最終話 ずっとそばに

 翌日、私とリュカは朝食をすませた後、昨日リュカが一緒に行きたいと言っていた場所へと出かけた。どうやら屋敷の敷地内にあるらしく、その場所へと続く綺麗に舗装された小道をリュカと二人並んで歩く。


 春らしいぽかぽかと暖かな陽気に、柔らかなそよ風が吹きわたって気持ちがいい。


「ねえ、これから行く場所って……」


 すぐ隣を歩くリュカを見上げて尋ねたとき、後ろからリュカを呼ぶ声が聞こえた。


「兄さん、待ってください!」


 振り返ると、ジュリアンさんが私たちを追いかけてきていた。


「ジュリアン、どうした?」

「兄さん、あの場所に行かれるんでしょう? 父上の代わりに、これを……」

「……分かった」


 ジュリアンさんが、リュカに数本のバラの花束を手渡す。リュカがそれを両手で受け取ると、ジュリアンさんがうっすらと微笑んだ。


「……兄さん、ソフィさん。僕、これからは父上と母上の屋敷で暮らそうと思います」


 突然の宣言に、私とリュカは顔を見合わせる。

 昨日、テオドール様たちの屋敷から帰った後、ことの経緯をジュリアンさんにも話したのだが、ジュリアンさんは実の母親がしたことに酷くショックを受け、私とリュカに何度も頭を下げていた。


「あの、昨日お話ししたことで私たちに申し訳ないからという理由でしたら、気にしないでください」


 私が咄嗟にそう言うと、ジュリアンさんはゆっくりと首を横に振った。


「そういう思いがあるのも事実ですけど、それだけではないんです。母上がやったことは、到底許されることではありませんし、魔力を封じられたのも自業自得だと思います。……それでも、僕の母親ですから、打ちのめされているだろう母を支えてあげられたらと思うんです。それに、兄上は、父上と母上がやり直す機会をくれましたけど、二人だけでうまくやれるとは思えませんから、僕が間に入ったほうがいいかなと思いまして。ほら、子はかすがいって言うでしょう?」


 そう言って笑うジュリアンさんからは、もう決意を固めているのだということが十分に伝わってきた。リュカも同じように感じたのだろう。ジュリアンさんを引き止めようとすることはなかった。


「そうか、分かった。仕事の後任者の選定と引き継ぎは忘れずに頼む」

「はい、それはもちろん。……そうだ。お二人の結婚の準備などで人手が必要になったら言ってくださいね。お手伝いしますから」


 さらりとそんなことを付け加えられ、私は驚いて叫んでしまった。


「けっ、結婚!?」


 いくらなんでも気が早すぎはしないだろうか。ついこの間、恋人同士になったばかりなのだけれど……。戸惑う私をよそに、リュカも話に乗っかって、兄弟ふたりでどんどんと会話が進んでいく。


「お二人は当然、結婚されますよね。そのこともあって、お邪魔虫の僕はいないほうがいいだろうなと思って別荘に移ることにしたんです」

「気が利くな。たしかにその通りだ。それにもちろん結婚するつもりだ。ひとまず婚約は一刻も早く済ませたほうがいいな」

「ソフィさんにもいろいろ学んでいただく必要がありますから、家庭教師も手配しないといけませんね」

「俺は今のままでも全く気にしないが、実際結婚するとなったらそういうわけにもいかないか。だが、あまり急に詰め込みすぎてもソフィの負担になるだろうから、まずは最低限のマナーや教養から覚えてもらうようにしよう」

「分かりました。でも公爵夫人になるわけですからね。それなりの体裁は保っていただかないと。さっそく家庭教師や僕の後任など、諸々選定して手配してしまいますね。では、失礼します」


 矢継ぎ早の会話に入り込むことができず、颯爽と去っていくジュリアンさんの後ろ姿を呆然と見つめていた私だったが、ジュリアンさんの最後の言葉を思い出して戦慄した。


「ねえ、リュカ。今、公爵夫人って言ってなかった……?」

「そうですよ。俺は今、公爵ですから。あれ、言っていませんでしたっけ?」

「……聞いてない」


 リュカが公爵様だったなんて全然聞いていなかったし、私も私で勝手に男爵とか、いっても伯爵ぐらいだと思い込んでいた。


「公爵夫人なんて荷が重すぎる……」


 ついそうこぼすと、リュカが悲しそうに眉を下げた。


「俺と結婚するのは嫌ですか?」

「い、嫌なんてことは絶対ないわ。……でも、私はただの平民よ。公爵様の妻になるだなんて許されないんじゃ……」

「誰が許さなくても関係ありません」


 あまりの身分の違いに弱気になる私に、リュカがきっぱりと言い切った。


「俺の父上が平民の身分だった母と結婚した前例もありますから、安心してください。……それに、竜と結婚した父とは違って、俺は人間のソフィと結婚するんですから、至って常識的だと思いませんか?」

「た、たしかに……?」

「ほら、何も心配することなんてありません。勉強だって、嫌だったらサボってしまっていいですから」

「そ、それはちゃんと頑張るわ。リュカに恥をかかせたくはないもの」

「ソフィ……ありがとうございます」


 リュカが嬉しそうに目を細める。私の大好きな笑顔。リュカの笑顔のためなら、どんな困難にも立ち向かえる気がした。


「……さあ、途中で時間をとってしまいましたが、そろそろ行きましょう」


 リュカが私の手を引いて歩き出す。そうだった、私たちはある・・場所へ向かう途中だったのだ。そこがどういう場所なのかは、もう予想がついていた。



「着きましたよ、ソフィ」


 石階段を上った高台にあるその場所は、見晴らしがよく、眼下には清らかな小川が流れる美しい花畑が広がっていた。そばには丁度いい木陰もあって、柔らかな木漏れ日が真っ白な墓碑をきらきらと輝かせている。


「ここは、リュカのお母様のお墓なんだね」

「……はい、そうです」


 長年丁寧に手入れされていたことが窺える、"レーゼ・アルベール" と彫刻された墓碑の前に、リュカがひざまずいて花束を供える。


「母にソフィを紹介したかったんです」

「私もご挨拶したいと思ってたの。連れてきてくれてありがとう」


 私は目を伏せ、両手を組んでレーゼ様に祈りを捧げた。しばらくして目を開けると、リュカが私の手を取って彼のほうへと体を向かせた。


「俺はずっと自分が生まれてきたことは間違いで、愛される価値のない人間なんだって思っていました。誰かに愛されることを諦めていたんです。……でも、ソフィはそんな俺を温かく包みこんで、たくさんの愛情で満たしてくれました。いつも優しく笑いかけて、俺のそばにいてくれました」


 リュカの綺麗な金色の瞳に、何かを切望するような熱っぽい光が宿る。


「俺は、ソフィに愛されたいと思いました。ずっとずっと、それだけを願っていました。だから、ソフィが俺を好きになってくれて本当に嬉しかったんです」


 リュカの真っ直ぐな言葉が、私の胸に染み渡る。


「俺がまだ子供だった頃、熱を出したときに約束してくれましたよね。"ずっとそばにいる"って。覚えていますか?」

「……ええ、覚えてる」


 リュカが高熱を出したときのことは覚えている。とても孤独で心細そうに見えて、なんとか励ましてあげたくて「ずっとそばにいる」と約束したのだ。


「ソフィはあのとき、そういう意味で言ったんじゃないと思いますが、俺にはあの言葉がずっと支えでした。……今もう一度、約束してくれますか? どうか、ずっと俺のそばにいてください」


 リュカがひざまずいて私に乞う。私はなぜだか溢れる涙を指でぬぐい、リュカの手を握りしめてうなずいた。


「もちろん、これからもずっとそばにいるわ」


 そう答えた瞬間、リュカが私を抱き上げて顔を寄せた。


「……嬉しいです。絶対に離しませんからね。死ぬまでずっとです」

「私だって一生離れるつもりはないわ」

「……またそんなずるいことを言う」


 リュカの綺麗な顔がさらに近づいて、唇が重なる。


「ソフィ、愛しています」

「私も、愛しているわ」


 春の暖かい風が吹き、新緑の木々がさわさわと音を立てて揺れる中、私たちはもう一度、幸せな口づけを交わした。

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ワケあり年下家出少年を拾ったら、ある日突然、年上のヤンデレ貴公子になっていました 紫陽花 @ajisai_ajisai

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