第4話 山蒜を探して
屋敷のすぐそばにある裏山は行くのには時間はかからないが、
ミンギルとテウォンはオンドルに使う薪にするために切り倒された木の切り株が並ぶ山の端を抜けて、芽吹き伸びていくカラマツの新緑が夕日に美しく輝く山道を登っていた。
甘く澄んだ空気は清々しくて香りもよく、こなさなければならない仕事が無ければおそらくもっと春の景色を楽しむことができる。
古くなった落ち葉が何層にも重なった斜面をある程度上がったところで、ミンギルは木陰に群生している草を適当に指さしてテウォンに訊ねた。
「なあテウォン。これって
「いや、よく似とるけど毒草だ。食べれば人が死ぬ」
山菜を見分ける知識があるテウォンは草の近くに屈み込み、青々とした葉の根元を手で触れて確認する。
ミンギルはテウォンの手元を覗き込み、何でも良いから持って帰ってしまえという考えで、身も蓋もないことを口にした。
「じゃあこれを
その提案は冗談つもりなのか、それとも多少は本気なのか。それはミンギル本人もわからなかったが、テウォンは真面目に実現の可能性について考えていた。
「ウンギョンさんが気づくから無理だな。あの人はちゃんと山菜の見分けができとる人だよ」
テウォンはそう言って、山菜採りは本来女性の役割であることが多く、山菜を採る娘に恋をする男を歌った有名な歌もあることをミンギルに教える。
青々とした野原に春の風が吹き
山菜採りの娘が丘の上へ行く
きれいな山菜を探す娘の手首は
細くてとても可愛らしい
まだ声が変わりきっていないテウォンの微かに澄んだ歌声が、夕暮れが近い山の中で寂しく響く。
(あの女中はもちろん、屋敷の女たちは全然可愛くないんだが、女ってそんなに良いものなんだろうか)
同じ山菜採りをしていても、自分たちのような二人の男児だと何も感慨を感じてもらえないのに、女子なら可愛くて牧歌的だと歌にしてもらえるのがずるいとミンギルは思う。
やがて鼻歌を歌い終えたテウォンは、毒草から手を離して立ち上がり、崖のような急勾配を挟んだ、山道の脇の斜面を指さした。
「これじゃなくて、あそこに生えとるのが
テウォンの指が指し示した方には、細く長い葉の草がまばらに育っている。
取りやすい場所に生えた
「何もやり返せんのは面白くないけど、ちゃんと採らんと帰れんならしょうがない」
ミンギルは野良着の袖をまくると、木の根や岩を器用に伝って登って、
そしてミンギルは、焦げ茶の地面から青々と生えた
登った先の場所は山道からそれなりの高さがあったが、高所に慣れているミンギルに恐れはなかった。
「根は残して、採りすぎるなよ。来年も生えてもらわんと困るから」
「ああ、わかった」
ミンギルほど身体を動かすのが得意ではないテウォンは、下の山道からミンギルを見上げて指示を出した。
千切れた手元の草の青臭い匂いを感じながら、ミンギルは返事をする。
何も考えずに手を動かし、すぐに言われた通りに適量の山菜を採って終えたミンギルは、来たときと同じように軽々と崖を下りた。
テウォンのように物事を学ぶことに興味がないミンギルは、何もすることがないときには逆立ちなどをして暇を潰しているので、身体を動かすことには自信がある。
「山登りとか崖登りの競争があったら、きっとミンギルが一番だ」
「そういうのがあれば確かに、おれも勝てる気がするんだけどな」
毎回感心してくれるテウォンに、ミンギルは自慢気に頷いた。
籠の中には、数人の食卓分の新鮮で香りの良い匂い
細い葉の緑が鮮やかな
無事に頼まれた食材を手に入れた二人は、来た道を引き返す。
しばらく山道を下り、木々が少ない開けた場所に入ると、村の外れの幹線道路の向こうにある湖に、ちょうど夕日が映っているのが見渡せた。
空は朱色から紫色になだらかに色を変えて頭上に広がり、金色に光る太陽が山々に囲まれた湖の水面に映って近づいていく様子は、教養のないミンギルにも郷愁か何かを感じさせる。
(おれはこの土地の自然は好きだ。嫌いなのは、無駄に威張っとるやつらだけ)
ミンギルとテウォンは言葉を交わすことなく自然に同じように足を止めて、しばらくその景色を楽しむことにした。
夕日を眩しさにミンギルが目をすがめて視線を落とすと、湖のほど近くの野原に小さな人影が何人分かあるのを見つけた。
薄暗く離れているからよく見えなかったが、彼らはパジやチョゴリなどの朝鮮服ではなく都会らしく洗練された洋服を着ていて、男女で一緒になって夕日を楽しんでいるようだった。
「どこに泊まっとるのか知らんが、あれは湖に来た、いわゆる観光客ってやつか」
テウォンもその集団に気づいていて、ぽつりと呟いた。
村の人間以外と会う機会がないミンギルとテウォンでも、近くの湖のほとりが行楽地として人気であることは知っている。
湖の近くで異性交際する男女の様子は、古い時代の生活を送り続ける村の住民たちとはまったく違っていて、道を隔ててすぐ隣にある場所なのにほとんど別の世界のように見えた。
世界がどんな時局であったとしても、人生を謳歌する人々はいるところにはいるらしい。
「おれたちにはこの土地しかないのに、わざわざ余所からここに来て夕日見てられるやつらもいるんだな」
自分に許された文化とはあまりにも遠いものを見るとき、ミンギルは悔しいというよりも呆気にとられる。
だがテウォンはミンギルと違って、社会の不平等をはっきりと見つめていた。
「あそこにいるのは皆、俺たちよりもずっと金持ちで恵まれた生まれの人間だ」
夕日に照らされたテウォンの幼さの残る横顔が、大人びた表情で話し続ける。
「でも今このときは、俺たちは山の上からやつらを見下ろしとる」
自虐的に微笑みつつも、テウォンは力強く勝ち誇った。
地位や財産という面では下層に置かれていても、物理的に高い場所に登れば上層の人々を見下ろすことができるのだというテウォンの頓知に、ミンギルはより高い場所から物を見せてもらったような気分になった。
「確かにそう考えると、胸がすっとする」
「だろう? それにあちこちでやっとる戦争がもうすぐ終わるから、そうなったらこの国ももっと俺たちが暮らしやすい国になるはずなんだ」
ミンギルは手で目の上に
高所からの眺めによる万能感と、夕日の美しさによる高揚感で声も明るくなったテウォンは、さらに話を広げた。
ここではないどこかで戦争をやっているくらいの知識しかないミンギルは、何も考えないままテウォンの言葉を全面的に信じた。
「政治のことはわからんけど、頭の良いお前がそう言うなら将来を楽しみにしとるよ」
ミンギルが笑顔でテウォンの方を向くと、少々話しすぎたと感じたらしいテウォンは、気恥ずかしげにはにかんだ。
「俺の知っとることも『書堂の犬も三年で風流をたしなむ』っていうやつだから、ちゃんとはわかっとるかどうか怪しいけどな」
学校で本を音読している声を毎日聞いていれば、犬でも詩の一つくらいは諳んじることができるようになるという意味のことわざを、テウォンは謙遜の意味でよく使う。
だが同じ場所にいても何も覚えられない者もいるのだから、やはりテウォンは賢いのだとミンギルは安心した。
夕日の中で一瞬見つめ合ってから、再びミンギルとテウォンは山道を下り始める。
まだ沈みゆく太陽が湖の水面に触れていないのを見る限り、日が落ちて完全に暗くなる前には屋敷に戻れるはずだった。
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