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終章 食卓の裏側

 深夜に誰かが正門の扉を開けて出ていく音を、ルェイビンは厨房で聞いていた。

 ちょうど、下げた料理の皿を大きな机に並べ、残った料理を一人で食べていたところである。


(今の音は、あの偽物の公女だろうか)


 足を投げ出して椅子に座り、鰊の酢漬けを手づかみで口に放り込みながら、ルェイビンは扉を開ける音を立てた人物について考えた。

 皇城で働く人間が饗花宮の正門を使うことはないため、誰かが開けて出ていくとしたらそれはおそらく招かれた者である。


 犠妃としてルェイビンの料理にもてなされた人間が、自分の意志でこの饗花宮から逃げ出すのはなかなか珍しいことだったが、あの公女のふりをしていた少女が去るのは何故かすぐに納得ができた。


 しかし犠妃である少女が逃げ出したのかもしれないと思っても、ルェイビンは追って引き戻す気にはなれなかった。


 確かにルェイビンは、神である大帝の宴のために少女を殺して料理にする役割を負っている。本当に犠妃を逃し、それを知られてしまったら、おそらく多少は罰されるだろう。


 だが逃げ出した少女をわざわざ捕まえて殺すほどの忠誠心は持っていないし、犠妃がいなくなったとしても焦る気持ちが生まれないのだから仕方がなかった。


 結局のところルェイビンは、少々の罪や問題があっても、職を失うことはない地位にいる男なのである。


(それにこの国は、本当の味がわからないやつばかりだからな)


 ルェイビンは厳めしい表情を少しだけ崩して杯を手にし、余った白葡萄酒を一気に飲んだ。


 庖厨官として本物の料理の作ることができるルェイビンは、嘘でごまかした料理の作り方も知っている。


 たとえ犠妃に選ばれた少女たちが神聖な食材であったとしても、割いて烹てしまえば牛や豚の肉とそれほど大きな違いはなかった。


 大嘉帝国を統べる大帝にとっては、生きとし生けるものは皆すべて食す存在であり、何を出されても拒まない。


 だから食卓にどんな肉が並んでも、饗宴は必ず成立する。


 宴から逃げ出した少女の未来がどうであれ、ルェイビンのするべきことは変わらないのだ。


 そして明日も大帝のための食材を切るであろう庖丁が立てかけられた厨房で、揺れる蝋燭の灯りが机の上の残飯を照らす。


 ルェイビンは後で来る同僚の搬贄官の分を取り分けて、別の皿に載せた。


 今回の犠妃は食べる量が多く、また女官たちもよくつまみ食いをしたので、あまり料理は残っていなかった。

 しかしそれでも、夜食としては十分な品数がある。


 最後の一切れの豚肉を薄く切った黒麦の麺包パンに挟み、ルェイビンは雑に噛み切って食べる。


(よし。冷めても固くならずに美味いな。苔桃のたれの甘みも、発酵した黒麦のくせのある酸味と合っている)


 熱が失われたことでかえって濃くなった豚の味を、ルェイビンは時間をかけずに味わった。


 ルェイビンは料理をするのが実のところそれほど好きではなかったが、自分が作った料理の味は好きだった。

 だから明日も死なずに大嘉帝国を生きるルェイビンもまた、その美味しさには満足して笑みをこぼした。


〈終〉

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