第25話 日陰と有刺鉄線

 共和国が占領して数週間がたった京城ソウルは、レジスタンス勢力の抵抗が激しいわけでもなく、市民は歓迎や困惑などの様々な反応を示し混乱しながらも新しい体制を受け入れているように見えた。

 そのためミンギルとテウォンのいる分隊の仕事も戦闘を伴うものはなく、毎日は捕虜や反動分子を収監した建物の見張り役で過ぎていく。


 農事よりも楽な仕事で一日が終わるのは幸せなことなのかもしれないが、軍人として敵と戦うことに憧れを持ちつつあったミンギルは正直、暇を持て余す日々に拍子抜けしてしまうところもあった。


(この場所に、こんな大人数が必要なのか?)


 有刺鉄線でできた柵に囲まれた敷地で、テウォンや他の隊員と一緒に大勢の兵士とすれ違いながら持ち場について、ミンギルは自分に与えられた仕事の意味を疑う。

 やるべきことがたくさんあっても、仕事が上手く回らなければ人は余る。それは軍隊でも農村でも変わらず、どうやらミンギルとテウォンは今は余った側にいた。


 涼しく過ごしやすかった高地の夏とは違って、八月パルウォル京城ソウルの空気は湿っていて重く、雲も空も太陽も何もかもが濃い色彩で陰影を作る。


 近くに他の兵士はおらず、運良くコンクリート製の建物が作る日陰がある通路の途中が二人の持ち場だったので、ミンギルとテウォンは涼をとって一息をついた。


 そしてミンギルは手で額の汗を拭いながら、私語であっても迷わずテウォンに話しかけた。


「そういえば今日の朝の訓示は、何か大事なことを言っとったか?」


「ああ。米軍の捕虜は丁重に扱えって話だったよ」


 例にもれずミンギルが半分寝ていて聞いていなかった中隊の訓示の内容を、テウォンはすぐに教えてくれる。

 普段ならそのまま別の話題になるところであるが、今日は少々引っかかるところがあったミンギルは、素直な疑問を口にした。


「なんで米帝だけ? 南朝鮮は、同じ朝鮮人の同胞のいる国だろ」


 むしろ同胞である南朝鮮軍の捕虜を丁重に扱うべきであって、米帝こそ完全な敵なのだからわざわざ生かす必要はないとミンギルは思う。

 しかし国際政治にはいろいろと難しいことがあるようで、テウォンはそのあたりの事情をため息交じりにかいつまんでミンギルに説明した。


「どうも米帝は南朝鮮よりも地位の高い国だから、米帝の人間をひどい目にあわせると国連っていう世界中の国の集まりで責められるらしい。逆に軽んじられてる南朝鮮の同胞の兵士は、どんな扱いでもそんなに気にされないみたいだ」


 人と人の間に格差があるように、国と国の間にも格差はあり、目には見えないけれども目の前のことには関わる、その遠く大きすぎる規模の話をテウォンはしていた。

 ミンギルは日々様々なことを聞き流しながらも、自分は公正であることを目指す国に属していると考えていたので、テウォンの言っていることの意味がなかなかよくわからなかった。


「共和国はいつも平等って言っとるのに、そんな変なことを気にしなきゃ駄目なのか」


「朝鮮は小さな国だからな。敵を支援する大国を怒らせないことが、生き残るために大事なんだよ」


 釈然としないミンギルが批判的な意見を述べると、テウォンは複雑な表情を浮かべつつ、諦観の方向で話をまとめた。


 頭の良いテウォンは、理不尽なことを飲み込むための理屈を考えて、反論を我慢して諦め、耐えることができる。

 ミンギルは馬鹿なのでそう簡単に納得はできないが、テウォンの正しさを信じて訓示の内容についての話を続けるのはやめた。


 会話が途絶えて黙っていると、ミンギルは日陰から一歩先にある暑い風景を眺めるしかやることがなく、だんだんと頭がぼんやりとしてしまう。


(あの有刺鉄線とこのコンクリートの壁と、毎日同じ仕事しかないのが良くないんだ。多分)


 冷たいコンクリート製の建物を背後に、地面ごと夏の日差しに照らされた黒い有刺鉄線を見つめながら、ミンギルは背中に汗が流れていくのを感じた。


 ミンギルは七面倒臭い政治のことではなく、せめて楽しいことで気を紛らわそうと、京城ソウル名物の雪濃湯ソルロンタンのことを考えた。

 きっとそのうち自由行動を許されて食堂で雪濃湯ソルロンタンを食べられる日も来るだろうと、ミンギルはささやかな休暇を与えられる日を待っていた。

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