灯りを消しに

 ランタンを手に縁側から下りれば、古都の名刹もかくやと思うような庭園が広がっている。

 美しい風景にふれるとき、人はその風景だけを思うわけではない。

 宵闇の景色は意外なくらいもの寂しく、長らく蓋をしていた苦い思い出も蘇ってしまった。

 

 ……修学旅行を待たずに学校を去った岩永くんは、こんな景色を見たことがあるだろうか……?

 私のせいだ……ごめんなさい…ごめんなさい……ごめんなさい……。


 初めて告白というものをされたのが、岩永くんだった。中学一年のころ。

 モテたのが誇らしかったが、恋人になりたいかは分からない。まず友達として関わるうちに答えが出るだろう……と思っていた。


 新しい友達が欲しかったのは本当だ。母親同士が知り合いというだけのあまり気の合わない女子グループのボスの他にも。

 それに、転勤族の子のルリちゃんに気後れしないで手紙を書けるような、充実した学校生活を送りたかった。

 岩永くんと、友達になら、なりたかった。


 彼についての悪い噂に惑わされなければ、友達になれただろうか……?


 夕方には極楽浄土を思わせた池の蓮が、いまは暗く青ざめてみえた。

 

「ねえ」


 女性の声がした。私は咄嗟に木の陰に身を隠した。待合の方角から、矢橋さんの声だ。

 

「あれは本当にお仲間の話なの?」

「勿論ですよ……何故そんな事を?」


 話相手は吉見さんだ。

 私ではないことに安堵したが気づかれたら気まずい。


「悪魔に魅入られた若者の無念……まるで自分のことみたいに真に迫って聞こえたわ」

「はあ……恐縮です」


 吉見さんは喜んでいなさそうだ……女性が矢橋さんでなくても私はそう思っただろうか? 彼女への苦手意識から悪く解釈しているかもしれない。


 矢橋さんは、ことによると本当に吉見さんの語り口を讃えたかったのかもしれない。

 しかし吉見さんにも(本心がどうなのかは別として)喜べない理由がある。

 Lさんは他所のバンドに暴力を振るいそうになり仲間に障害を負わせてしまった人、ということになる。本当は自分ことでしょう、と言われたも同然で、それは困るだろう。


「あら、そこに誰かいなかった?」

「さあ。ではこの辺で。お気をつけて」


 吉見さんが本館へ向かって通り過ぎる。

 この時は何事もなく済んだが……。

 黒い水面と重なりあう蓮の葉や茎の影が、にわかに禍々しく見えてきた。


 あくまでたとえばの話、吉見さんにもし本当に疚しい秘密があれば逆上して、うるさい矢橋さんを池に突き落とす……ということも起こりうる。矢橋さんはよくあんなことを言えたものだ。

 他の誰かと誰かでも同様だ。……私はそんな無思慮なことはしないけれど。

 

 待合を出て茶室へ向かう矢橋さんの後ろ姿が、植え込みの枝々に紛れてゆく。

 独り言のように呟くのが聞こえた。


「きっとカラスでもいたのね」


 彼女は私の苦手だった、女子グループのボスに似ている。見た目ではなく雰囲気が。

 ナベカツさんはどこにいるんだろう。彼女と私の間にいたら心強いのに。歩くのが早すぎて、矢橋さんを追い越してしまったのだろうか。


 近づき過ぎないように気をつけていても、彼女が灯りを一つ消して茶室から出てくるとき……必ず私はすれ違う。


 怖い話をたくさん聞いて話したいだけだったのに……。

 この催しは、内緒話と密かな企みの迷宮なのかもしれない。




(続く)



 






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百物語事件 蘭野 裕 @yuu_caprice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る