第18話 父と息子

 翌日、私とリュカは揃ってリュカのご両親が住む別荘を訪れた。突然現れた私たちに、特にジャンヌ様はとても驚かれて、その場で気を失ってしまった。


 まあ、絶対に死ぬだろうと思っていた私たちが生きていて、これから断罪されるのかと考えたら倒れてしまうのも無理はないかもしれない。


 だが、私たちが別荘を訪れたのは断罪のためではない。昨日、リオネルさんと約束したとおり、リュカがお父上のテオドール様と話をするために来たのだ。


 そして今、応接間ではリュカとテオドール様がテーブルを挟んで向かい合わせに座り、無言で紅茶を飲んでいる。

 こうして見ると、二人は顔立ちはあまり似ていない。ただ、醸し出す雰囲気に近いものがあるように感じられた。


「……父上、お久しぶりですね。まず、ソフィさんを紹介させてください。俺が家出をしたときに助けてくれた恩人です」

「恩人……? 彼女のほうが年若そうだが……」

「それには事情がありまして……。ところで父上、ジャンヌ様が昔から俺を殺そうとしていたことはご存知ですよね」

「……」


 リュカが穏やかな声で問いかけるが、テオドール様からの返事はない。


「俺のことはもういいです。ですが、昨日はこちらのソフィさんの命も奪おうとしていました。ソフィさんを攫い、竜の巣穴に落としたんです」

「まさか、そんなこと……」

「本当です。これはジャンヌ様が残した書き置きと、巣穴で拾った竜の鱗です」


 そう言ってリュカがジャンヌ様からの手紙とリオネルさんの鱗を見せると、テオドール様は「あぁ……」と天を仰ぎ、それから私に向かって深々と頭を下げた。


「妻が大変申し訳なかった。謝って済むことではないが、謝罪させてほしい」

「いえ、リュカが助けに来てくれて平気でしたので……。私のことよりも、リュカとお話をしていただけませんか?」

「だが、今さら話すことなど……」

「俺、母上の話を聞きました。母上は騎士だったのですね」


 目を逸らしてはぐらかそうとしていたテオドール様は、リュカが発した一言で鋭い視線を私たちに向けた。


「誰がそんなことを……」

「それは言えませんが、母上も父上をとても愛していたこと、母上が俺の名をつけてくれたことを聞きました。……母上のこと、そして父上のことも、俺に話してくれませんか」


 リュカが静かに懇願すると、テオドール様はひとつ大きな溜め息を吐き、両手を正面で組んで語り始めた。


「……レーゼとの出会いは運命的だった。新人の騎士として挨拶をした彼女は、とても美しかった。お前と同じ白銀の髪が陽の光を浴びて眩く輝き、金の瞳には期待と自信が溢れていた。姿勢のいい立ち姿は気高く、凛としていて、でもどこかお転婆な雰囲気も感じられて、私の目は彼女に惹きつけられたまま逸らすことができなかった。そのときの彼女の姿は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている」


 テオドール様がレーゼ様との出会いを語る。その声音と表情は優しく、でも切なげで、今は亡き最愛の人への尽きせぬ想いが伝わってきた。


「身分の違いのせいで苦労は多かったが、それでも彼女のためなら何でもできると思った。やがて彼女が身ごもり、私は当主だった父に頼み込んで何とか結婚を許してもらった。これからは私とレーゼと生まれてくる子供の三人で幸せに暮らしていくのだと、そう信じていた。だが──」


 テオドール様の両手に力がこもる。


「レーゼはお前を生んですぐに息を引き取ってしまった。知らせを聞いたとき、私は呆然とした。レーゼが死んだなど、到底受け入れることはできなかった……」


「……俺のことを恨みましたか?」


「……ああ、レーゼが死ぬくらいなら子供などいらなかったと、そう思った。だが、そんなことを考える自分に失望もした。レーゼが命懸けで生んだ我が子なのだから、私が守らなければと自らに言い聞かせた。しかし、レーゼを失った悲しみと絶望が大きすぎて、私はそこから抜け出すことができなかった。お前の姿を見ると、愛おしく思う気持ちとレーゼの死を責める気持ちが湧き上がって、とても冷静ではいられなかった……」


「だから俺を避けていたんですか?」


「そうだ。今さら謝るのは卑怯だろうが、本当にすまないことをしたと思っている」


「……ずっと不思議だったのですが、そんなに母上のことを想いながら、ジャンヌ様と再婚したのはなぜなんですか?」


 テオドール様の謝罪には答えず、リュカはさらに質問を重ねた。


「彼女とは……いわゆる政略結婚だった。レーゼとの結婚の許しをもらう際、私は父に今後は必ず家の方針に従うと約束をした。その約束はレーゼが亡くなった後も消えることはなかった。私は父から家柄の良い女性と再婚し、その女性とのあいだに後継ぎをもうけることを命じられた。私は本心はどうであれ、その命令に従うしかなかった」


「跡継ぎ……? でもあなたはジュリアンを跡継ぎには指名していなかったはずでは」


「ああ、そうだ。父に従わなければならないとは分かっていながらも、レーゼとの子であるお前を後継ぎにという思いを抑えることができなかった。父の催促をのらりくらりとかわしているうちに父が亡くなって私が当主となり、父との約束は忘れることにしたのだ」


「そうでしたか……。でも、それがジャンヌ様を追い詰めることになったようです」


 リュカの言葉に、私は昨日崖の上で長年の苦しみを悲痛な声で吐き出したジャンヌ様の姿を思い出した。

 ちなみに、そのときのことはリュカにも伝えている。黙っているべきかとも思ったが、知らないでいることがリュカのためになるとは限らないと思ったのだ。伝えはしたが、それを聞いて何を思うか、どういう行動に出るかはリュカの自由だ。私が何かを押しつけるつもりはない。


 リュカはどう受け止めたのだろうかと考えていると、リュカの一言にしばらく言葉を失っていたテオドール様が口を開いた。


「……ジャンヌには私の勝手で酷いことをした。父の死後に離縁して早く解放してやればよかったのかもしれない。だが、体裁が悪いだろうと躊躇ってしまった。……本当に、後悔してばかりの人生だ」


「……母上と出会ったことも後悔していますか?」


 リュカがぽつりと尋ねると、テオドール様はきっぱりと言い切った。


「まさか。それだけはあり得ない。レーゼと出会えたことこそ、私の一番の幸福だ」


「……そうですか」


 リュカはわずかに口角を上げて微笑むと、どこか吹っ切れたような口調で言った。


「子供の頃は、父上のこともジャンヌ様のことも全く理解できませんでした。なぜ俺を見てくれないのか、なぜそんなに憎まれなくてはならないのか。でも今なら理解できます。俺もソフィが俺を置いていなくなってしまったら気が狂ってしまうだろうし、ソフィが俺ではない別の男に心を囚われていたら、相手を心底憎むでしょう」


「リュカ……」


「でも、勘違いしないでください。理解はできますが、だからと言って簡単に許すつもりはないですから」


「ああ、それは当然だ……。望むことがあるなら言ってくれ」


「そうですね……。まず、ジャンヌ様はもう二度と馬鹿な真似ができないように、俺が魔力を封じます」


 魔力を持つ人間にとって、魔力を封じられるということは、本当に苦痛だと思う。不便であるだけではなく、プライドの問題でもある。私みたいな生活魔法が少し使えるだけの実力しかないならともかく、ジャンヌ様ほどの使い手であればなおさらだろう。

 でも、ジャンヌ様がやったことは許されないし、彼女自身、リュカの魔力を封じた過去がある。因果は巡るとは、よく言ったものだ。皮肉な結果ではあるが、きっと文句は言えないだろう。


「……そして父上は、ジャンヌ様のことを一度しっかりと考えてください。想いに応えろと言うつもりはありませんが、あなたには逃げずに向き合う責任がある」


 リュカがテオドール様を見つめる目は厳しい。それでもテオドール様は目を逸らさず、「分かった」と噛み締めるように返事をした。




 それからリュカは、テオドール様の立ち会いの下、ジャンヌ様が眠っている間に魔力を封じる術を施すと、もう用は済んだとばかりに早々に屋敷へと戻った。


「他にもいろいろ話さなくてよかったの?」

「一番聞きたかったことは聞けましたし、言いたかったことも言えたので、もういいんです。……それに、また会うこともあるでしょうから」

「そっか……そうだね。テオドール様とジャンヌ様、いい方向に向かえるといいね」

「……本当にソフィはお人好しですね。元はといえば、あの二人のすれ違いのせいで巻き込まれたようなものなのに」

「それはそうなんだけど……お互いにどうしようもなかったんだなっていうのは分かったから……。私もお二人の気持ちは理解できるし……」


 私がそう言うと、リュカは少し驚いたようにこちらを見つめた。


「……それは、ソフィも俺のことで思い詰めたり、嫉妬したりしてくれるってことですか?」

「まだそういう状況になってないから分からないけど……たぶんものすごく嫉妬するし、リュカがいないと寂しいと思う」

「はは、ソフィがそんな風になるなんて、嬉しくてちょっと見てみたい気もしますけど……。でも、安心してください。俺はソフィ以外は目に入りませんし、絶対にソフィを残して死んだりしません」

「うん……」


 リュカが愛おしげに私の髪を撫でる。


「リュカは……もし私が昨日、竜の巣穴で死んじゃってたら悲しんでくれてた?」


 ふとそんなことを尋ねてみると、リュカの表情が一気に曇った。


「……そんなことがあれば、悲しいだけで済むはずがありません。ジャンヌ様は俺が絶望して廃人になると考えたみたいですが、完全な思い違いですね」

「思い違い?」

「絶望して国中を焼け野原にするくらいのことはしていたかもしれません」

「焼け野原……!?」

「だから、ジャンヌ様はソフィが助かって逆に命拾いしたと思ってほしいですね」


 さらりと物騒なことを言ってのけるリュカに、思わず言葉を詰まらせていると、リュカが穏やかな笑みを浮かべた。


「本当は、父上にもジャンヌ様にも、こんなに甘い対応をするつもりはなかったんです。……俺の最初の予定とはだいぶ変わってしまいましたが、こんな展開もいいかもしれませんね。ソフィは、闇に呑まれそうな俺をいつも助けてくれる。ソフィと出会わなかったら、俺は今とはずいぶん違う人間になっていたと思います」


 柔らかく微笑むリュカを見て、私は最初に出会ったときの幼いリュカの姿を思い出す。

 気丈に振る舞ってはいたけれど、心に重い傷を抱え、どこか寂しげで温もりを恋しがっていて。私はそんなリュカの心を癒してあげたいと思っていた。

 あの頃はまさか私たちが恋人同士になるだなんて思っていなかったけれど、私の願いはきちんと叶えることができたらしい。


「私もリュカに出会えてから、毎日が楽しくて宝物みたいだった。今だって幸せすぎて、たまにこれは夢なんじゃないかって思うくらいよ」


「……俺と一緒ですね」


 リュカが少しだけ泣きそうにも見える顔で言った。


「明日、ソフィと一緒に行きたい場所があるんです。ついてきてくれますか?」

「もちろん」

「ありがとうございます。愛しています」

「う、うん。私も、大好きだよ」


 恥ずかしいのを堪えながら、リュカの上着の袖をきゅっと掴んで気持ちを伝えると、次の瞬間にはふわりと私の体が浮き上がって、リュカの腕の中に収まっていた。どきどきと胸の高鳴りが止まらないけれど、ずっとこうしていたい気分だ。私は居心地のいいその温もりに身を預け、リュカと一緒にいられる幸せに浸るのだった。

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