第10話 感謝と疑問
昨日はとても良い一日であった。
「フィリオーネがあんなにも喜んでくれるなんて……呼んで良かった」
最高の笑顔と、そして感謝の言葉を思い出し、仕事先だというのに思わず顔がにやけそうになる。
「ありがとうございます、ゼイン様。あなたのおかげで二人に会えました」
二人が帰った後で、フィリオーネは今までと違って晴れ晴れとした笑顔で接してくれた。
「フィリオーネが喜んでくれたのなら、俺も嬉しい」
「ゼイン様。不思議だったのですけれど……どうして、私にここまでの事をしてくれるのです? 私には返せるものなどないのに」
フィリオーネは申し訳なさそうに、切ない表情で俺を見上げてくる。
「私にそれ程の価値はない……それにいつから私の事を知っていたのですか?」
俺がどこでフィリオーネを知ったのか、そして何故求婚するに至ったか、フィリオーネにとって当たり前の疑問だ。
調査の為にキャネリエ家を訪れ、そこで偶然に見かけた……とは言い難い。調査をされていたなどと聞けば不快感を覚えるだろう。
しかし誠実な彼女相手に嘘をつくことはしたくない。
「キャネリエ家の近くを通った際にあなたの歌声が聞こえてきた。そして使用人から慕われている様子も伝わって来て……そこから気になっていた」
かなり省いて、伝えられるところだけを話す。矛盾はあるが、どうか突き詰めて聞かないで欲しい。
「つまり幼少期にあっていたのではなく、偶然私が歌う所を聞いた、という事ですね。よかったわ、ゼイン様に会った事をすっかり忘れてしまったのかと思って」
「もしかしてずっと気にしていてくれたのか?」
俺とどこで会ったのかという事を。
「当たり前です。ゼイン様みたいに優しい人を忘れるなんて、申し訳ありませんから」
(俺は優しくない。優しいとしても、フィリオーネにだけだ)
キャネリエ家から連れ出したのも、フィリオーネの祖父母を呼んだのも、フィリオーネが喜ぶならと思っただけだ。
またそっとフィリオーネの手を握らせてもらうと、なんとフィリオーネ自ら体を寄せてくれる。
「私をあそこから出してくれてありがとうございます」
思った以上に近い距離に心臓が跳ね上がる。
抱き上げたり、馬車で隣に座ったりはしたが、その時は必死だったのでそんな事を思う暇はなかった。
フィリオーネの体温や香りに手に汗が滲んでしまう。
けれども折角寄り添ってくれたのだから、離したくはない。
そんな昨日の事を思い出し、にやけるのを抑えるために眉間に力を入れる。
(今日もまた帰ればフィリオーネがいるのだな)
それを思えばやる気が満ちる。
今ならどんな仕事もこなせる、そう思えるくらいに。
「ゼイン様」
声を掛けられ、一気に現実に引き戻された。
「何か用か?」
声を掛けてきたのは同僚のアッシュだ。
「いえ、何かあったのかと思いまして。その、怒っているのかと」
「別に何もないし、怒ってもいない。いつも通りだ」
寧ろ嬉しい事しかない。
しかし一応仕事に来てる身だ。そんな浮かれた様子を外に出すことはしないが、そのせいでいつも以上に顔に力が入ったのかもしれない。
考え事をしていると、よくエイディン様から「眉間に皺が寄っているよ」と指摘をされることがあるからな。
気を付けないと。
「本当に大丈夫ですか? その、噂を聞きまして……」
「噂?」
まぁ大体予想はしていたが、あえて知らないふりをして聞き返してみる。
さてどのような内容になったか。
「ゼイン様はカナリア令嬢と恋仲であったのに、我儘な鶸令嬢との婚約を結ばれてしまったと。かわいそうな従姉の為に泣く泣くカナリア令嬢はが身を引いたとお聞きしたのです。今ゼイン様を心配した皆が、この事についての抗議を検討していて……」
「なんだそれは」
周囲でひっそりと聞いている者にも向け、殊更大きな声で大げさに返す。
「カナリア令嬢とはククル嬢の事か? 誰があれと恋仲だと? 怖気がする」
軽く否定するだけのつもりは、つい勢い余って本音が出てしまった。
「そしてフィリオーネが鶸令嬢? 確かに体は弱いし小柄で可愛いし……まぁ悪くない名称ではあるな」
鶸の歌声も綺麗ではある。場合が場合でないならば、確かにその呼ばれも悪くはないが。
「我儘とは聞き捨てならない。フィリオーネはとても優しく、むしろ我慢強すぎて望みを素直に伝えてくれない。それで困っているというのに」
「えっと、そんなの僕に言われても……」
「では、誰が我儘などと言っていたのだ。彼女は外に出ることもしない、交流も制限されている。それなのに何故そんな噂が広まっている」
「僕も、噂で聞いただけですので」
相次ぐ否定でアッシュはしどろもどろになっている。
悪いが軽々しく噂を信じ、当人に話してきた罰だ。犠牲になってもらうぞ。
「確かに我儘鶸との噂は昔からあった。けれど俺とククル嬢が恋仲なんて事はない。いつ誰から聞いた、今すぐに言え」
周囲に目をやれば皆が目をそらす。つまり皆もこの噂を聞いたのだろう。
「この噂を聞いたというものは手を上げろ」
俺の声におずおずとあちこちから手があげられる。
「俺の妻に不名誉な事を言うのは許さない。一人ひとり尋問するからな」
皆の表情が歪む。
(蛇と言われる俺に調べられると言えば、そりゃあ嫌だろう。だが、好きでもないものと恋仲と言われるなど、こちらとて不愉快だ)
「どうしたんだい、騒がしいね」
タイミングよくエイディン様とアマリア様が通りがかる、これまた都合がよい。
まぁ示し合わせてくれたのだがな。
「この騒ぎのもとはゼインかい? 珍しいね、君がこんなにも大声を上げるなんて」
「大きい声も出てしまいます、俺の婚約者に対して不当な噂を耳にしたのですから」
「へぇ、どんなのだい?」
エイディン様が話に合わせて眉を顰める。
「俺がカナリア令嬢と恋仲で、しかし我儘な鶸令嬢がそれを引き裂いたというものです」
「まぁ、なんとひどい!」
アマリア様も激昂する。
「ゼイン様とフィリオーネ様はお互いを思い合い続け、ようやく婚約したというのに……何という中傷を。誰ですか、そのようないい加減な事を言ったのは!」
生真面目なアマリア様にこのように言われては、皆更に委縮するだろう。
というか演技にしては力が入り過ぎてないか?
「うんうん、ひどいね。アマリアがこういうのだから、この件はよ~く調査しないとね。特にゼインは僕の大事な親友だ。その結婚を祝福できないなんて、ひどい話だ」
どこかのほほんとした口調だが、エイディン様はやると言ったらやる。
「まずここにいる皆から話を聞こうか。あぁ誤魔化したりしないでくれよ、拘束時間が延びちゃうからね。セクト、シャラ」
エイディン様の合図で体格の良い二人が皆を囲む。
「大丈夫、ひどい事なんてしないよ。正直に言ってくれればね」
笑顔のまま口調も変えずに言うのだけれど、そこが怖い。
アマリア様がいなければこの人も何をするかわからない人だ。
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