第21話 消灯前

 いつもよりも長い集会から始まった一日は、訓練をするにもどこか落ち着きがなく、そわそわと浮き立った雰囲気のまま過ぎる。


 夕食を食べて風呂にも入り、やるべき雑事もすべて終わらせた夜の、消灯ラッパが鳴るまでの短い談笑の時間も、話題はもちろん国境で始まった戦争の初勝利のことだった。


 就寝を控えて肌着と下穿きだけになった新兵たちが、ベッドに腰掛けて興奮した様子で話し続けている隅で、その会話に入る気のないミンギルは壁にもたれてうとうとしていた。


 一ヶ月半ほど過ごしてみても、ミンギルはテウォン以外の班員の名前もあまり覚えておらず、必要最低限のやりとり以外は言葉を交わさない。

 しかし今日は皆あまりにも盛り上がっているので、半分は寝ていていても会話の内容が嫌でも耳に入ってきた。


「それにしても三日で京城ソウル陥落って、米帝に支援されているはずなのに、南朝鮮は思ったよりも弱くないか?」


「それは俺も思った」


 お調子者のお喋りな男がまくしたてると、よく人の意見に同意しているような気がする人物が、ここでもやはり同意している。

 二人とも米帝と南朝鮮を馬鹿にしているわけではなく、誇張があったとしてもあまりにも呆気がない敵の敗北に困惑しているようだった。


「前線に今おるのは支那の国共内戦で戦争を経験した朝鮮人の兵士らしいから、大戦に勝ってからしばらく何もなかった米帝と南朝鮮より強いのかもしれんな」


 物知りな発言をするのはやはり、テウォンだった。テウォンはミンギルと違って、他の班員とも普通によく話している。


「そうなると俺らの出番が来る前に、戦争が終わるってこともありえるぞ」


 テウォンの話を受けてお調子者は、残念そうに声の調子を落とす。彼はミンギルと同じように、それなりに軍隊での出世に期待を持っているようだった。

 楽観的なのか悲観的なのかわからないお調子者の見通しに、口を挟んだのは不平家で後ろ向きな男である。


「でも、どうだろう。朝鮮が無事統一されても、僕たちはよく知らない国でやってる戦争に連れてかれて死ぬことになるのかも」


 不平家は不平家なので、運良く今の戦争を回避したとしても結局戦場で死ぬのではないかと不平を並べた。


「外国っていうのもあるか。朝鮮のためならともかく、外国の戦争はちょっとなあ」


 もうすでに半分戦争が終わった気になって、お調子者は外国での戦争のことを考えている。


「僕らと違っていつも余裕そうなミンギルは、どう思ってるのかな」


 突然誰かが――テウォンでもなく、お調子者でもなく、同意する男でもないのでおそらく不平家が、じめじめと僻みっぽくミンギルに意見を求めてきた。


 こちらはまったく名前を覚えていないのに、向こうからは嫌味っぽく名前を呼ばれる居心地の悪さに、ミンギルはすっかり眠気が覚めて目を開ける。

 周囲を見渡すと他の班員たちは、めったに口を開かないミンギルが何を話すのかを期待して見つめていて、テウォンは何かを言わなくてはいけないミンギルをただ見守っていた。


「そうだな……」


 ミンギルはつなぎ言葉で時間を稼ぎながら、流し聞きしていた会話の内容を思い出す。

 問われているのが米帝の弱さについてなのか、自軍の強さについてなのか、それとも自分たちが行く戦場についてなのか。呼びかけの意図がわからなかったミンギルは、とりあえず自分が意見を言える事柄について考えを述べた。


「外国の食べ物を食べられるなら、おれは外国にも行ってみたい」


 ソビエトという異国から送られているらしいハムやウィンナーの味が、ミンギルは好きである。

 だから朝鮮にはない、異国の味覚を知ることができるなら、おそらく戦争でもなければ外国に行く機会はないだろうから、行ったほうが得なのではないか、という考えがあった。


 他の班員たちは、ミンギルのミンギルの意見を興味深いが本心ではないごまかしとして適当に受け止める。

 しかしテウォンだけは、ミンギルの言葉に驚いていた。


「ミンギルは、外国に行きたいのか」


 テウォンは珍しく狼狽うろたえた様子で、声をうわずらせてミンギルの方を見た。

 どうやらテウォンは生まれ育った村から脱出するところまでは心から歓迎しても、話す言葉も食べ物もすべてが違う外国に旅立ちたいとは、まったく思っていないようだった。


(逆にテウォンは、外国に行きたいとは思わんのか)


 テウォンがミンギルの言葉に驚いたように、ミンギルもテウォンの反応に驚いていた。

 お互いにできることは違っても、願うことや目指すものは同じだと信じてきたから、ミンギルの好奇心がテウォンには理解できないものだったらしいことに動揺する。


 もしも今いる場所がミンギルとテウォンしかいない使用人部屋なら、ミンギルは外国でもどこでもテウォンのいる場所にいると答えたはずだった。

 しかし集団生活では他にいる人物が喋り始めるので、ミンギルが何も言えないまま、話題は移り変わる。


「ところでテウォンとミンギルって、どういう関係なんだ? いつも二人でいるけど、親戚か何かか?」


 改めて見ると意外と顔は大人っぽいお調子者が、怪訝そうな表情で身を乗り出す。


「俺もそれはちょっと、気になってた」


 穏やかな佇まいで微笑む同意する男が、お調子者の疑問にも同意する。


 陰気そうな雰囲気の不平家も、無言で頷いてミンギルとテウォンの方に視線を向けていた。


 他の班員たちの反応から考えると、ミンギルとテウォンの関係は不可解でどこかおかしいものとして捉えられているようだった。

 しかしテウォン以外とはほとんど人間関係を築いてこなかったミンギルは、自分たちが変だと思われる理由にまったく心当たりがない。


 テウォンもミンギルと同様、班員たちが何を不思議に思っているのか把握できてないらしく、戸惑った表情でごく軽い説明だけを述べた。


「どうって、同じ屋敷で一緒に使用人として働いとっただけだよな」


 二人の常識を確かめるようにテウォンがミンギルの方を向いて、ミンギルは無言で頷く。

 他の班員たちは腑に落ちない様子で、特にお調子者はさらに情報を引き出そうと口を開きかけていたが、消灯ラッパが鳴ったのでそこで話は終わった。


(もう眠いから、ラッパで話が終わってくれて良かった)


 電灯を消して、夏用の薄手の掛け布団に潜り込むときにはもう、ミンギルはテウォンと外国についての考えが大きくずれたことを綺麗さっぱり忘れていた。

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