籠目財団超常災害対策課-Tips

きよみ

第1話-腕枕

渋木しぶき、腕どうかしたのか」

 出勤したら、先輩の一人が班長に詰められていた。

 渋木先輩もついさっき出てきたばかりのようで、彼の手にはデスクに置いたリュックの肩紐がまだ握られたままだ。

「や、ちょっと寝違えたみたいになってて」

 右利きのはずの先輩が、リュックのジッパーを左手で開けようとしている。多分、リュックを下ろす動作も違和感があったのだろう。ぎこちない動作に、班長の顔は険しい。

「今日、現場は?」

「渋木は【K-20■■-戊辰-0006453】の掃除以外内勤になってますね」

「あれエアコン修理のフリして行くやつだろ、椎葉にチェンジ」

「了解」

「えー……午後には治ってますって」

 椎葉先輩はあっさりうなずいたが、肝心の渋木先輩がぷらぷらと右腕を振って反論する。……この人、前にも不調を軽視して叱られていたはずだけど。

 案の定、班長の眉間にしわが寄る。さっきスケジュールを確認していた菊谷きくたに先輩がつかつかと渋木先輩のところまで来て、振られていた手をぺん、とはたいた。

「寝違えかどうか、ちゃんと医務で確認してもらってから言え。あと、ストラップの色見たか?」

 菊谷先輩が「ストラップ」と呼んだのは、瘴気をある程度吸収して持ち主の身代わりになってくれるチャームストラップのことだ。超常災害対策課の職員全員が標準装備として持たされていて、肌身離さないように厳命されている。

 言われてスマホをポケットから出した渋木先輩は、ぶら下げていたストラップを見て「げ……」と顔をゆがめた。アクリルのような素材で透明なはずのチャームが、うっすらと煤けたように黒くなっている。これは超常、もっと言うなら良くないものの影響を受けたときに出る反応だ。渋木先輩の腕の不調は、霊障などである可能性が高い。

「渋木は朝礼後医務室へ行け。夜勤、渋木への引継ぎは菊谷へ。……朝礼始めるぞ」

 少し機嫌の悪そうな班長の声で、籠目財団災害対策二課、大暑班の一日が始まった。


みどり、ちょっといいか」

 そろそろ昼時、という頃になり、備品整理にキリがついたところで、ふと声をかけられた。渋木先輩と班長だ。

「昼飯がてら、ちょっと頼み事がしたい」

 素直にうなずけば、班長はおれの頭をわしわしと撫でて席を立たせた。……なかなか後輩が入らないせいか、最年少だからか、もうすぐ二十歳になるのに子供扱いされている。名字じゃなく名前で呼ばれるし。

「今日何食べるんだ」

 天そば、と伝えれば「またそれか」と渋木先輩が笑う。

「おごってやろうなー」

「おごりもなにも、食堂無料じゃないっすか。……あー、今日の小鉢白和えか……緑にやろう」

「偉そうに、お前が苦手なだけだろ」

 やいのやいの言いながら、混み始める直前の食堂で席をとる。かわいがられるのは嫌いじゃないし、子供扱いにかこつけてこうやってじゃれあいになるのも好きだから、居心地が悪いということはない。

 食券を発行して、食器を乗せるお盆を用意したところで、渋木先輩の右手がまだぎこちない動きをしていることに気づいた。大丈夫だろうか、と腕をつついて首をかしげて見せれば、渋木先輩は苦笑した。

「まだちょっと、な。盆の持ち方、手本見せてくれるか」

 おれの右手は普段、軽くものを握ったような形のままで、あまり動かない。細かい動作はできないし、指でしっかりつかむこともできないから、手でする作業は左手任せだ。もう随分慣れたけれど、もともと右利きだったのだから、苦労することも多い。先輩がどの程度右手を動かせるのかにもよるが、そもそもの話……。

 箸は使えるのか、と箸立てと渋木先輩を交互に見たら、先輩と班長が同時に「アッ」と声を上げた。


 食券をキャンセルして、スプーンで食べられるオムライスに変更して、とドタバタやって、渋木先輩はすっかり疲れた顔をしている。

「白和えやるって言ったのに、ごめんな」

「気にするとこそこじゃないだろ」

 スプーンでも、利き手ではない手で使うのは難しい。渋木先輩は普段の3倍くらい時間をかけながら、オムライスを食べていた。おれは左手で箸を使って天そばをすすり、班長がくれた冷ややっこをつまむ。

 頼み事というのはなんだろう、と思っていれば、班長が味噌汁のお椀を置いて口を開いた。

「緑、退勤後の予定はなにかあるか?」

 首を横に振る。夕飯の買い出し程度で、どこかへ出かける用事はなかった。特に見たい配信などもない。

「悪いんだが、渋木の部屋へ行って不寝番を頼みたい」

 黙々とオムライスを食べている渋木先輩が、手を止めて申し訳なさそうにおれを見る。不寝番、と首を傾げれば、班長が説明してくれた。

「渋木の腕は、どうやら霊障らしい。症状としてはハネムーン麻痺みたいなものだと」

「その言い方だと俺がおばけとアツい夜を過ごしたみたいで嫌なんすけど」

 渋木先輩の抗議をものともせず、班長は話を続ける。

「で、だ。医務室で寝かしてみたが、特になにも出なかった。出てくれれば祓えたんだが、どうやら出る場所は渋木の部屋限定らしい」

 押しかけ女房だろうか。思わず浮かんだ考えがしっかり顔に出ていたらしく、渋木先輩に嫌そうに睨まれてしまった。

「可能性としては、渋木がどっかでおばけをホイホイしてきたってのが有力だな」

 先輩が好きすぎる人や、先輩の「腕」に死ぬほど嫉妬した奴が生霊になっている可能性はないのだろうか。渋木先輩は結構器用だし、確か絵を描くのが趣味だったはずだ。

 そう伝えてみれば、渋木先輩はなんとも言えない顔をして、「それはだいぶ奇特なやつだな」と呟いた。触れてはいけない話題だったかもしれない。

「優しいな緑、俺にそんな甲斐性を見出してくれるのか」

「私は実質ホイホイ一択だと思ってるが」

「それはそれでひでぇっすけど」

 仮説を立てられるだけ立てるのは大事だ、とうなずいた班長が、経緯を追加で説明してくれた。医務室でいろいろと検査をした結果、生者による干渉の痕跡は出なかったのだという。班長の「ホイホイ一択」はそういうことだったらしい。

「緑に頼みたいのは、渋木が寝てるとこを見張って、なにが悪さしてるのかの確認だ」

 生霊の可能性は排除されたに等しいが、妖怪・妖精や神霊の仕業という可能性はまだ残っている。解決にあてる人員選定のための調査、ということになるようだ。

「単に寝違えたんだと思ったらえらい大ごとになっちまって、まあ」

「だからちょっとした不調でもちゃんと確認しろと言っているだろうに」

 仕事の内容は了解した。うんうん、とうなずいてから、確認したいことを並べる。

「行けると思ったら倒してしまっても構わないか……ってお前」

「豪気だなこのアホ」

 種別の見分けができても、危険度の見極めで認定取ってないだろう、と叱られた。今回の件では命の危機がある場合以外、超常に敵対行動をとらないように厳命される。確認しておいてよかった。

「おっかねぇなほんと、俺の命もお前にかかってんだから慎重に頼むよ」

「確認が取れるようになっただけ上出来だ。現地調査現調にいた頃は、出てきたやつをいきなり真っ二つにしたらしいじゃないか」


 急な不寝番ということで、本来の勤務時間中に取らされた仮眠も、休憩扱いにはならなかった。他に勤めたことがないからわからないが、気前が良くてありがたいことだと思う。

「眠そうな顔してっけど、居眠りしないでくれよ」

 もともとこういう顔だ、と主張すれば、渋木先輩はけらけらと笑っておれの頭を撫でた。一緒に退勤してきて、いつもの職員寮ではなく、先輩が住んでいる一般のアパートへ向かう。夕飯は先輩の家で食べるのだ。

「つってもロクな食材ないから、買い物行かねぇと」

 なにを作るのか。

「カモ肉のソテー~ラズベリーソースを添えて~……とか、待て、俺が作れるわけないだろそんなもん。目ぇ輝かすな」

 期待させるような噓をつくのが悪いと思ったので、肘で渋木先輩の腕を小突いておいた。今日の夕飯は野菜炒めらしい。あんま期待すんなよ、とは言われたが、先輩は自炊歴の長い人だ。おれよりは上手く作ってくれるだろう。

「昨日はみそ野菜炒めだったから、今日は鶏ガラで味付けっかな」

 ……三六五日野菜炒め食ってる疑惑が出てきたが、それはそれで野菜炒めは上手いのかもしれない。味噌汁も飲みたい、とわがままを言ったら、ハイハイ、と買い物に豆腐となめこを足してくれた。


 あれこれ手伝いながら作った夕飯を食べて、渋木先輩が風呂に入っている間に、持ってきた標準装備の確認をする。風呂は少し悩んだが、どのみち報告で本部に戻ってから帰宅することになるので、帰り際にシャワーを浴びることにした。ウチの風呂使ってもいいぞ、とは言われたものの、一応護衛みたいなものだし丸腰になるのは……と伝えたら、おれは目を潤ませた先輩に両手を合わせて拝まれた。着替えを持っていくのが面倒だったとは言えない。

 清め塩、浄化符、身代わり符、と一通り並べて、制服のポケットにそれぞれしまい直し、動かない右手を眺める。

 まったく動かない訳ではないし、「普段」でなければよく動く右手。

 ク、と指に力を入れれば、手の内には薄く透けた刀の柄が現れた。常に鞘を払った状態で、おれの手には見えない日本刀が握られている。なにかを斬ろうと思うと具現化されるこれは、手放そうとしてもおれの手から離れたことがない。

「うわ、なに、もうなんか出た!?」

 半裸で出てきた渋木先輩に、首を横に振った。問題なく刀が握れていることも確認できたので手の力を緩めて、先輩をしっしと追い払う。服を着ろ、という意図は伝わったのか、先輩はすごすごと脱衣場に戻っていった。ふう、とため息をつく。抵抗はないが、性別問わず人の裸なんて進んで見たいものでもないのだ。

「悪い悪い、いつも風呂上り半裸だから」

 もともと渋木先輩はちょっと雑な人で、夜勤上がりにシャワー室で会うとさっきのように半裸でうろついていることも珍しくない。肩をすくめて見せれば、仕方ないなという諦観は伝わったらしい。

 怒らせたと思ったのか、「アイス食べるか?」とあからさまなご機嫌取りをしてくるので、アイスはありがたくいただくことにして、少し迷ってから口を開いた。

<べつに、おこってない>

 人工発声器から出た、ガリガリと少し角の目立つ声に、渋木先輩は目を瞬く。それから、眉を下げて笑い、「そうか」とうなずいてくれた。

「お前、それちゃんと使えたんだな」

 それ、と先輩は自分の首を指先で叩いて示す。襟で隠しているが、おれは喉元にハンズフリーで使える人工発声器ELを装着しているのだ。自分の声帯の代わりに、外側から振動を与えて声を作る機械。自分の声ではないような気がして、あまり使う気になれないのだが、身振り手振りや筆談をする時間がないときのために、いつでも使えるようにしている。

<先輩は、聴こうとしてくれる>

「なに言ってんだ、職場全員そうだろ」

 聞き取りやすいとは言い難いこの声でも、おれと会話しようとしてくれる人がいて、話しかけては耳を傾けてくれるのだ。ただ、なにも言わなくても思考を読んでくる先輩もいるし、渋木先輩もそうだがおれの表情で言いたいことを察してくれる人も多い。

<甘えてたから>

「仕事の報連相はちゃんとできてるだろ」

<このままじゃ合同作戦出られない>

「ン、なーるほど」

 話すために口を開くのは、少し勇気が要る。声を使わずに意図を伝えることに慣れてしまったし、入職してから技術班に作ってもらった人工発声器の声は、流通しているものよりは滑らかに発声できるものの、ひどく目立つのだ。しかし、声でのやりとりは現場で一番効率のいい情報伝達手段で、それが使えないままでは、特に普段かかわりの薄い他班との連携が求められる大規模作戦にはまず参加できない。

ELそれで話すのに慣れすぎると、リハビリ大変なんだろ?」

<そのとき考えるから、いい>

「んもー、頑固者」

 話しながら食べていたアイスは溶けかけていて、慌ててスプーンで掬って口へ運ぶ。

 この手で倒したい超常がいる。そのために、対処できる案件が制限されていては困る。だから、少しずつでもスムーズにコミュニケーションができるようにならなくてはいけない。

「焦んなよ。……まあでも、ありがたいよ、人手はいつでも足りてないし、戦える奴はもっと少ないから」

 おしゃべりの練習したいって班に伝えような、と言われて、癖でうなずいてから「はい」と答えれば、渋木先輩はおかしそうに笑った。

「お前結構わかりやすい顔するから、見てて面白いんだけどな」


 渋木先輩が寝支度を整えて布団にもぐりこんだところで、仕事用に支給されている端末から本部に観察開始の信号を送る。

 よくないものに憑りつかれているかもしれないというのに、先輩はおやすみ、と言った数分後にはすっかり寝息を立てていた。班長はおれのことを豪気なアホと言ったが、先輩もいい勝負だと思う。班でも屈指の神経細い先輩が、災害対策課、特に超常災害対策の現場担当はこれくらい単純で肝が太い奴の方が生き残る、と言っていたのを思い出した。こういうときでも眠れないと、就寝中の超常観察という目的は達成できないし、睡眠不足は判断力低下に直結する。

 渋木先輩は現場に配属されて長いらしいし、半裸で歩き回るところはともかく、滅多に動じないところは見習った方がいいのかもしれない。

 眠っている先輩を前に、明かりをつけるのもはばかられるし、特に手仕事を持たされもしなかったので、ただ座って待機することになった。自分からなにかできそうな仕事はないかと聞けばよかったかもしれないが、手すきでいるのが見えるとすぐに仕事の方から飛んでくるのに、なにも言いつけられていないということは観察に集中しろということなのだろう。先輩の腕一本、まずい場合には命を預ると考えれば、それも当然か。

 片胡坐で座り、渋木先輩から目を離さないまま、呼吸を整えた。静かに深い呼吸を重ねるうち、心が凪いで、感覚が冴えてくる。閉じた窓の外に吹く風の音、遠くの酔っぱらいの足音、部屋の中の小さな空気の揺らぎ……少なくとも部屋の中には、おれと先輩の二人分しか気配はない。

 そうして息をひそめていると、不意に先輩が寝がえりを打った。ごろ、と右腕を投げ出して、なにかムニャムニャと寝言を言っている。

「……うーん……?」

 暗所に慣れてきた目でよく見れば、先輩は眉間にしわを寄せて寝苦しそうだ。寝返りを打ち直そうとしているようなのに、押さえ込まれたように小さく身じろぐだけで、動けていない。

 ひく、と先輩の指先が震えて跳ねる。ここに至ってようやく、先輩の腕にのしかかって肩口にしがみつく幽霊が見えた。神霊や妖怪ではない、紛うことなき人間由来の超常だ。

「――」

 刀を出そうとして、右手を下す。左手で支給端末の発報操作をし、有害超常の出現を報告した。今日のおれの仕事は、観察と、報告だ。

 幽霊は、おれに目を向けることもなく、先輩の腕にしゃぶりつくように絡まっている。腕枕などという甘いものではなく、まるで蛇がサイズ的にぎりぎりの獲物を呑むために締め上げているかのような姿だ。

「う……っ、あ」

 先輩の乱れた呼吸の隙間から、耐えかねたように苦鳴が漏れる。それでも目を覚ます気配がなく、引き攣れたような声の混じった吐息が部屋に積もっていった。

 これほどうなされていて、朝起きたら「なんか寝違えたっぽい」という認識しかないというのは、かなり異常なことではないだろうか。渋木先輩が人並外れて鈍いのか、超常が記憶や精神に干渉しているのか……昨晩はこんなにひどくなくて、一日経ったことで悪化した可能性もある。

 観察、観察……と一人きりで冷静を装うものの、目の前で普段からかわいがってくれている先輩が襲われているのをただ見ているだけという歯がゆさに、知らず肩が強張っていく。握りしめた右手の中には、一度はしまったはずの刀の柄がはっきりと感じ取れた。

 ――命の危機がある場合を除き、超常への敵対行動は禁止。

 厳命された今回の対策方針を頭の中に唱え、息を潜めて現段階での観察結果を端末から送信する。発報に対しては確認済の通知があるものの、観察を継続するように、としかメッセージはなかった。

『腕はひどく圧迫されている様子があり、このままでは後遺症の発現が懸念される。【D-2】対処規定に基づいた対象からの剥離のち封印措置の許可を要求する』

 単純な観察の報告に加えて送ったメッセージに、返事はない。……超常クラス判別訓練を修了していないおれが、対処規定の選定を行うことはクリアランス違反だ。

『急を要することは了解した。対処可能な人員を急行させるので、引き続き経過観察を行い、変化があれば逐次報告するように』

 予想通りの回答に、噛み締めた歯が軋む。

 画面から目を離し、霊を睨み据えれば、はた、と霊と目が合った。

 いっそこちらに標的を移してくれれば、自己防衛の扱いで実力行使ができる。そう思いながら睨み合っていると、粘ついた視線を放つ霊の瞼が細く歪み、裂けた口の端がニンマリと吊り上がっていく。

 錆びて折れた鋸のような乱杭歯の隙間からはみ出した腐りかけの舌をなめずり、大口を開けて渋木先輩の肩に嚙みつこうとするのを見て、空転しかかっていた思考がぱちんと白く静まり返った。

 ――気が付いた時には、先輩に馬乗りになって、右手に握った太刀で霊の顎下を貫いていた。

<……起きて、先輩>

 懐にしまった封印符を引っ張り出しながら、先輩に声をかける。

<どうしよう。封印間に合えば怒られないかな>

「……フツーに怒られるわ、ぼけ」

 寝起きでかすれた声が、呆れたように告げた。同時に、今までもがいていた霊はフッと掻き消え、封印符が空を切る。

「なに、……やっつけちゃったの? すげーじゃん。てか重」

 のそのそと先輩の上から退いて、布団の横に正座したところで、玄関から人の声がした。急行させる、と言われていた夜勤担当が来たらしい。端末を見れば、開錠可能かどうかの確認メッセージが来ている。

「……正直に返事して玄関開けてこい」

 仕方ねぇなぁ、と頭を掻いて、渋木先輩が起き上がる。おれはメッセージに返事をして、玄関を開けるために立ち上がった。


 駆けつけてくれたのは夏至班、つまり財団屈指の実力者集団から二名だった。どちらも入職したときからおれを気にかけてくれている、親戚のおじさんみたいな人たちで、顛末を説明したら「無茶しやがって」と頭の痛そうな顔をされた。現場の状況確認を一緒にしてもらって、大して眠れていないまま叩き起こされたかわいそうな渋木先輩と本部へ戻る。

 先輩は怒涛の検査と被害の確認、おれは状況確認と報告書の作成。やることが違うので、職員玄関で別れた。

「……で? おばけの正体は不明、渋木のとこに出た原因も不明、目的も不明、おばけは強制排除済、ついでに渋木の布団と部屋の床に穴開けた、と」

<はい……>

 仮眠室で休んでいた班長が起きてきて、書き途中の報告書を後ろからのぞき込んでため息をつく。

「命の危機を除いて、敵対行動をとるなって言ったよな?」

 そのつもりだった、とうなだれれば、班長は少し驚いたように黙って、それからおれの髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。

「反省はしてるみたいで結構。言うこと聞くつもりがあって先に確認したんだもんな?」

<はい>

 なんでそうなったのか言ってみろ、と促されて、ぽつ、ぽつと説明する。霊からは明確な害意を感じられたこと、観察者の存在に気付かれていたこと。渋木先輩はひどく苦しんでいるのに目を覚ます様子がなく、締め上げられた腕の圧迫や角度から、重い傷害を負う可能性があったこと。

<命の危機、ではなかったかも>

「おいおい勘弁してくれ、嚙まれそうになってたんだろ? シャレにならねぇよ」

 よろよろ、と渋木先輩がオフィスに入ってくる。右腕にサポーターを付けて、しんなりと疲れ切った様子だ。

「検査どうだった」

「肘は脱臼手前、神経圧迫されすぎて腕上がらねっす。ちゃんと見てないけど、あのきったねぇ歯で噛まれてたら、腕腐ってもげてたんじゃないっすか」

 笑い話のようにへらっと言いながらこっちへ来て、左手でまたおれの髪をくしゃくしゃにかき回す。もう鳥の巣どころではない。

「瘴気は?」

「今週中は勤務前後に浄化に来いって言われたっす」

 一度で浄化しきれない程の瘴気を受けたということだ。明確な体調不良が出る基準値を大幅に超えていなければ、浄化担当部署はあっさりと仕事を終えてくれる。

<……もっと早く斬ればよかった>

「おーお、往年のヤンデレCDみたいなこと言うなって」

 渋木先輩は浄化処置が完了するまで現場への配置は控えるよう、医務室から班長あてに通達が来ていた。幸い怪我の程度は軽いため、浄化が終わるころには右腕も元通り動くようになっているだろう、とのことらしい。

「とっとと治して現場復帰するぞー」

「調子のいい……」

「緑のおかげで現場担当続けられるんだから、万々歳っすよ」

 なあ? と座ったままのおれの後ろから抱き着くようにして、先輩が肩にのしかかってくる。きゅ、と口元に力を入れれば、班長と先輩は顔を見合わせて笑った。

「照れてんのか?」

「かわいいなぁ、まだ反省してるんだから笑っちゃいけないとか考えてんだろ」

 うりうり、と両側から頬を突かれて、せっかく締めた口が緩む。

「規則と業務指示守れなきゃお話にならんけどな、それができると認められたら、判断の速さは武器だよ」

「夏至のおっさんたちもアタマ痛ぇって言いながら、ちょっと笑ってたかんな。目ぇつけられてるぞお前」

「ゲ、規則と業務指示守れる緑なんて最終兵器だろ。持ってかれちゃ困る」

 好き勝手言う班長と先輩に挟まれて笑っているうち、早番の先輩たちが出勤してくる。おれがいじられているのを見るや、わらわらと寄ってきて渋木先輩の無事を確かめたり、おれの頭をかきまわしたりと構いつけてくれるので、おれはそろそろハゲてしまいそうだ。

<おれ、この班、好き>

「なに緑、喋るじゃん」

「ポニョだ」

<おしゃべり、頑張る>

「森から出てきた心優しいオーガか?」

 とにかくその日は、報告書を仕上げて眠い頭でシャワーを浴び、帰路についた。

 まさか本当に夏至班に目をつけられているなどとは思ってもいなかったおれは、翌日の勤務で夏至班の班長にやたらと絡まれて、班長同士が静かに喧嘩しているところを見る羽目になったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

籠目財団超常災害対策課-Tips きよみ @shiou_kiyomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ