第9話 まだ早い朝に

 新しい国の旗がはためいた日から二年後、つまり解放独立の日から五年後の春。


 その頃にはミンギルとテウォンは少年ではなく、青年と呼ばれる年齢になっていた。


 テウォンは小さいまま、ミンギルはより大きくなって、二人が並んだ姿はますます不釣り合いになる。

 身長が六尺近くもあって肩幅も広く腕も太いミンギルと、棒切れのように細い手足で五尺にも満たない背丈のテウォンでは、年齢は同じでも大人と子供ほど大きさが違う。


 だから使用人部屋の隅にある藁を入れた木製の箱床はこどこを使う就寝時に、ミンギルがテウォンを抱えるような形で眠ることは、睡眠に使える場所の狭さを考えれば自然なことだった。


「もう朝だから、そろそろ起きんと」


 心地の良い匂いのする藁にもぐりこみ、身体を屈めて眠っていたミンギルは、テウォンの声で重いまぶたを半分開けた。


 藁の上には薄い布団とむしろがあるだけであっても箱床はこどこの中は通気性も良い温もりがあり、オンドルのない冬も極稀に暑い夜がある夏も、意外と快適に眠ることができている。

 だからこそその心地よさから離れて外に出ていくことは非常に困難で、ミンギルは毎朝不機嫌になった。


「まだ暗いんだから、朝じゃない」


 ミンギルは湯たんぽのように温かくなっているテウォンを無意識のうちに腕の中に引き止めて、もごもごとつぶやいて再び目を閉じる。

 痩せっぽちのテウォンは別に触り心地が良いわけではないのだが、そばにいると温かくて丁度良かった。


 テウォンはミンギルの腕から逃れようと身体を捩って、第一声よりも大きな声を出してミンギルに起床を促した。


「暗くてもちょっとは明るくなっとるから朝だろ。起きて、牛たちの世話をしてやらないと」


「……確かにあのおじいさんも、牛の世話はちゃんとしろって言ってた」


 牛の話をされて、ミンギルは嫌々テウォンから腕を離して身体を起こした。


 五月オウォルになって大分日が昇る時間が早くなったとはいえ、ミンギルとテウォンが起きなければならない時間は早い。

 そのため戸の隙間から見える地面に光は差さず、空気も冷たく暗かった。


「お前はいろんなことを忘れとるのに、あのおじいさんのことだけは覚えとるよな」


 一足先に箱床はこどこから抜け出たテウォンが、服についた藁を払って軽く身支度を整える。

 ミンギルはまだ頭は半分眠ったまま、箱床はこどこの中から隣の牛小屋の方を見た。


「わからんけど、あの人は大事なことを言っとった気がするから」


 二人とも名前も覚えていなかったが、使用人の仕事を教えてくれた老人は、親のいないミンギルとテウォンにとって唯一心から信頼できた大人だった。

 だから老人の存在は数少ない子供の頃の良い思い出として、忘れっぽいミンギルの記憶にも留まっている。


(あのおじいさんに比べれば、おれたちは恵まれとるのかもしれない。だけど……)


 ミンギルはしわがくっきりと刻まれた老人の物悲しげな横顔を思い出してから、古い箱床はこどこが狭くなるくらいには大きく成長した身体で立ち上がった。

 側にいるテウォンはミンギルと違って小柄でも、あの老人のような諦めた目はしておらず、未来に希望を持つために十分な知識を持っている。


 しかしそれでも二人は、人民のための国家というふれこみの新しい国が出来てしばらくたってからも、使用人部屋で寝起きする立場から抜け出す機会を与えられていなかった。

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