第19話 異邦人

 一日の訓練が終わると、ミンギルとテウォンは他の班員とともに洗濯物を取り入れるために物干場ぶっかんばへと歩いた。

 午後になって広がった雲の隙間から陽の光が見え隠れする、夕暮れに差し掛かった頃合いで、風がどことなく生暖かいのが夏の始まりを告げている。


(列車の窓からしか見てないけど、ここは海に近い土地なんだよな)


 ミンギルは車窓から見た海を思い出しながら、空を見上げて故郷との空気の違いを感じる。

 海は裏山から見えていた湖よりもずっと広大で果てがなく、風の匂いも色も違っていた。


 まだ知らない土地の四季の変化を味わうように、ミンギルは深く息を吸う。


 そして再び地上に視線を戻したそのとき、ミンギルは司令部へとつながる渡り廊下を歩いてくる何人かの人影を見つけた。

 それは高級士官らしい仕立ての良い軍服を着た集団で、髪や肌の色が違う者も何人か混ざっている。


(おれたちとは顔が違うが、あれはどこの人なんだろう)


 少し離れているとはいえ、顔の判別はつく距離であるので、彼らの白い顔は彫りが深く鼻が高いことがわかる。

 初めて見る種類の人々に、ミンギルはテウォンに訊ねることも忘れて目を丸くして見つめた。


 やがてテウォンや他の班員も彼らの存在に気づき、その軍服の立派さを見て立ち止まりお辞儀をしたので、ミンギルも少し遅れて頭を下げる。


 頭を上げるタイミングを見計らいながら様子を伺うと、頭を下げている兵卒に気づいた彼らは、気さくな雰囲気で手をふっていた。

 親しげだがどことなくこちらを見下した態度は、ミンギルの知る同胞の朝鮮人の高級士官にはないものである。


 やがて見知らぬ偉い人々が通り過ぎたところで、身分の低い兵卒はまた再び歩き出す。

 階級による区別はときどき気に入らないこともあったが、使用人だったころと違って出世できる可能性もあるからミンギルは我慢していた。


「あの人たちは、どこから来とるんだろう?」


 軽く後ろを振り返りながら、ミンギルはテウォンに訊いた。


「あれは多分、ソビエトの人だな」


「ソビエト……」


 何かで耳にしたような気はするけれども、ぴんとはこない国名を、ミンギルは曖昧な調子で繰り返す。

 テウォンはミンギルの無知を咎めることなく、何度も同じことを教えることに慣れきった表情で説明を続けた。


「朝鮮よりも北にある、この国と同じ共産主義の国だよ。国土が広いから、白人もいるし朝鮮人もいる」


 先程いた見慣れない顔立ちの士官は隣の国にいる白人であると、テウォンの話を聞いてやっとミンギルは理解する。

 しかしなぜ異国の白人が、ミンギルのいる兵営を我が物顔で歩くことになるのかはわからない。


「そのソビエトの人は、ここで何を?」


 ミンギルが首を傾げると、テウォンは少し歩みを緩め、政治に詳しくなくてもわかる例を探して話してくれた。


「これから南朝鮮と戦争をするときに使う武器のこととか、いろいろ支援してくれとるんだよ。多分今日の朝食べたハムも、ソビエトが送ってくれたものじゃないか」


 低いところからテウォンがミンギルを見上げて、ちゃんと話が通じているかどうかを伺う。


 言われてみると確かにハムの味には異国の雰囲気があるので、ミンギルはそこでやっと納得することができた。


「ハムは美味いから、じゃあソビエトも良い国だな」


 満ち足りた朝食のことを思い出し、ミンギルは笑顔でテウォンに頷く。


 ソビエトの軍人たちに好印象を持ったわけではなかったが、美味しい食べ物をくれる国ならミンギルは無条件で信じることができた。

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