブテクも大したものだ。手放しで褒めている場合ではないが。


「しつこいねぇ」

「うーん。ちょっと道変えようか」

「どこいく?」

「左側、三つ目の角を曲がって」


 手榴弾の爆発、ライフルの銃声、バイクのガソリン漏れが続いたので、町の人々も何事かと、建物から出てきた。これであちらから手を出しにくくなったが、一般人を危険に晒しているという点では、こちらも同じ条件だ。

 キョウちゃんに入ってもらったのは、車が一台分通れるほどの小路地だ。いわゆる風俗街なので、この時間帯に通る人はいない。加えて、看板が低い位置にひしめいているのも好都合だった。


「僕はちょっと後ろに行くから、このまま車を走らせてね」

「りようかい」


 僕が後部座席に行って、サンルーフを開けるのと、三台目がこの通りに入ってきたのは、ほぼ同時期だった。キョウちゃんがこの車を選んだ際に、「サンルーフはロマン!」と言っていた意味はまだ分からないけれど、こういう場面では重宝している。

 フロントガラス越しに見た風俗店の看板が、サンルーフの真上に来る前に、ライフルの銃身だけ外に出して、上のネジを撃つ。頭上を取れかけた看板が通り過ぎる間に装填し、ギリギリの角度で、二発目を下のネジに撃った。


 落下した看板は、三台目のボンネットに落ちて、車が停車する。運転席を潰すように落としたかったが、微妙にタイミングがずれてしまったのが悔しい。

 追手が車から降りてきた瞬間を撃ち抜こうと、僕はサンルーフから顔を出して、銃を構えた。三人までなら多分大丈夫だ。と、このワゴンが急ブレーキを踏み、僕の体はふわりと浮き上がり、大きく後ろへ傾いた。


 まずい、この先には――と思った直後に、一つの看板が後頭部に直撃した。鈍い音とともに、視神経を切ってしまったかのように、目の前が真っ暗になる。

 混乱する頭は、完全に体の主導権を手放していた。また走り出したワゴンに置いて行かれたかのように、看板に押し出されて、僕は外へ飛び出した。ワゴンが去っていく音を聞きながら、最後に上半身が、地面にぶつかったのを感じ取っていた。






   △






 その日まで、僕は不幸のどん底にいた。


 地方都市の中の普通の家庭の、普通の両親の間に生まれた僕は、普通の人生を歩んでいた。人と違う所は、空間認識能力が秀でているくらいだが、運動能力は平均値だったので、そんなのは無用の長物だった。

 しかし、中学二年のある日、両親が亡くなった。崖の上から車ごと海に落下したという。悲しみに暮れる僕は、会ったことのない父方の伯父に引き取られて、東京の真ん中あたりにある高層ビルの最上階に連れてこられた。


 そこで僕は、伯父から信じられない話を聞いた。実は、僕の祖父は日本随一のヤクザの組長だったのだ。父は、そんな家が嫌で出ていき、母と出会って結婚したが、このことは周囲の誰にも話していなかった。

 現在、その組長は病床に臥せっていて、先は長くない。若頭の伯父は、その地位を狙っているが、自分に子供がいないことで、組長からは難色を示されている。そのため、僕を引き取り、自分の次の跡取りにしたいと言い出した。


 「偶然、お前が天涯孤独になって助かった」と、白々しく伯父は言った。僕は、両親の事故は伯父が引き起こしたものだと確信していたが、証拠もないし、警察に伝えることが出来ない。僕は、その高層ビルに一室に軟禁されてしまったのだ。

 たまに射撃場で銃器の扱いを教わったり、他の組との会合に連れ出されたりする以外は、ずっとその部屋にいた。このまま、トイレや風呂もある、この牢屋みたいな場所で、一生を伯父の操り人形として終えるのだろうなと、僕は完全に諦めていた。


 そんな生活で五年を過ごし、あと一年で二十歳かと感慨もなく思っていたその日の夜。ベッドで寝ていた僕は、ガチャガチャと外側の鍵をいじっている音で目が覚めた。

 ドアが大きく放たれる。長い髪にスポーティな格好の女の子? が立っていた。性別に疑問を抱いたのは、その顔に鉄製の仮面が嵌められていたから。


「わっ! おたからだ!」


 外からの光に目をしばたたかせている僕の方を向いて、その子は言った。声は結構幼い。体型からすると、十代後半なのだろうか。


「えっと、君、この組の人じゃないよね?」

「うん。あたしは、わるいひとからおたからをぬすむどろぼう」

「……それ、自分で言っちゃうの?」


 未だ状況を飲み込めない僕をよそに、女の子はドアを閉めて、勝手に電気も点けて、この部屋に入ってくる。仕方なく、僕もベッドから降りて、ドアの向かいにあるテーブルの椅子を彼女に勧めた。

 冷蔵庫の中にあったオレンジジュースをストローでおいしそうに飲みながら、彼女は色々教えてくれた。最初に言った通り、彼女はこの組の金銭を求めて、ビルに侵入した。しかし、アナログな鍵の開け方しか知らないので、何か自分でも開けれるものはないかと散策して、ここの南京錠で閉ざされた部屋を発見したと言う。


「それで、コウちゃんはどうしてこんなところにいるの?」


 先程名乗ったばかりなのに、彼女はさっそく僕のことをあだ名で呼びながら、そう尋ねてくる。最初は警戒していたが、多分この子は嘘がつけないんだろうなと思っていた僕は、自分の境遇を全て正直に話した。


「だから、コウちゃんはじぶんがせかいでいちばんふこうだ、ってかおをしているんだね」


 彼女が大きく頷きながらそう言われた時、僕の胸はドキリと痛んだ。


「そりゃそうでしょ。こんな、理不尽な目に遭って」

「でも、たいへんなのはコウちゃんだけじゃないよ」


 君に何が分かるんだ。そう言おうとしたが、彼女がふいに取った仮面の下から現れた顔を見て、僕は絶句した。

 それは、あまりに醜かった。人の顔とは思えないくらいほどに。どんな言葉も、彼女の顔を表現するのを拒んだ。


「あたしのかおはこうなっちゃったけれど、でも、じぶんはふこうだっておもっていないよ」

「……」

「このかめんもね、かくすためじゃなくて、もっとかっこよくなりたくてつけてるんだ。メイクといっしょ」

「……君は強いね」

「てへへへ」


 ぼそりと呟いた一言に、彼女は年相応の無邪気な笑顔を見せながら、照れ隠しをするように仮面をつけ直した。そんな彼女の自然体な所に、心が強く惹かれていた。

 だが、その時大きくドアが開いた。向こうに立っていたのは組の構成員の一人で、きっと、夜の見回りをしていたのだろう。侵入者の姿に驚きながらも、すぐに拳銃を構えた。


「なんだお前は!」

「あ、えっと、えっと」

「サイトウさん、落ち着いてください。彼女は、組に危害を加えようとしたのではなく……」


 パニックになった彼女の代わりに、僕が必死に構成員を説得しようとする。だが、彼は聞く耳を持たずに、銃を構えたまま、彼女の方へ歩み寄っていった。


「動くなよ。……あちこち鍵が開けられていると思ったら、お前の仕業だったのか」

「あたしは!」


 彼女が思わず、両手を大きく振ったので、構成員は反射的に拳銃の安全装置に親指を掛けた。

 銃声が響く。しかし、頭から血を噴き出して倒れたのは、構成員の方だった。


「コウちゃん?」


 こちらを向く彼女の視線が刺さる。僕は、服の内側に隠した拳銃で、構成員を撃ち抜いていた。腹部に撃った後の熱を感じている。

 やってしまったという後悔だけがあった。随分と前に、射撃場から一丁の拳銃を盗んで、ずっと隠し持っていたのだが、人を撃つ覚悟は無かった。その癖、彼女と同じテーブルを囲んでいても、信じ切れずに枕元から持って来ていたのだ。


 僕は、テーブルの上に拳銃を置いた。彼女に自白するような気持ちで、俯く。

 初めての殺人。気を許してもらった彼女への裏切り。罪の意識で、頭がだんだんと白くなっていくが、急に、銃を持っていた手を掴まれた。


「すごい! かっこいい!」


 仮面越しでもわかるくらいに、彼女の顔は無邪気にキラキラと輝いていた。






   △






 ——懐かしい思い出を遡っていた僕は、目の前の眩しさに観念したように、目を開けた。自分のことを、複数人の男が囲んで、見下ろしている。

 驚いて体をのけぞろうとするが、全く動かない上に違和感がある。まさかと、見下ろしてみると、首から下が土に埋まっていた。


「随分眠っていたな。幸福な夢を見ていたのか?」


 僕の真正面に立っていた男がそう語りかける。実際そうだったのだから、否定の言葉が出ない。

 真正面の男は、小柄というよりも、五頭身と言われた方がしっくりくるような体つきをしている。傷のあるいかつい顔つきと相まって、非常にコミカルだが、彼こそが僕らが侵入したヤクザの組長だった。


 まさか組長が直々に現れるなんて。そんな焦りを悟らせないように、目線だけで周囲を確認すると、辺りはすっかり暗くなっていて、ここは町の端にある工事現場のようだった。

 組長の隣には、彼よりも背の高い男がスマホをこちらに向けていた。僕のと同じ機種だ。他に、五人の構成員が視界に入っている。包帯を頭に巻いているのは、夕方の追手なのかもしれない。


「あのう、今回は、僕らのことを見逃してくれませんか?」

「は?」

「確かに、僕らはあなたたちの金銭を盗もうとしましたが、未遂に終わっています。慰謝料が欲しいのなら、僕らのお金が入った口座番号を教えますので、それで手打ちにしてください」


 今、キョウちゃんがどこにいるのか分からないが、二人とも無事にこの危機を乗り越えるためには、この方法しかない。だが、組長は嫌な顔をしたままだった。


「お前、何でこうなっているのか分からないのか?」

「え? 侵入した事に対する報復じゃないんですか?」

「そこは気にしていない。いや、むしろこちらにとってはラッキーだった」


 組長がにやりと笑ったとは逆に、僕は顔を顰める。この上なく、悪い予感がした。


「まさか、久薗組の御曹司が、うちに来てくれるなんてな」

「……気付いていましたか」


 気取って苦笑しようとしたが、口元が引き攣って上手くいかない。それよりも、自分の存在のせいでキョウちゃんを危険に晒したことの後悔が芽生える。


「お前の様子は、そのスマホを通して、久薗の組長へ送っている。ちゃんと見てくれているようだぞ」

「あ、それ、やはり僕のスマホでしたか」

「勝手に借りた。悪いな」

「うーん。やっぱり、指紋でロックするのは問題がありますね」

「今更何を言ってるんだ」


 僕が虚勢を張っていると思っているのか、組長は憐みの目を向ける。そして、背後の部下に「おい」と声をかけると、言われた彼はどこかへ走っていった。


「ただ、こちらの要求は最初から無視されている。お前は見捨てられたようだ」

「はあ」

「もう用済みだ」


 組長の元に、先程の部下が戻ってきた。両手でバケツを抱えていて、零れ落ちたその水滴は、灰色をしていた。


「あれは、コンクリートですか。後ろのミキサー車から持ってきたのですね」

「お、よく見ているな。これをお前の顔に被せれば、簡単に片づけられる」

「なるほど。効率的ですね」


 こういう仕事の人たちって、いつもそんなことを考えているんだろうなと感心して頷く。そんな僕に対して、組長はだんだんと苛立っているようだった。


「流石、久薗組の御曹司だな。こんな状況でも落ち着いているなんて」

「いやー、とっても怖いですよ。ただ、それ以上に、彼女のことを信じているので」

「彼女? ワゴンを運転していたあいつか?」

「ええ。まず、組長さんは勘違いしているようなので、訂正しますけれど、そのライブ映像を見ているのは僕の伯父ではありませんよ」

「何を言い出す?」

「彼はすでに亡くなっています。三週間前、『行方不明の跡取りがいる』という情報に釣られたのを、僕が殺しました」

「……では、これを見ているのは……」

「僕の彼女です。伯父を始末した後、そのままスマホを失敬したのですよ」


 キョウちゃんの手癖の悪さは困ったもんだと、僕は溜息を吐く。ただ、今はそれに助けられたことになる。

 僕の話したことを脳内で整理している様子の組長だったが、背後からの轟音で、それを中断される。後ろを見ると、ミキサー車のミキサーの部分に、ショベルカーが何度もショベルをぶつている瞬間だった。


「なんだ、何をしているんだ!」

「あ! あのショベルを運転しているの、あの女です!」


 絶叫する組長に、追手だった男がちゃんと答えてくれる。彼の言ったとおり、仮面をつけたキョウちゃんが、ショベルカーの運転席でレバーを押し引きしていた。

 とうとうミキサー車に穴が空けられて、ドバッとコンクリートが流れ出す。体にそれが付いた男たちは、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら逃げ出した。


 しかし、キョウちゃんはそんな彼らに、曲げたままのショベルカーのアームをぶつけ、今度はキャタピラで轢いてと、容赦がない。いつもは虫も殺せぬ性格なのに、車を運転する時は、気が大きくなるタイプなんだろう。


「おれのなをいってみろ!」


 あらゆる漫画の中で一番好きなキャラクターのセリフを、キョウちゃんは叫ぶ。残念ながら、男たちは逃げ惑っているので反応できない。だが、まさか、この彼女の名前が「狂子」だとは思わないだろう。籍はないらしいが。

 呆然とする組長だが、隣の僕のスマホを持つ男は、こちらを見た。僕を人質にすることを思いついたらしい彼は、すぐ傍の腰の引けた部下から、コンクリート入りバケツを奪い取った。


 ただ、キョウちゃんから目を離したのが運の尽き。頭の上から、シャベルの中身、大量のコンクリートをかけられた。こういうのを、因果応報というのだろう。僕のスマホも一緒にダメになったけれど。

 元々バケツを持っていた部下もそれに巻き込まれて、灰色の即席コンクリート像が地面でジタバタともがく。組長が二人の名前を呼んだが、絶叫に近い声なので、何と言っているのかは分からなかった。


 その組長を、キョウちゃんはシャベルでぐしゃりと押し潰した。ただでさえ低い頭身が、これによってさらに縮んでしまったのが可哀そうだ。

 ……邪魔するものがいなくなったので、キョウちゃんは別のショベルカーに乗り換えてから悠々と、シャベルで僕のことを掘り返した。そのまま下ろしたりせずに、土ごと僕を抱え、キャタピラを回して走り出す。


「なんだか、お姫様抱っこされている気分だよ」

「コウちゃん、おひめさまなんだね」

「じゃあ、キョウちゃんはそれを助けに来てくれた勇者だ」


 僕の言葉を受けて、キョウちゃんは朗らかに笑う。彼女は出会った当初から、「可愛い」「綺麗」よりも「かっこいい」と言われるのを好んだ。


「そういえば、ワゴンで走っている途中、急ブレーキしたよね? 何かあったの?」

「ねこちゃんが、とびだしてきたの」

「そっかぁ。それは仕方ないね」

「うん!」


 キョウちゃんは元気よく頷く。この一日だけで色々やらかしてしまった彼女だけど、僕は自分を助けてくれたことで、全部帳消しにしていた。






   △






「ねー、キョウちゃんー」

「なあにー」

「何で、僕ら、海の上にいるのかなー」


 未明の時刻、僕はキョウちゃんと背中合わせになる形で、ジェットスキーに乗っていた。僕は、もう大丈夫だとは思うけれど、念のために補充していた、グレネードランチャーを抱えている。

 内陸の山から昇ってきた朝日がとても美しくて、心が洗われるようだ。とはいえ、キョウちゃんの運転で海岸で連れてこられて、急にジェットスキーに乗せられてしまったという疑問点が残っている。


「コウちゃんのおとうさんとおかあさんにあうためー」


 伯父の殺害計画の実行前に、僕の両親を始末するように言われた男に会った。彼は殺し屋だったのだが、「一般人には手を出さない」という信条の下、両親をある離島に逃がしていたのだった。

 キョウちゃんは、「しらゆきひめみたい!」と大喜びしていたが、僕はその言葉を疑っていた。殺し屋のでたらめや伯父の罠の可能性もある。しかし、キョウちゃんと一緒にそれを確かめに行くと決めた。


「でも、昨日あんなに大変だったのに、今日じゃなくてもよくないー?」

「おもいたったら、きちじつー!」

「計画自体は、ずっと前からしていたんだけどねー。そのためにあの町に来ていたんだしー」


 苦笑が漏れるが、悪い気がしない。誰かに振り回されるのが僕の運命だったとしても、それが彼女だったらむしろ大歓迎だ。


「ねえー、僕の両親に会ったら、何の話をするのー?」

「むすこさんをあたしにください、っていうー」

「逆だよ、逆ー」


 前方に、目指している離島が見えてきた。五分以内には辿り着けそうだ。

 あそこに何が待っているのかは分からない。だけど、どんなに恐ろしいものでも、僕とキョウちゃんなら、それから逃げきれる。そんな確証だけがあった。




















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不幸と狂気はひた走る 夢月七海 @yumetuki-773

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ