第5話<春を待つ>

side千紗


まだかなぁ。


教室の窓際で閑散とし始めた空間にポツリと陽を待つ。


クラスの半分くらいは部活に行ったり、帰ったり。そうは言っても、まだお喋りを続ける人も。そんな中で、私は1人でいた。


「お、瀬川。若菜待ち?」


ふらりと現れて、何の気なしに目の前の椅子に座る桐生先生。少し気まづい感じになるんだよなぁ。どことなく性格が掴みづらいと言うか、何考えてるか分からないと言うか。


「待ちです。先生は?」


あー、俺も。と、少し困ったように笑って視線を教室に移す。


「瀬川って若菜と仲良いよね。」

「寧ろ、陽以外と仲良くないです。」

「なんで?」


思わず笑みを零した。勿論それは、困ったなとか聞かれたくないなと言う意味を含めた笑み。


次を紡ぐ言葉も見つからず、ただ困惑する。


「…陽に言わないって約束します?」

「?うん。」


不思議そうな顔をする桐生先生を視界の端に置きつつ、記憶を一年前に合わせる。


______

一年前、春。


入学したて。みんな知らない人。

そんな真新しい雰囲気に飲まれつつも、なんとか新生活へと踏み出した。


それなりにトモダチらしいなにかもできて、それなりに順風満帆に事が進んでいた。


一人、異質の空気を纏う陽を抜きにして、私が興味を示すものも特になかった。


少し赤茶っ毛の混じった長い髪に、大きな瞳を象るように描かれた瞼の線。白く澄んだ肌はどことなく冷めた印象を持たせた。


陽は一年生の頃から変な子だった。

学校には毎日きてた。当然だけれど。たまに遅刻したりはするけど、基本的には当たり前に時間通りきて、そしてよくサボっていた。


できる限り影を薄くして、教室と同化しようとも私の目線はいつも彼女を追っていた。


誰とも群れず、仲良くもせず。時に誰かが話しかければそれなりの対応を見せるものの、それ以上踏み込めないなにかを持ち合わせていた。


すごく気になる。話をしてみたい。そう思いつつも彼女がソレを望んでいないような気がしていて。

だから、私もなんとなく話かけないでいた。



GW明けくらいだっただろうか。

いつも通り教室に入ると、どことなく雰囲気が変わっているのに気づいた。


そして瞬時に察した。これは間違いなくハブられていると。


挨拶が返ってこない。いつも話しているあの子が私を避けている。そして、確認するかのように開いたSNSのグループ。


「(排除されてる。)」


集団で生活していればよくあること。誰か一人悪の存在を作らなければ気が済まないのだ。

それの一番初めのターゲットが私だっただけ。


それだけ。


そう言い聞かせるが、精神的にダメージは蓄積されていく。どうにもやるせない気分になった。


陽はその日、遅刻していた。



日々エスカレートしていくイジメ。無視されるだけならまだしも、教科書がなくなって、上履きがなくなって、時にはジャージもなかった。


誰にも気づかれたくなかった私は、教科書を無くしたフリをし、体育館履きを使用し、ジャージは保健室で借りた。


そうしていれば、今までとなんら変わりない生活を送れる。


けれど、平然とした私に腹を立てた彼女らは私がトイレに一人きりになったタイミングで仕掛けてきた。


典型的な頭上からの水浴び。


精神的ダメージが大きすぎて、もう壊れていたのだと思う。バカバカしいと嘲笑を浮かべた口角に自分でもゾッとする。


すると、聞き慣れない声が響いた。


「なにしてんの?邪魔。」


水が止まり、私から滴る水滴が唯一音を出す存在になりかけていた。


深い沈黙のあと、取り繕うように彼女たちは口々に物申す。


「陽ちゃんもやろーよ。お掃除。」

「…はぁ?私当番じゃないし、そもそも閉まってる個室に上から水かける掃除ってなに?」

「うちらにも事情があるの!」

「どんな?」

「…だからぁ、千紗がウザイから。」

「だったらこういう馬鹿みたいなことも許されると。」

「馬鹿みたいじゃないよ!どっちかって言うと教えてる…みたいな?」

「なにを。」

「……まぁとにかく。楽しいよ?ストレス発散になるし、陽ちゃんもやろ!」

「じゃあ、そうさせてもらう。」


陽ちゃん、と、呼ばれたその子の声に体が縮こまる。またくるんだ、あの冷たい水が。


そう思って目を閉じ、身構えていると、2拍ほど遅れて彼女たちの悲鳴のような声が響いた。


「ちょ…!なにすんだよ!」

「お前なにしてんのか分かってんのかよ!」

「まじ有り得ねぇ。」


面と向かってこんなにも汚い言葉をぶつけられているのに、〝陽ちゃん〟は、乾いた声で嘲笑った。


コンコンという音ともに扉が少し揺れる。増幅する信頼に身を任せて開ければ、そこにはいつも目で追う彼女。名字しかしらなかったけど、陽、って名前なんだ。


物凄い仏頂面で私を見ると、自分の着ていたカーディガンを着せてくれた。


「え…!濡れちゃうし、」

「いいよ。てか下着見えるよ。」


行こう、と、手を引く。その足をずぶ濡れの彼女達は止めた。


「おい、お前さこんなことしておいて無視すんのかよ。」


心底ダルそうに振り向く。


「お前らさ、寄ってたからないとこの子に手を出せない時点でダサい。」

「はぁ?!」

「あとさ、仲良くないんだから名前で呼んじゃダメでしょ。」


なにが陽ちゃん、だよ。と気だるそうに吐き出すと吐瀉物でも見るかのような目で彼女たちを見る。冷酷な雰囲気を纏った目にその場にいた全員が言葉を出せずにいた。


「行こう。」

「あ、うん…!」


妙に覚えている。


握られた手はほんのり暖かくて。

それは冷たさと暖かさの狭間のような温もりに近かった。もっと詩的な事を言えば、春のような暖かさ。


肩から少し見えた表情は、いつも感じる冷たさとか距離みたいなものはなかった。

限りなく、穏やかだった。


「あの…若菜さん、ありがとう。」

「別にそんなつもりじゃないよ。」

「カーディガンは洗って返すね。」

「あげるよ。」


別にパーカーあるし。とポソり呟く。この人はあまり自分を顧みないタイプなんだなと思った。

しかし困ったな、とオロオロしていると保健室の前でふと立ち止まってこちらを見た。


「名前なに。」

「え、と…瀬川 千紗です。」

「若菜 陽です。」


それだけ言うと扉を開けて、中に入ることを催促した。


「私寝ていくけど、あんたどうする?」


勝手にベッドに入り込みうつ伏せになりながら頬杖をつきつつ、いまだに保健室の真ん中でポツンと立つ私にそう問う。

自由な人だな、全く。


それにしても濡れて冷えた体をこのままにしておくのはなんとなく嫌だし、それに。

このまま2人で話をしたい気分だった。


「若菜さ、」

「陽でいいよ。」


さっきめちゃくちゃ嫌がってたのに?!と衝撃が走る。けど、陽的にはあの子たちに呼ばれたのが不愉快に感じたのだろう。


「あんたいつからいじめられてたの?」

「…2週間前くらい?かなぁ。」


へー…、じゃあ2週間も耐えてたんだ。辛かったね。


陽は何気なく言ったのかもしれない。けれど、私の心に優しく沁みるように広がる言葉。


「…泣いてもいいよ。堪える必要もない。」


下唇を噛んで、涙がでないようにしていたのに。


「泣けるのは、物事を完全に受け入れられた証拠なんだよ。あんた頑張りすぎ。」

「千紗って呼んでよぉ!」

「ええ…、そこ?」


ほんとはね違うんだよ。陽の言葉があまりに暖かくて思わず溢れ出したんだよ。


「ねえ…ねえごめんね。」

「…。」

「千紗。」


冷たく感じていたのは、この人の暖かさの反対側を見ていたに過ぎない。

この人から溢れる言葉には温もりしかない。


初めて名前を呼び合って、放課後まで話尽くしたあの日の記憶。


誰にも話す予定のなかった記憶。


______

桐生先生に話しちゃったな。


私の中で大事に取っておこうと思ったのに。

でも、陽が珍しく話す相手の桐生先生ならいいのかなとも思った。


「陽は望んでいないかもしれないけれど、私は陽の傍にいたいし友だちでいたいんですよ。」


最早友だちと思われていないかもしれないけれど。そう思ったら少し寂しい気持ちになった。


桐生先生は見たことがないくらい優しい顔をしていて、陽が話す理由も少し分かった。


「でもさ、話を聞く限り若菜って自ら友だちを作ったりしない訳だろ。」

「…まぁ、はい。」

「じゃあ瀬川って若菜にとって物凄く特別な存在なんだろうな。」


そうだったら、嬉しい。ふと零れた笑みはそんな架空の感情に寄り添ったから。


「なーんて話してたら若菜きたよ。」


桐生先生の目線の先には陽がいた。こちらに向かってゆっくりと歩いてくる姿。


桐生先生を見つけると少し嫌そうな顔をした。

仲が良いのか悪いのか。でも陽が私以外の人で表情を崩すのは桐生先生が初めてかもしれない。


少し微笑んだその表情。私以外は桐生先生。


「俺たち若菜を待ってたんだよ。」


桐生先生をちら、と見て私に話しかける。


「待たせてごめんね千紗。帰ろ。」

「ねえ俺の話聞いてた?」


さも当然かのように無視をし続け、こちらの方が若干気まづいまである。が、そんなことを気にしないのが陽なのである。


穏やかな時間が流れる。ずっとは続かないこの時間がとても大切だと思う。


「じゃあまた明日。」


桐生先生がそう言うと、陽が表情を崩す。優しい目が桐生先生を指す。


「はい。」

「先生また明日ね。」


春の穏やかさを夏が崩す。

芽吹くものは皆、夏に焦がされそして散っていくものだけど。それでも、静かに確かに、また根を張るのだ。


「ねーいつものコンビニ寄ろうよ。」

「…喉、乾いた。」


あと何度、陽とこの道に影を落とせるのだろうか。
















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

17秒くらい前の話 柊 ポチ @io_7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ