第22話 部隊の編成

 京城ソウルを奪還した共和国の軍隊は七月には漢江ハンガン渡河とかして南進し、南朝鮮が臨時政府を置いた水原スウォンを陥落させて烏山オサン大田テジョンを次々に占領していった。


 支配する土地が広がれば、その管理をする人員も必要になり、ミンギルとテウォンのいる班は初年兵教育を二ヶ月で終えて部隊に編成され、まずは後方に送られることになる。

 その初めての任地が占領したばかりの京城ソウルに決まると、班員全員が喜んだ。


京城ソウルに行ったら、ものすごい美人に会いたいなあ」


「俺もそう思う」


「でも僕たちみたいな田舎者に構うのは、何かの裏がある女だけかもよ」


 昼食後に洗い場で食器を洗いながら他の三人が大都会での出会いを期待している横で、色事いろごとには興味がないミンギルはテウォンに訊ねる。


京城ソウルって、王様がいたところだよな。なんか名物ってあるのか?」


「昔の王様も食べてた料理なら、雪濃湯ソルロンタンが有名だな。雪みたいに白くて濃い、牛骨を煮込んだスープだ」


 テウォンは見たことも食べたこともない、他の土地の名物についてもミンギルの疑問に答えた。


「人生で一回くらいは、食べてみたいな。そういうの」


 肉なら何でも好きなミンギルは、蛇口から流れる水がたまっていくアルミの器を見ながら乏しい想像力を総動員し、牛骨の入った雪濃湯ソルロンタンを思い浮かべ唾を飲む。


「今ではわりと食堂で扱われてる料理みたいだから、意外と普通に食べれるんじゃないか」


 テウォンはその料理が意外と庶民的な献立になっているらしいことを明かして、洗い終わったアルミの皿を乾いた布で拭いて籠に入れた。


 ◆


 それから数日後、ミンギルとテウォンのいる新兵の集団は営庭に集められ、各班に下士官が入って分隊として編成された。

 分隊はそれぞれ十人前後で、分隊が三個で小隊、小隊が三個で中隊、中隊が三個で大隊となり、さらに大きな単位として連隊、旅団、師団、軍団があるらしい。


 あまりにも大きすぎる軍隊という組織の大きさに、ミンギルは山の麓に立ったつもりで周りで班を作っている人間を見回した。

 湿度のある曇天の空は雨が降り出してもおかしくない暗さだったが、ゆるく整列して集まる新兵たちの表情はほどほどに明るい。


 他人に興味がないミンギルは、未だに残りの班員の名前をわかっていなかったが、さすがにもうそろそろあと一人くらいは覚えなければいけないのかもしれないと思ってテウォンに話しかけた。


「これから来る人たちは、おれたちから見てどういう立場になるんだ?」


「この班が分隊になるから、今から増える下士官の人は分隊長と副分隊長になるはずだ」


 テウォンは他の三人の班員が話している何かの話題に耳を傾けていたようだったが、ミンギルの質問にはすぐに答えた。


 その直後に、ミンギルとテウォンのいる班に、一人の男が近づいてくる。

 おそらく年齢は二十代後半くらいであろう、ミンギルよりもやや小柄だが、細身で手足が長いので逆に背は高く感じられる、姿勢の良い男だった。

 芥子色からしいろの軍服は襟章の星の数以外新兵と変わらないはずであるのに、彼が着ていると将校のものと同じくらい上等に見える。


 軍帽を被ればどんな男でもそれなりに格好がつくという事実を差し引いても、つばの下から覗く日焼けした顔は凛として整っており、美男とはこういう人に使う言葉なのだろうとわからされる。

 だがその不遜さの見え隠れする瞳には独特の暗い光が宿っていて、表情には得体の知れない雰囲気があるので、どうやら善良な人格者ではないようだった。


「はじめまして、よろしくお願いします!」


 無言で現れた男を前にして、三人と二人の新兵たちは慌てて敬礼をして挨拶する。


 男は冷静に値踏みをするような眼差しで、新しい部下たちを一人ずつ見た。

 端正な顔立ちをしていること以外、まったく人に好かれる要素がなさそうな男である。

 しかし気だるげな男の瞳と目があったとき、ミンギルは不思議と親近感を覚えた。


(おれは多分、この人のこと嫌いじゃないな。嘘っぽくないから)


 真面目に物事を考えるのが苦手なミンギルは、説教臭さを感じない人物が自分たちの上官になることに安心感を覚えていた。

 しかしそっと隣に視線を向けてみると、考え方が常に優等生であるテウォンは、男の斜に構えた態度に不安を覚えているようだった。


 やがて五人分の顔を最後まで確認した男は、面倒くさそうに口を開いた。


「この分隊の分隊長を務める、カン・ジョンソだ。よろしく」


 決して声が大きいわけではないのに妙にはっきりと響く低い声で、男は自分の名前を名乗った。


 新兵たちは普通ではない雰囲気を持った上官が自分の名前の次に何を話すのか、気になってじっと見つめていた。

 だがジョンソは黙ったままで、気づけば隣にいたもう一人の青年が話し始めていた。


「副分隊長の、ユン・ホウンです。よろしくお願いします。私たちの分隊が所属する軍団はこれから京城ソウルへ行き、そこで……」


 体格にも顔にもこれと言って記憶に残るところのない青年は、丁寧な言葉づかいで必要事項であろうことを話していた。

 副分隊長という役職に就いているらしい青年の存在感は、分隊長のジョンソの印象の強さによってより薄くなっていて、その腰の低い態度だけが唯一の個性になっている。


 事務的な内容には興味がないミンギルは、副分隊長の話を聞くのはテウォンに任せて、後ろで黙っているジョンソの様子を伺った。


 ジョンソが本当に無口なのか、それとも面倒くさいから黙っているだけなのかはわからない。

 しかしどこか違うところをよそ見して考え事をしているジョンソの表情を見る限り、ジョンソもまたミンギルと同じように副分隊長の話を聞いていないようであった。


(この人がおれたちの分隊長の、カン・ジョンソ)


 ミンギルはそのとき驚くほど自然に、ジョンソの名前を覚えた。ジョンソの佇まいは他の人とはまったく違って、ミンギルは彼に興味を持っていた。


 おそらくミンギルが、テウォン以外の人間の名前を心に留めたのは生まれて初めてのことである。


 自分の不誠実さを隠さないジョンソの誠実さを、ミンギルは好ましく思っている。だからその日のミンギルはテウォンに何も訊ねることなく、ただジョンソの不誠実さが部下に損をさせないものであることを願った。


 ミンギルは自分の知性を信じていない。


 しかし誠実さも不誠実さも誰に向けられているかが問題であって、最終的に自分の得になるなら他者がどちら側であっても構わないことは本能で理解していた。

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