第8話 新しい旗

 日本を打ち負かしたアメリカとソビエトによって分割されて支配された朝鮮半島は、結局一つの国になることができず、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国という名前の国が一九四八年に建国された。


 ミンギルとテウォンが住む咸鏡南道ハムギョンナムドは東北にあるので当然、朝鮮民主主義人民共和国に属することになる。


 新しい建国記念日となった九月九日には誰かが手作りした国旗が村中に配られたので、ミンギルとテウォンが住む使用人部屋にすぐ近い門にも旗が掲げられた。


「この国の旗って、あんなふうだったか?」


 一日の仕事が終わった夕方、屋敷の門のあたりを通りかかったミンギルは、以前よりも控えめに掲げられた新しい旗を見て首を傾げる。


 夕日に照らされてはためいている今日の旗は上下が青い赤地に星が描かれているが、三年前の夏に見かけた旗はうろ覚えだがもっと白っぽかったような気がしていた。

 その変化が何を意味するのか、学のないミンギルは何もわからない。


 一方でいろいろなことをきちんと見聞きしているテウォンは、新しい国についても詳しいので、赤と青の旗の保つ意味をミンギルに教えた。


「あれは紅藍五角星旗ホンナモガッピョルギだ。赤は人民の不屈の心を、星は共産主義を目指す未来を、白い円と線は朝鮮民族が一つであることを、上下の青は社会主義の勝利による平和を表しとる」


 テウォンの話は難しい言葉が多く、ミンギルには説明されていることの半分も理解できなかった。

 しかし新しい国旗について話すテウォンの丸い瞳がきらきらと光っているように見えたので、きっと良いものに変わったんだろうと信じてミンギルは尋ねた。


「昔は、何か違う柄が描いてあったよな」


「以前に使われていた太極旗は王朝時代に考えられたものだから、打倒するべき帝国主義の象徴で敵の旗だ。俺たちの未来は社会主義と、その先の共産主義にある」


 テウォンは新しい国旗の意味について語っていたときよりも、元々声が高い本人としては低く抑えた声でミンギルの疑問に答える。以前と使う旗が違うことは、あまり話してはいけないことであるようだった。


 頭に内容が入ってこなくても、テウォンが生き生きと喋っている様子を見るのが好きなミンギルは、質問を変えて話を続けた。


「そのシャカイシュギとか、キョウサンシュギっていうのは?」


 これらの言葉の意味は、以前にも何度か聞いたことがある気がするのだが、ミンギルは毎回も忘れてしまっていた。

 しかしテウォンは嫌な顔を一つせずにむしろ楽しげな様子で、話が終わらないうちに屋敷の裏口についてしまわないように歩を緩めた。


「社会主義っていうのは、何にもしてないのに威張っとる地主みたいなやつらを倒して、俺たちみたいにちゃんと働いて暮らしとる労働者で自由で平等で公正な国を作ろうって考え方のことだ。土地とか、財産とか、いろんなものを皆で分け合って、貧富の差を無くそうっていうのが共産主義。新しくできた朝鮮民主主義人民共和国は、そういう思想で作られた国だ」


 雑木林を照らす夕日のまぶしさに頭をぼんやりとさせながらテウォンの話に耳を傾けて、ミンギルは「俺たちみたい」という言葉の前後だけ何となくわかったような気がして瞬きをする。


「ってことは、新しい国はおれたちのための国なのか」


 珍しく政治を理解できたと思ったミンギルは、思わず足を止めてテウォンの方を見た。

 ミンギルは意図せずして、テウォンの歩く道を塞いで見下ろす形になる。


 背の低いテウォンは、大柄なミンギルを親しみをもって見上げて、利発そうな表情で笑った。


「そうだ。だからそのうち俺たちももっと真新しい服を着て、たくさんのおかずと一緒に飯を食べながら、のんびりと田んぼを耕しながら牛や鶏の世話をして生きていけるようになる。この土地は旧態依然としとるからなかなか変わらんかもしれんけど、朝鮮労働党がそういう国を作るんだ」


 テウォンはミンギルにもよくわかるように楽しげな言葉を並べたが、最後は硬い政治の話になる。


 結局誰がそういう国を作ってくれるのかはぴんとこなかったが、ミンギルは楽観的にテウォンの笑顔を信じた。

 これまでもずっと信じて待っていたはずで、その日は未だに来ていなかったが、ミンギルはより難しい言葉を使うようになったテウォンの声が明るいことは感じ取っていた。


「じゃあきっとそのときには、薬菓ヤックァもたくさん食べれるな」


「ああ。きっと一個だけじゃなくて、皿に山盛りだ。でも俺はそんなに甘いものはいらんから、お前に譲る」


 昔のことでも食べ物についてだけはしっかり思い出してにやつくミンギルを、テウォンは軽く小突いて歩かせる。

 小動物がじゃれるようなテウォンの一突きはまったく痛くはなく、ミンギルはむしろ心地の良いこそばゆさを感じた。


 このやりとりも、もしかするともうすでに何度か交わしたものなのかもしれないが、テウォンの笑顔が幸せそうに見えたので、ミンギルは安心してその日のこともそのうち忘れた。

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