第17話 白銀の竜は語る

「僕はリオネル。君の母親の弟だよ」


 目の前の竜が人間の姿になったかと思ったら、いきなりこんなことを言われたのでは、誰だって言葉に詰まるだろう。


 私もリュカも言われている意味が理解できず、しばらくのあいだ無言でリオネルと名乗った青年を見つめていた。でも、リュカに似たその姿を前にして、そしてリュカの人並外れた魔力のことを思えば、リオネルさんの言葉を信じるしかない。


 やがてリュカが静かに問い返した。


「……俺の母は、竜だったということですか?」

「そうだよ。君の母親のレーゼはね、『竜の女王』とまで呼ばれた強くて美しい竜だった。レーゼの話、聞きたいかい?」

「……はい」


 動じることなく返事をするリュカに、リオネルさんはどことなく嬉しそうに目を細めると、寝物語でも聞かせるような優しい口調で、昔語りを始めた。


「今から20年以上前、あの頃のレーゼは人間が使う武器に興味を持って、密猟にやって来た人間たちを返り討ちにしては落としていった武器を集めていた。最初はコレクションしていただけだったけれど、だんだんと剣術にも興味を持ち出して、こっそり人型に変身して剣術の練習をしたりもしていた」


 レーゼさんの練習風景でも思い出したのか、リオネルさんは楽しそうに微笑んだ。


「ある日、レーゼはもっと格好いい剣が欲しいと言って、人間の姿で町まで出かけた。武器屋に入っていろいろな種類の剣を見ていると、アルベール家が騎士団員を募集する張り紙が出されているのが目に入った。レーゼはこれだと思った。騎士団に入れば、剣術を身につけることができると。さっそく入団試験を受け、剣術の腕はまだまだだったけれど、ずば抜けた体力と腕力、運動神経で見事に合格した。……まあ、元々が竜だからね」


 ちらりとリュカを仰ぎ見ると、リュカは真剣な表情でリオネルさんの話に耳を傾けていた。家では母親の話はほとんど聞いたことがなかったらしいので、どんな話も聞き漏らしたくないのかもしれない。


「……それからレーゼは、自分は家族のいない天涯孤独の身だと偽って身元を誤魔化し、騎士団に入団した。そして、領主一家への新人の披露目と挨拶の日、レーゼとテオドール……つまり君の両親はお互いに一目で恋に落ちた」


「竜が人間に恋……?」


「まあ、普通はないね。姉は変わり者で、昔から人間への興味が強かったんだ。人間の書く恋物語なんかも好きでよく読んでいたよ。恋に憧れていたんだろうな。テオドールの繊細で物憂げな表情にやられたのだとかなんとか、いろいろ僕に報告してきてね。ちゃんと話を聞かないと怒るものだから、少し面倒だったなぁ……」


「……すみません」


 なぜかリュカが微妙な表情をしながら謝る。


「ははは、大丈夫。姉に振り回されるのは慣れているからね。……そうしてレーゼとテオドールはそれぞれ騎士見習いと次期領主としての務めを果たしながら、密かに愛を育んだ。やがてレーゼは君を身篭り、テオドールがレーゼに求婚して二人は結婚した。レーゼは君が生まれてくるのをそれは楽しみにしていたよ」


「…………」


「でも残念ながら結果は君たちも知ってのとおり。レーゼは君を産み落として死んでしまった。難産だったらしくてね。竜の姿だったら命を落とすことはなかったのに、君を産むために人の姿を保っていたんだろうね。竜になっては人の子を産めないから。レーゼは最期の言葉で、君をリュカと名付けたそうだよ」


 リオネルさんの昔語りはそこで終わった。俯いて黙ったままのリュカを、私はそっと抱きしめた。

 「……すみません」と言ったリュカの声は少しだけ震えていたが、私は気づかないふりをする。もうすっかり広くなったリュカの背中をしばらく撫でていると、ようやく落ち着きを取り戻したリュカがリオネルさんに向き直った。


「話してくださって、ありがとうございました。おかげで、母のことを知ることができました。……母は想像以上のひとでした。正体が竜だったというのももちろんですが、その行動力も。なんとなく、母は病弱な女性だったんだろうと勝手に思ってました」


「あはは。病弱だなんて、レーゼにもっとも似合わない言葉だね」


「……それに、俺は父のほうが母にベタ惚れなんだと思ってましたけど、違ったんですね」


「うーん、レーゼの話だと君の父親も相当だったと思うけど、レーゼはとにかく一途で情熱的な性格だったからね。テオドールはレーゼの話はしてくれないのかい?」


「父は母の死後、引きこもりがちになってしまって……。それに無口なうえに俺を避けていたので、母の話を聞いたことはほとんどありません」


「テオドールも難儀な性格なんだねぇ。……でも僕は、彼には少し同情しているんだよね」


 リオネルさんの言葉が思いがけなかったのか、リュカは驚いた様子でわずかに目を見開いた。


「……父に同情、ですか?」


「うん。テオドールはまさかレーゼが竜だなんて思いもしなかっただろうし、身分の高い彼が身元不詳のレーゼと結婚するのは相当な覚悟と苦労があったはずだ。それなのに、レーゼは結婚後まもなく、彼と子供を残して命を落としてしまったのだからね。姉の好奇心と恋心がテオドールの人生を歪めてしまったのかもしれないと思うと、弟としては申し訳ないよね」


 リオネルさんがそう言うと、リュカがはっと息を呑む気配がした。


「竜の僕が人間のことに口を出すのはどうかと思うけれど、君たち親子は少し話をしたほうがいいんじゃないかな。レーゼもそう願っているはずだ」


「……はい。父とは一度きちんと話をしてみようと思います」


「うん、そうするといいよ」


 竜もやはり甥っ子は可愛いのだろうか。リュカがリオネルさんの忠告に素直にうなずくと、リオネルさんは満足そうに微笑んだ。


「他に何か聞きたいことはない? そこのお嬢さんも質問があれば答えるけど」


 急に話を振られても、驚きすぎて頭が回らない。何か言わなくてはと必死に捻り出した質問は、「リュカは竜に変身できるんですか?」なんていう幼い男の子みたいな内容だった。ものすごく恥ずかしい……。


 リオネルさんも予想外の質問だったのか、一瞬ぽかんとしていたけれど、くすりと笑って答えてくれた。


「残念ながら、人の血が混ざっていると、竜の姿には変身できないんだ。……ただ、リュカにはレーゼの魔力がすべて受け継がれているようだから、人間離れした魔力の持ち主ではあるね」


「な、なるほど……。どうりで高度な魔法も難なく使いこなせたわけですね」


「じゃあ、他に聞きたいことがないならお終いにしようか。君たちはもう帰る? よかったらまた遊びにおいでよ」


 そんな風に和やかにお開きの空気が流れ始めたとき。リュカがリオネルさんを呼び止めた。


「──ひとつ、大事なことを忘れていました」

「うん? なんだい、大事なことって?」

「最初、ソフィに火を吐いてましたよね? いくら実の叔父とはいえ許せません。きちんと謝ってください」

「え、君、目が本気で怖いんだけど……。レーゼが怒ったときそっくりだな……」

「さあ、叔父上」


 にこりと笑って謝罪を促すリュカから物凄い圧を感じて、私まで背筋が伸びてしまう。

 竜相手に謝罪を要求するなんて大物すぎないだろうか。

 リオネルさんもやや戸惑いながらも、甥の機嫌を取りたいのか、わざわざ私の前に立って謝ってくださった。


「……さっきは攻撃してしまって悪かったね。君が僕の鱗を持っていたから、また密猟者が来たのかと勘違いしてしまったんだ。許してほしいな」


 リュカに似た綺麗な顔で小首を傾げて謝られたら、許す以外の選択肢なんてない。

 はい、もちろんです、と言いかけて、私ははたと気づいてしまった。


 え……鱗? もしかしなくても、私がさっき足を縛られていた紐を切った、あの鉱石っぽい何かのこと……?


 恐る恐る手に持っていたそれ・・を見ると、たしかに竜の鱗っぽい形状である。


「竜の鱗って高値で売れるから、密猟者が絶えないんだよねぇ」


 たしかに、竜の巣穴で鱗を手にして辺りを物色していたら、竜狙いの密猟者にしか見えないことだろう。これはブレスを吐かれても文句を言えない。自業自得である。


「こちらこそ、申し訳ありません……!」

「まあ、君ならいいよ。それ、欲しかったらあげようか?」

「えっ、そんな──」

「いりません」


 そんな貴重なもの頂けません、と遠慮しようとしたところをリュカが食い気味でお断りしてしまった。


「……叔父上の体の一部をソフィにあげるだなんて。俺だってやってないのに……」

「え、竜の鱗をそんな風に言われたのは初めてだよ……。君まさか、その子に自分の髪の毛とか贈るつもりじゃないよね? さすがに怖いよ」

「……そういうつもりではないですけど、ソフィが俺以外の男から何か贈られるのは嫌なんです」


 リュカが私からリオネルさんの鱗を取り上げ、不機嫌そうに主張する。もう私よりも年上の大人の男性なのに、そんな子供みたいな我が儘を言うなんて。ついさっき、格好よく私を助けてくれたときとのあまりの違いに、思わず笑ってしまう。


「……ソフィ、笑わないでください」

「だって、リュカが可愛くて」

「また可愛いって言いましたね……」

「可愛いものを可愛いって言って、何が悪いの?」


 可愛いと言われるのが不満なリュカをからかって遊んでいると、リオネルさんが何とも言いがたい表情で私たちを見つめていた。


「君たち、付き合いたてでしょ。僕はもう惚気とかいちゃいちゃとかお腹いっぱいだから、続きは帰ってからお願いできるかな」

「す、すみません、人前で……」


 今まで自分は常識的な人間だと思っていたけれど、意外と恋で周りが見えなくなるタイプだったりするのだろうか……。これから身を引き締めなければ。そう思っていると、リュカが私の耳元で囁いた。


「では、続きは帰ってからしましょうか」

「……!」


 続きとは何なのか……。妙な恥ずかしさで何も言えずにいると、リュカはそんな私を横に抱き、呆れ顔のリオネルさんに別れを告げた。


「叔父上、母の話をありがとうございました。いずれまた」

「僕も甥に会えて楽しかったよ。お嬢さんとお幸せに」

「もちろんです」


 リュカの言葉と同時に、あのお馴染みの不思議な浮遊感がやって来て、次の瞬間、私たちは屋敷へと戻ってきたのだった。


 ちなみにこの後、リュカは私がからかったことへの意趣返しか、何かにつけて可愛い可愛いと言いながらあちこちにキスをしてきて、恥ずかしすぎて倒れるかと思った。面白がって人をからかいすぎてはいけないな、と私は心から反省した。

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