第2話 春の農事

 春分も過ぎて寒さが緩み、山の麓がケナリの花の黄色に覆われれば、北東の高原にも遅い春がやってくる。


 渡り鳥も北上する春らしく、やわらかな青色に晴れた気持ちがよい青空の下で、おそらく十三歳くらいになったミンギルはまめだらけの手でくわを握って、褐色の大地に下ろしていた。

 使い込まれた柄のくわは重く、鈍い光を放つ刃は地面に突き刺さって土を砕く。


 ミンギルはまだ幼い少年として扱われる年齢にしては大柄で力も強く、薄汚れた顔も精悍で男前と言えなくもない大人びた少年に育っていて、与えられた古い野良着の丈も足りていなかった。


 周囲に広がる田畑には、ミンギルと同じように土を耕す野良着姿の百姓が点々と作業をしていて、さらには手綱を握られてすきを引く牛も三頭ほどいた。


 寒冷で霜が降りている期間が長い土地での稲作であるので、育てるのは冷害に強い赤米で、栽培法も苗を育ててから田植えする方法ではなく、田畑に直接籾種を播いて育てる方法が選ばれている。


 土を耕して堆肥をまくのは、冬の間に凍って固くなった田畑を、籾種を播くことができる状態にするためで、田起こしが終われば代かきがあり、代かきが終われば播種と農事には終わりがなかった。


(牛は力が強いから、大きなすきを引っ張るだけで土を耕せるから良いよな)


 少し離れたところにいる牛のゆっくりとした動きを横目で追いながら、ミンギルは冷たい土の匂いのする空気を吸って、ため息をついた。


 見渡す限りの土地や物は地主のファン家の持ち物で、ミンギル自身またも彼らの所有物の一つである使用人だった。


 他人の土地で他人の食べ物のために働くことは、ミンギルにとってまったく面白いことではない。

 しかし草をむ牛のように好きなように食事をする自由すら認められていない奴婢であるミンギルは、主人から餌をもらうために働く必要があった。


 そうして黙ってミンギルが粛々とくわを下ろしていると、同じように農作業をしている者たちのうちの一人である小柄な少年がこちらにやってきた。


 やせた腕で堆肥の入った桶と柄杓ひしゃくを持ち、泥や土埃に汚れていても、利発そうな丸い瞳が輝くその少年は、ミンギルと同様にファン家の使用人として働いているテウォンである。

 テウォンは桶に柄杓を突っ込んで、ミンギルに話しかけた。


「ここはまだ、堆肥をまいとらんかったよな」


「ああ、多分そうだ」


 くわを下ろす手を止め、あやふやな記憶でミンギルが頷くと、テウォンは手際よく均等に柄杓で黒く湿り気のある堆肥をまいた。


「じゃあこれくらい、まいとけば良いか。軽く耕して混ぜたら、次は北側に進めって助役の人が言っとったからな。あっちは石が多いから、それも取り除けって」


 物覚えの良いテウォンは、必要な連絡事項をミンギルにわかりやすく伝えてくれる。

 テウォンと違って頭が悪いミンギルは、忘れてしまいそうな気がしていたが、そのときはまたきっとテウォンが教えてくれると信じて返事をした。


「わかった。北側で、石は取り除くんだな」


 くわを握り直して、ミンギルは軽く笑った。その笑顔は、テウォン以外にあまり向けることはないものである。


 ミンギルに何ができて何ができないかをよくわかっているテウォンは、気さくに微笑み返してまた別の場所に向かった。


 テウォンがミンギルの代わりに頭で考えてくれる代わりに、ミンギルはテウォンが苦手な力仕事をこなす。

 二人はそうやって、足りないものを補い合って生きていた。


(だからおれは、テウォンのことだけ、よくわかっとれば良いんだ)


 ミンギルは貧しい感性しか持っていないからこそはっきりと、自分に必要なものと不必要なものを切り分けた。


 田畑での労働に従事するミンギルの周囲には、若いものから年寄りまで、村から駆り出されてきた百姓が何人もいた。

 後から誰かにファン家の主人に告げ口されると困るので、表面上は皆真面目に働いている。

 そうやって波風を立てないように生きる無個性な者しかいないので、ミンギルにとってテウォン以外の人間はだいたいその他大勢でしかなかった。


 田畑の褐色と四月サウォルの青空の間で、固い地面の感触を嫌々味わいながら、ミンギルは一応は食べて眠ることができる一日の終りを待っていた。


 与えられるのはやわらかい米ではない雑穀で、また次の日には同じ労働が待っているとわかっていても、食べて空腹を満たして、テウォンと二人で眠ることは好きだった。


 くわが土を掘り起こす音に時折牛の鳴き声が混じり、ほのかに暖かい空はゆっくりと午前から午後へと色を変えていく。


 遠い世界では朝鮮の土地を支配する日帝がどこかの大国と戦争をしているらしいとテウォンがときどき教えてくれたが、ミンギルがいる閉ざされた田舎の狭い世界は、良くも悪くも変わらない平穏を保っていた。

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