翌翌々日、ナオトは今日も変わらず部長出勤であった。店内に入るなり、ゲンイチロウに仕事の要求をした。

「何かやることはないか? 正直暇でかなわん」

「ちょうどいい。いま、キョウジが来ていてな、奥でカナタと何かやっているようだ。おそらく、報告があるだろう」

 ゲンイチロウは親指を立てた拳で奥の部屋を指した。

「そうか、なら、おれも話に加わってくる」

 お冷とコースターを持ってナオトは奥の部屋に向かった。奥の部屋にはシオリもいて、当然ながらナオトに気づいた。

「おはよう、ナオト」

「ああ、おはよう」

 ナオトは、部屋にいる全員に向けて挨拶した。

 キョウジが握り拳を突き出してきた。ナオトも同じようにして、グータッチした。

 春海はるみキョウジはナオトより二歳年長の二十三歳である。毛という毛をくすんだ金色に染めている。当たり前だが、服装に隠されている部分まではわからない。探偵『四季』の実働部隊の実質的な統率者リーダーである。格闘技術センスに優れ、常に飄々としてとらえどころがない雲のような自由気ままな言動には、色々と障りもあったが大事おおごとになることはなかった。黙っていると二枚目なのだが、口を開くと一枚増える。ほとんど自分のことを語らないのはキョウジに限ったことではなく『四季』の全員にいえることだが、キョウジの場合は意図的に隠しているようにナオトには思えていた。

「首尾は?」

 ナオトは腕を下ろしてキョウジに尋ねた。

「片づいたよ」

「さすがだな」

 ナオトはカナタの頭越しにノートパソコンの画面に目を向けた。

 カナタはパソコンを操作して、ある画像を表示してみせた。更にマウスを駆使して高解像度の画像のある部分を中心にして拡大させた。若い男女が腕を組みながらラブホテルに入っていく瞬間が捉えられていた。更に拡大していく。二人の顔が鮮明に写っていた。

「これは言い逃れはできないな」

 ナオトが感心している間に、カナタは画像を印刷した。

「それともうひとつ」

 キョウジはジャケットのポケットに手を滑り込ませてある物をテーブルに置いた。

「ICレコーダー」

 その言い方は、どこぞのネコ型のロボットのようであった。

「男の服に盗聴器を貼りつけたのさ」

「じゃあ、それを録音したというわけか」

 キョウジは何も答えず、何の合図も送らなかった。その意味を、ナオトは理解した。

「シオリ、マスターが呼んでいたぞ」

「えっ、そうなんだ。わかった」

 シオリが部屋を出ていったのを確認すると、カナタはICレコーダーのボリュームを最小に下げてから再生させた。行為前と行為中、そして行為後の会話がきっちりと録音されていた。更に、お互いの名前も記録されていた。

「これは」

 さすがにやり過ぎではないか、ナオトは眉を曇らせてキョウジに目で訴えた。

「画像で追い込められなかった場合の保険さ」

 理屈はナオトにもわかるのである。心情的に納得し難かったのである。

「男と女の関係なんて、ドロドロとして生々しいもんさ。綺麗事だけではすまない。お前さんにもわかっていると思うがね」

 ナオトは頷かずに頭を振った。

「それはわかるが」

「他人を頭から疑ってかかる。まあ実際のところ、これが、おれたちの仕事なのさ。潔癖なお前さんには辛いかね」

 ナオトは溜息をもらした。正論を否定するだけの根拠が思い浮かばなかったのである。

 その後、カナタは音声データをSDカードにコピーして、封筒に画像とSDカードを入れて封をして、閉じた部分に二箇所判を押した。それを受け取ると、キョウジは部屋を出ていった。更にカナタは音声データをノートパソコンに保存してバックアップを取り、ICレコーダーのデータを消去した。入手したデータは一定期間保存しておくのである。全てが片づき、不要となった時点で抹消される。カナタは一連の動作を機械的に片づけた。ある意味、ナオトよりも肝が座っている。

 ナオトは足取り重く、部屋を出ていった。


 店内に戻ったナオトは、信じられないものを見たように大きく目を見開いた。例の子供が店内に入ってくるなりキョウジに文字通り飛びかかったのである。飛びかかられたキョウジも驚いたようで、大きく両手を広げて子供を受け止めると、そのまま後方に倒れ込んだ。その時に子供の頭がキョウジの顎を直撃して、思わず舌先を無くすところであった。

「ってて、一体何なんだ」

 負傷した顎を確認しながらキョウジは、胸の上にある子供の頭に目をやった。子供はぱっと顔を上げた。

「やっと見つけた!」

「ん? 君くらいの子供はおれにはいないはずだが」

 キョウジの冷静な軽口は、子供には理解できなかったであろう。子供は瞳を爛爛と輝かせながら意外な台詞を口にした。

「結婚して!」

「はぁ?」

 ゲンイチロウとシオリ、そしてナオトは同じ驚きの調子トーンで目と口を大きく開いた。

「悪いんだが、童子を愛でる趣味はないんでね、他所をあたってくれ」

「ボク、男じゃないよ。女だよ」

「はぁ?」

 ゲンイチロウとシオリ、ナオトの同調ユニゾンは続いている。

 キョウジは一度目を閉じ、しばし黙考した。目を開けると、女の子の腋の下に手を滑り込ませて脇に除けると、あぐらを掻いて髪をかきあげた。

「キミ、いくつだい?」

「十歳!」

「そうか、残念だが、この国の民法では十八歳にならないと結婚できないんだ。そういう訳なんでね、八年後にまた会おう」

 子供相手でも、キョウジは冷静に率直に、そして直入に、ついでに解りやすく応対する。そこは見習うところが大きいと、ナオトは思った。思えば、シオリもナオトも、そしてカナタも相手のことを男の子だと決めてかかって対応した。それがこの女の子には気に入らなかったのかもしれない。反省するところ大であった。

「ちょっとキョウジ、そんな適当な約束してもいいの」

 シオリが懸念を表明したが、キョウジは全く意に介さない。

「おれは来る者を拒まない。ついでに去る者も追わない。無理やりってのは性に合わないし、第一洗練スマートではないね」

 シオリの話への介入に女の子は気分を害したようにキッとシオリを睨みつけると、指差して詰問した。

「まさか、その縞パン女が彼女じゃないでしょね」

「し、し、縞パン?!」

 耳まで真っ赤になったシオリの声は、ものの見事に裏返まくっていた。

「まあ、パンツの趣味は良いけれど、あの三色の髪はだめね。似合ってない」

 ゲンイチロウとナオトは女の子の言いようが可笑しくて、つい失笑してしまった。

「そこっ! なにが可笑しいのっ!」

 シオリがキッとナオトとゲンイチロウを睨みつけた。ゲンイチロウとナオトは直立不動で息を止めた。いまは色々と混線している。会話に加わるのは止したほうがよい。二人はそう判断した。

「もう頭にきた! その良く回る舌を引っこ抜く!」

 本当にやりそうな勢いであったが、ゲンイチロウもナオトも黙認した。

 店内の騒がしさが気になったのか、カナタが奥の部屋から顔を覗かせた。近くにいたナオトに声をかけた。

「どうしたんです? 随分賑やかですけれど」

「かくかくしかじかでシオリがブチ切れた」

「ふーん、そうですか」

 カナタは気のない返事をした。そもそも他人に興味は無い。

「念のために、店内の様子を録画しておいてくれ」

「いいですけれど」

「何かあったときの証明に必要になるかもしれない」

「何か起きる前に止めればいいじゃないですか。いつものナオトさんなら、そうするでしょう?」

「頭に血が上った時のシオリは手がつけられない」

「ありゃあ、女豹じゃな」

 ゲンイチロウは、シャーと威嚇するシオリを目に収めながら的確に論評した。

 キョウジはあぐらを掻いたまま、頭を掻いた。

「やれやれ」

 キョウジは立ち上がり、ズボンの右腿あたりをはたいた。どうも芝居がかっている。そうして、すばしっこい女の子を捕まえると、騒ぐのも構わずに店外に放り出した。そして鍵をかけた。

「ナオト」

 キョウジがナオトに促した。ナオトは理解して、もう一方のドアの鍵をかけた。女の子はドンドンとドアを叩いている。内側ではシオリが威嚇している。

「おい、このままうやむやにしてもいいのか? あの調子じゃあ、また来るぞ」

 ナオトはそう言ったが、キョウジは素っ気ない。

「おれは言うべきことは言ったんでね。あとはあのお嬢ちゃんが考えるだろうよ」

 ナオトは渋い顔をした。

「子供相手に」

「大人気ないか?」

 ナオトの台詞を途中で奪ったキョウジは鼻で笑った。

「営業妨害で訴えることもできる。それこそ、大人気ないとおれは思うがね」

 ナオトは自分の行為を恥じた。

 キョウジはカウンター席につくと、何事もなかったかのようにゲンイチロウにアイスコーヒーを注文した。

「明日が来ないように願いたい」

 アイスコーヒーを作りながらゲンイチロウが嘆くようにつぶやいた。

「別に害はないだろう。放っておけばいいさ」

「お前さん、案外冷たいんだな」

 ゲンイチロウは渋い表情でアイスコーヒーを差し出した。

「心外だね。いま、ボールはあの嬢ちゃんが持っている。どういう答を出すか、見てみるのも一興さ」

 キョウジはアイスコーヒー入っているのグラスを掴んだ。

「それに」

「それに?」

 ゲンイチロウが尋ねると、キョウジは片目をつぶって答えた。

「八年後が楽しみだね」

「本気か?」

「可能性の問題さ。この世に確定した未来なんて無い、と、どこかのお偉いさんが無責任に言ってたかもね」

 キョウジはグラスを傾けた。と、秀麗な眉が跳ねあがった。キョウジは椅子を回転させて、シオリに油を注いだ。

「シオリ、今日も縞パンなのかい?」

 ピクリとシオリの耳が動いた。ゆっくりと振り返るシオリの瞳は、自我を失った怒りの色に染め上がっていた。

「縞パン言うなー!」

 シオリの雄叫びが店内にこだまして、ものすごい形相と勢いで、キョウジに飛びかかった。

 この後しばらくの間、「縞」と「パン」の二つの単語は、禁句になった。

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冬木シオリ・アジタート -喫茶探偵物語余話- きよし @kiyoshi_102-KY

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