第17話 新兵の朝

 それから始まった新兵としての日々は思ったよりも地味なところと、期待通りに楽しいところの両方があった。


 まず木製の寝台と毛布は、真っ当な人の生活らしい寝床で足を伸ばして広々と寝れたけれども、暖かさや柔らかさという点では藁を敷き詰めた箱床はこどこの方が快適であったところもあった。


(それにずっとテウォンと二人で寝とったから、一人はなかなか落ち着かん)


 すぐ隣の寝台にはテウォンがいて規則正しい寝息をたてていても、温もりは遠く肌寂しい。

 ミンギルも寝付きが良い方であるため眠れないわけではないが、どうにも違和感があるのは確かであった。


 朝は、使用人として働いていたときと変わらない早朝に起こされた。時間になると起床ラッパが鳴るのだが、そのときにはもう着替えまで済ませて身支度を整えていないと叱られるため、皆もう少し早くに起きていた。


「ミンギル、朝だぞ」


「今、起きる……」


 ミンギルも、テウォンに起こしてもらって起床時間に間に合わせていた。これまでの生活と変わらない時間であるため、起きれないことはなかったが、いつか好きなときに寝て好きなときに起きる生活を送りたいと毎朝思った。


 着替えが終わったら、毛布を畳んで軽くゴミを拾ってから、朝食を食べに食堂へ行く。

 ミンギルは元々食べることが好きであったが、軍隊に入ってからはより一層食事が楽しみになっていた。


 食堂は宿舎とは別に建てられた大きな建物にあって、広い部屋に何十人も並んで一斉に食事をとることになる。


 まず班ごとに金属の籠にまとめられた食器を棚から出して、各々の食器をトレイに載せて配膳口の前の列に並ぶ。

 配膳口の向こうの厨房には調理当番や配膳当番の兵士がいて、愛想が良いわけでも悪いわけでもなく、粛々と器に料理を盛り付けた。


 食事の内容は、麦飯に季節の野菜が入った汁物、漬物、ふかしたジャガイモ、そして肉か魚、もしくは卵の料理が一品と、かつて屋敷で与えられていたものよりもずっと品数が多い献立である。

 しかも一日に必ず三食は食べることができるため、昼食があるとは限らなかった使用人時代から比べると、ずっと恵まれた食生活であった。


(今日のおかずは、何だろう)


 ミンギルは以前にはなかった期待感に胸を膨らませて、厨房の中を覗く。


 見てみると、配膳口にいる配膳係がアルミ製の皿の上に載せているのは、大きな鉄板で何枚も焼かれている厚切りのハムであった。

 軍隊の献立は洋式化が進んでいて、ハムやソーセージ、スクランブルエッグなど、田舎ではまったく見ることがない品が用意されることもある。


(ハムは丸くて、綺麗だ)


 ミンギルは軽快な音を立ててこんがりと焼かれているハムの薄紅色を、幼児のようにじっと見つめた。

 できれば隣にいるテウォンと今日も充実している献立について話して喜びを分かち合いたかったけれども、軍隊の食堂は無駄話ができる雰囲気ではないので、配膳係に皿にハムと付け合せのじゃがいもを載せてもらったお礼だけを言った。


 それから旬の野草や山菜が入った味噌汁トジャングクと、麦飯を椀に盛ってもらう。

 麦飯は建前上はおかわりが可能なことになっていたが、少なくとも新兵の場合は一杯で食事が終わる。


 また上役を怒らせると飯を抜かれるという罰則を与えられることもあるらしいが、ミンギルとテウォンは今のところそうした扱いを受けたことはなかった。


 ひと通り料理を受け取ったミンギルとテウォンは、班ごとに指定されている机の席についた。

 ミンギルとテウォンのいる班には他にあと三人ほど人がいて、テウォンとはそれなりに打ち解けているようであっても、ミンギルはほとんど言葉を交わしたことがなかった。


 やがて班員が全員揃って席についたところで、食事が始まる。


「祖国の土と人が育てた食物の恵みに感謝し、すべて残さずいただきます」


 ミンギルは他の兵士と声を合わせて挨拶をして、スプーンを手に取った。


 そして食べる前にまず幸せを噛みしめるように、アルミの食器に盛り付けられた品々を見つめる。


 多めに盛られた麦飯に湯気の匂いが香ばしい味噌汁トジャングク、ジャガイモと共に二枚盛り付けられた厚切りのハム、そして醤油カンジャン味のキュウリの漬物が、今日の朝食であった。


(温かくて量が多くて、最高だ)


 ミンギルは食事を前にすると、その他一切のことを忘れそうになった。


 しかし机も何もなかった以前と違って、今は食事作法というものを気にする必要があるので、正面に座るテウォンの真似をしてまず汁物をスプーンですくった。

 心が落ち着く薄茶の味噌汁トジャングクの熱々ではないものの眠気を覚ます温かさで、ほんのりとしょっぱい、香り豊かな風味がゆっくりと口の中に広がる。


(具の山菜もほろ苦くて、でもそれが美味い気がする)


 ミンギルは二、三口味わったところで、今度は麦飯をすくって食べた。

 米が六割、麦が四割の割合で大麦を混ぜて炊かれた麦飯は、それまで食べていた雑穀米よりは甘くやわらかく、しかし歯ごたえはあるので満腹感はある。


 そして麦飯を頬張ったままスプーンを箸に持ち替え、厚切りのハムを口にする。

 引き締まった肉質のハムは弾力のある食感で、塩気を帯びた旨味で飯がよく進んだ。

 付け合せのふかしたジャガイモと一緒に食べても、ハムの油が芋に染みてまろやかになって美味である。


 品数の増えた献立の中で、かつては唯一のおかずだった漬物は、今ではさっぱりと味覚を変える役割を果たす存在になっていた。


 正面を見てみると、かつてはおかずが足りず余った米飯をミンギルに寄越していたテウォンも、人並みの量を食べている。


(ここでは、全員が同じものを着て、同じものを食べて、同じことをしとる)


 ミンギルはテウォン以外にも何十人もいる、同じ立場の男たちを軽く見回した。


 顔や体格は違ってもまったく同一の軍服を着て、あまり喋らず粛々と食事をする若い男たちは、百姓の集団とは何かが違っている。


 村にいたときはまったく同じ暮らしをしていたのはミンギルとテウォンだけで、その他の人々は服や寝床、食べるものなど、あらゆるもので区別されていた。

 しかし今は、ミンギルとテウォンは二人まとめて捨て置かれた存在ではなく、大勢の中の一部である二人である。


 良い暮らしができるのは嬉しかったものの、ミンギルはテウォンと二人だけで過ごしていた時間が懐かしい気もしたし、皆がまったく同じような存在として生きる軍隊の生活はどこか異様な気もした。


 だがミンギルは漠然とした違和感をはっきりとした言葉にしようとは思わず、すぐに忘れて目の前の食べ物のことだけを考えた。

 ほどよく焦げ目のついたハムの塩気は、空腹を満たしてもなお食欲をそそる。


(いつかハムを何枚も、食べられるだけ食べれたら良いな)


 肉を毎日食べたいと夢見ていた日々が過去になれば、ミンギルはより大きな願いを抱く。

 はじまりはささやかでも、最後はどこまで欲深くなるのか。ミンギルにはまだ、自分がどういう人間なのかはっきりとはわからなかった。

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