第3話 聖女でなくては

 目を閉じていると、エドガーが私の肩に触れた。

 そっと目を開けると、満足気な表情のエドガーがこちらを見ていた。


「契約は完了した」


 加護をもらった時とは違って、身体には何の変化もない。けれど、エドガーを前より近くに感じる。

 これが契約の証なのかもしれない。


「ありがとうございます。大きな願いを叶えた方が効率が良さそうなので、任務の時に色々頼むかと思います。それまで待っていただけますか?」


 小さな願いでは浄化量もわずかになってしまう。神の力を存分に発揮できる場面でお願いした方が良いだろう。


「分かった」


 さっきまで「早く願いを言え!」という態度だったのに、全く急かされなくなったので変な感じだ。

 

「では私は仕事に戻るので、エドガーも一旦帰っていただいて……」


 昨日からずっと一緒にいたのだから、少し一人になりたかった。

 

(聖女になれた喜びを一人で噛み締めたい。クッキーでも焼いて、お祝いしたいわ)


 考えただけでも気分が上がる。

 でも、そのウキウキとした気持ちはエドガーの言葉で打ち砕かれた。


「残念だがそれは無理だ」

「え?! どうしてですか?」

「契約したからだ。お前から離れられない」


 契約にそんな縛りがあるなら先に言っておいてほしかった。

 昨日だって大変だったのだ。何も言わなければお風呂にもトイレにもついてくる勢いだったのだから。


「……神殿内では絶対に姿を隠していてくださいね! それから……わ、私がお風呂の時とかは、ちゃんと部屋にいてくださいね!」

「分かっている。そんなに心配するな。ほら、仕事があるのだろう? 行くぞ」


 私の心配を余所に、エドガーはこの状況をあっさりと受け入れているようだった。

 もしかしたら、こういう長期間の契約には慣れているのかもしれない。


◇◇◇◇◇


 私が雑務をこなしている間、エドガーは神殿内を興味深そうに眺めていたが、だんだんと飽きてきたのだろう。私に色々と話しかけてきた。


「おい、あれはなんだ? 神の像か? あんな奴見たことがないな」

「こっちには行かないのか? 神官長の部屋? なんだ、つまらなそうだな」

「そろそろ食事の時間じゃないのか? いつまで働くつもりだ」


 最初は丁寧に相手をしていたけれど、あまりの質問の多さにうんざりしそうだった。


「そういえば、リアナはどうして俺を召喚してまで聖女になろうとしたんだ? なりたがる奴なんていないだろう?」

「そう、ですね……」


 急に自分のことを聞かれて言葉に詰まってしまった。

 エドガーが言うように、ここクルガンド王国で聖女になりたい人はいないだろう。

 聖女は尊ばれる存在ではあるけれど、短命なのだ。原因は不明だが、一説には、神が天界に連れて行ってしまうのだとか。

 それ故、聖女見習いになるのを断る人が多いのだ。

 

 それでも、私は……

 

「私……これ以外に生き方を知らないんです」




 私は両親の顔を知らない。赤子の頃に教会前に捨てられていたらしい。そのまま教会で育てられて生きてきた。

 小さい頃の記憶は曖昧だけれど、昔からシスターや神父様が親切にしてくれた。

 すごく恵まれた環境だった。私は満たされていた。

 それなのに、皆が私を憐れんでいた。


「まだこんなに小さいのに、可哀想にねえ……」

「大丈夫よ、私たちが面倒みてあげるからね」

「いつか幸せになれるわ」


(私は幸せなのに、どうして皆、悲しそうな目で私を見るの?)


 毎日おいしいご飯が食べられて、屋根のある教会で雨風をしのげる。

 困ったことがあれば相談できる人がたくさんいるし、何不自由ない生活を送れている。


 だけど、私は可哀想な子らしい。


 七歳になったある日、そんな私に転機が訪れた。教会に一人の神官がやってきたのだ。

 そうして私の顔を見るなり、神殿に来なさいと言ったのだ。


 よく分からないままついて行った神殿の前で、その神官が言った。


「この扉を開けてみなさい」


 言われるままに神殿の扉を押し開けた。

 たったそれだけのことだったのに、周囲の人たちは驚いて、そしてとても喜んだ。


 神職者の資質がなければ扉を開けられないのだと、後から教えてもらった。


 教会の人達も神殿の人達もすごく喜んでいた。

 皆が心の底から喜ぶ顔を見るのは、初めてだった。


(ようやく恩返しが出来る! ようやく皆が笑ってくれる!)


 この道が正解なのだ。この道が運命なのだ。そう思った。

 だから絶対聖女になろうと決心したのだ。


 それからずっと神殿で勉強したり、お手伝いをしたり、見習いとして必死に頑張った。

 早く神様に見つけてほしかった。早く皆の役に立ちたかった。


 だけど神様たちは、私に加護をくださらなかった。


 もしこのまま十八歳になってしまったら、私は……また皆から悲しそうな顔で見られてしまう。

 そんなのは嫌だった。




「だから神殿の禁書庫で神の召喚術の本を見つけた時、これだって思ったんです。まさか邪神であるエドガーが召喚されてしまうなんて思わなかったですけど」

「そうだったのか」


 エドガーがそれっきり黙ってしまったので、私も黙って雑務をこなすことにした。


(なんで急に黙るのよ……気まずいじゃない)


 何か話題を振ったほうが良いだろうか。そんな風に思案していると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。


「リアナ! 神官長があなたを呼んでいます。すぐに執務室へ向かってください」

「分かりました」


(神官長に呼び出されるってことは……)


「もしかして任務か?」

「そうかもしれません」

「ならば急いで行くぞ!」


 嬉しそうに目を輝かせたエドガーを見て、少しほっとした。静かなエドガーは変な感じがするから。

 私はナイスタイミングな呼び出しに心の中で感謝しながら、いそいそと神官長の執務室に向かった。 

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