第5話 瞬間移動

 翌日の早朝、私は神殿から少し離れた森の近くにいた。


「ここなら誰にも見られないでしょう」

「部屋からそのまま瞬間移動すれば良いではないか」

「ダメです。神殿から外出した記録がなければ怪しまれてしまいますよ」


 神殿から出る時は、外出の届出が要る。瞬間移動をすれば無断外出になってしまう。

 それに、聖なる力で瞬間移動が出来るなんて聞いたことがない。もし知られたら一大事だ。

 だから人気の少ない早朝の森にやって来たのだ。


「はぁ、神職者は面倒だな……」

「慣れてください」


 不満げに呟くエドガーは眠そうだ。邪神も寝たりするのだろうか。

 だとしたら、寝床くらいは用意してあげた方が良いのかもしれない。なにせ私から離れられないのだから。

 

 でも今は任務が最優先だ。余計な考えを振り払って、両手をパチンと合わせた。


「さて、エドガーの初仕事ですよ。私の願い事を叶えてください」

「あぁ。では、願い事を」

 

 すっと手を差し伸べられたので、エドガーの手をそっと握る。

 白くひんやりとした手は、人間のそれとは違うことを実感させられた。


「今すぐセリニア地区まで連れて行ってください」

「承知した」


 エドガーがそう言った瞬間、辺りの景色が歪んで見えた。


「……っ!」


 何度か瞬きをして辺りをよく見ようとしたが、歪んだ景色がはっきりと見える頃には知らない場所に立っていた。


(これが瞬間移動なの? なんだか酔いそう……次からは目を閉じていよう)


「着いたぞ」

「ここがセリニア地区なのですね。この辺りは町の外れですかね……。おそらくあっちが泉の方だと思うのですが……エ、エドガー?!」


 森の方を指し示しながらエドガーを見ると、エドガーの髪色が金髪に変化しているのが見えた。


「なんだ大きな声を出して」

「か、髪の色が……金髪に!」


 訝し気なエドガーに髪のことを伝えると、彼は髪の毛を一本するりと抜いてまじまじと眺め始めた。

 そうして自分の髪色の変化に気がついたエドガーは、柔らかく目を細めた。まるで懐かしんでいるかのように。


「どうやら浄化されたみたいだな。契約は問題ないということか」

「体調とか、大丈夫なのですか? なにか問題はありませんか?」


 浄化とはいえ身体に大きな変化があるのだから、もしかしたら気分が悪くなったりするのかもしれない。


「問題ない。浄化されると、むしろ気分がいい」

「良かった……」


 私がホッと胸をなでおろすと、エドガーがにっこりと笑った。

 今まで見たことがないその微笑みをぼんやりと眺めていると、エドガーの顔が近づいてきた。

 

 優しく頬に手を添えられ、そして……額に唇が触れた。

 あまりの自然な動作に、一瞬反応することが出来なかった。


「なっ……?!」

「心配してくれたのだろう? やはりリアナと契約して正解だった」


 私が慌てふためく姿を見て、エドガーは満足げに笑っていた。

 

「か、からかわないでください! ほら、もう行きますよ!」

「あぁ」


 森へ向かう間、エドガーはずっと上機嫌だった。


(契約の効力も確認できたし、私をおもちゃにして遊んだし、そりゃ満足でしょうよ! ……ってあれ? なんで触れられた感触があったのかしら?)


 エドガーに頬を触られた時も、額に口づけされた時も、確かに感触があった。

 彼は神で、人に姿を見られないようにしているはずだ。当然、人間界のものに触れたり出来ないのだと思っていた。


「エドガー、ちょっと聞きたのですが」


 私がくるりと後ろを向いてエドガーに声をかけると、彼は含みのある笑みを浮かべた。


「なんだ?」

「なぜ私に触れられたのですか? あなた今、姿を消しているはずですよね?」


 私がそう尋ねると、エドガーは笑みを深めた。


「ようやく気がついたか。リアナにキスする直前に、人間に変化へんげしたんだ。その方が俺も動きやすい」

「そういう大事なことは先に言ってくださいよ!」

「悪い悪い。触れたら気がつくと思ってな」


 エドガーは全然悪びれた様子はなく、小声で「意外と気づかないもんなんだな……」と呟いていた。


(絶対わざと黙ってたわよね?! 私はエドガーの契約主なのに、私のことを舐めているのかしら?! いつか鼻を明かしてやるんだから!)


 神様だろうが邪神様だろうが、いつか絶対仕返ししてやる。そう心に決めて、森の奥へと進んでいった。


◇◇◇◇◇


 どれくらい歩いただろうか。まだ午前なはずなのに、木々が鬱蒼としていて辺りが薄暗かった。

 森がだんだんと深まっていくにつれて、空気がどんよりとしていく。瘴気のせいだろう。

 私は軽い眩暈を感じて足を止めた。


「ここ……随分と瘴気が濃いですね。これ以上、奥へ入るのは危険そうです」


 泉はまだ見えないけれど、特殊な装備や結界がなければ進めなさそうだった。


「一旦この辺りを浄化するか? 必要なら手伝うが」

「確かに浄化しながら進むのも手ですが、力の消耗が激しそうです。泉にたどり着くまでは力を温存すべきかと。勿論、エドガーの力もです」


 瘴気の全貌が分からない今、闇雲に浄化するのは危険だ。

 邪神のエドガーは直接浄化することが出来ない。私に力を貸してもらう形になるだろう。

 だけど浄化に必要な力が膨大だった場合、私が耐えきれなくなってしまう。

 

「まずは原因を突き止めないと……でも泉に入るための準備が必要ですね。手持ちの装備が心許ないので結界を張って……」

「それなら俺がリアナを泉へ連れて行こう」

「え?」


 私自身に結界を張って進もうかと思っていたのに、思いもよらぬ提案をされて思考が止まってしまった。


「忘れたのか? 俺は邪神だ。瘴気や邪気は無害。むしろ空気みたいなものだな」


 そう言いながら、エドガーが私の手を握った。

 手が触れ合った瞬間、眩暈がスッと治まった。心なしか空気も軽く感じる。


「どうだ? これなら力を使わずに済むだろう」

「すごい! すごいです、エドガー!」


 私が興奮してエドガーを絶賛すると、エドガーはとても嬉しそうに笑った。


「神より便利だろう?」

「ふふっ……そうかもしれませんね」

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