4‐11.ある昔話

 饗花宮につくと、ルェイビンは裏口に回ってラーストチカを厨房に入れた。


「ここがあなたの職場なのですね」


 ラーストチカは料理をするためだけのその空間を、新鮮な気持ちで見回した。


 饗花宮の厨房は居住部分とは別の火災の心配の少ない磚造の舎屋にあり、調理台や大窯が並んだ舎内は質素だが広々としている。


 竈の前ではルェイビンの下役らしい少年が火の番をしながら芋の皮を剥いていたけれども、ルェイビンとラーストチカがやって来ると姿を消した。


 ルェイビンは簡素な作業用らしき椅子を用意してラーストチカを座らせた。

 そして生成りの木綿の前掛けをつけ、水瓶の水で手を洗って厨房に立つ。


「今から作るから、ここで待ってろ」

「はい、楽しみにしてますね」


 ラーストチカは明るい声で返事をした。


 調理台を挟んで見えるルェイビンの広い背中には妙な安心感があって、不思議と必要以上に格好良く見える。


 まずルェイビンは竈の火で熱くなっている焜炉に、作り置きのスープを入れた鉄の小鍋と水を注いだ大鍋を置いて温めた。

 そして鍋を温めている間に手際よく庖丁で葱と香菜を切って、にんにくをむいてすりおろす。


 厨房には干し肉や玉葱などの様々な食材が吊るされたり瓶に入ったりして並んでいて、いつでもすぐに食事を用意できるように常に何かしら仕込んであるようだった。


(このいい匂いは多分、牛肉のスープかな)


 ラーストチカは姫君らしく姿勢よく座りながら、ルェイビンが温めている小鍋から広がる匂いをかいでより一層期待して待った。


 やがて大鍋に入れたお湯が沸くと、ルェイビンは小麦粉を練ったような生地をどこからか出してきてまな板に載せた。


 そしてルェイビンはそのまな板を左手に、変った形に曲がった小刀を右手に持ち、生地を薄く削ぎ落として次々にお湯に投入した。


 ルェイビンの握る小刀が滑らかに素早く生地を削いで麺にする様子に、料理に深い造詣があるわけではないラーストチカも思わず見惚れて目を奪われる。


(あれが彼の、料理をする姿)


 吸い込まれるようにルェイビンを見つめて、ラーストチカは吐息をもらした。


 小刀はまるで音楽を奏でるように気持ちの良い音を立てて、細長く削がれた白い生地は美しく宙を舞って煮えたぎる鍋に落ちる。

 それはきっと長年の熟練がなければ出来ないであろう職人の技で、ラーストチカは自分も最後はそうやってルェイビンに料理されるのだと思うと妙に感動してしまった。


(私が死ぬときも、あの生地みたいに綺麗に切ってもらえるんだ)


 生地から麺を削ぐルェイビンの姿は、いつまで眺めていても飽きなかった。

 しかしラーストチカがうっとりしているうちにルェイビンは削ぐ作業を終えて、薄く細長い麺はすぐに茹で上がって手付きのざるに上げられた。


 そしてルェイビンは茹で上がった生地を温まったスープに入れ、葱と香草を載せて器に移した。


「できたぞ」


 ルェイビンは、湯気の立つ椀をラーストチカが座る椅子の前にある調理台に置いた。


 黒い椀に入っているのは白濁した牛骨のスープに浸かった平たい麺で、その上には細切りの葱と香菜が緑の彩りと香りを添えている。

 それはラーストチカがまったく知らない異国の料理だったが、見た目も香りも食欲をそそった。


「ありがとうございます。いただきます」


 ラーストチカは笑顔で受け取って、箸と呼ばれる二本の金属の棒を手にした。ナイフとフォークで学んだテーブルマナーは、さっそく役に立っていなかった。


(この箸っていうものは、こう持つんだったかな……。まあ知らないものはしょうがないし、間違っていてもいいか)


 開き直って堂々と適当に箸を手にしたラーストチカは、牛骨の出汁の匂いがもうすでに美味しい気がする湯気を吸い込み、麺を掴んで音を立ててすする。


 するとつるりと茹で上がった熱々の麺が濃厚なスープを絡めて口の中に運ばれ、噛めば歯切れ良く小麦の風味をラーストチカに味わわせた。


(これはスヴェート公国には、全然なかった美味しさだ)


 ラーストチカは文化の違いの感じながら、異国の料理を興味深く頂いた。

 麺もスープも熱いので、ラーストチカは口の中を火傷しないように冷ましながら食べなければならなかった。


 隠し味にスープに投入されたすりおろしたにんにくが味に深みを与える一方で、シャキシャキとした葱と香りの強い香菜が時折口をさっぱりさせる。また塩気のある生地の麺は縮れてしっかりとした食感があり、小麦の味はほのかに甘く優しい。


 その厳選された素材の調和は一品で完成していて、他の何もなくても美味しかった。味わえば味わうほどに、ラーストチカはルェイビンが料理人として確かな腕を持っていることを理解した。


(スープを飲んでも、出汁の味が身体に染み渡る気がして美味しい)


 ラーストチカはするすると麺を食べ終えると、牛の旨みの溶け込んだスープを飲み干して一息をついた。


「とても、満足しました」


 胃に心地のよい温もりと重みが広がって、幸福感に包まれる。

 やや味が濃い目の品だったが、ラーストチカが軽食として望んだ通りに多すぎず少なすぎないほどよい量だったので、飽きずに余すところなく完食することができた。


「そうか。他に欲しものがあれば、また言え」


 ルェイビンはラーストチカの傍らに立って食器を下げながら、少し誇らしげに言った。ルェイビンは就労意欲が特別あるわけではなさそうだが、料理人としての実力への自負はそれなりにあるようだった。


 しかしラーストチカはルェイビンに得意分野だけで勝負させようとは思わなかったので、食後には別のことを望んでみた。


「食べ物はこれで十分なので、何か面白い話をしてくれませんか」


 ラーストチカがごく普通に無茶を振ると、ルェイビンは再び苦々しい顔に戻った。

 だがそれでも庖厨官であるルェイビンは、犠妃であるラーストチカの頼みを断らなかった。


「……じゃあ、おとぎ話でいいか」

「はい。そういうのでお願いします」


 おとぎ話こそ一番に好きなラーストチカが期待に目を輝かせると、ルェイビンはラーストチカの近くに置いてあった大きな木箱に座り、手短に、しかし丁寧に話し始めた。


「昔、雪が降る寒い国の城にたいそう美しい姫君がいた。姫君は城で働く屠殺人に恋していたが、身分違いの恋だから諦めて、他の国から招いた王子と結婚して平和に暮らしていた」


 語られているのは、本当にどこかのおとぎ話だった。

 ルェイビンの声は普段の声とは雰囲気が少々違って、どこか角のとれたやわらかさがあった。

 恋や愛の話をルェイビンがしているのを聞くのは新鮮で、ラーストチカはほのかな甘酸っぱさを感じとる。


「しかしある日、その国の城に野蛮な敵国の軍隊が攻めてきた。敵兵の強さに王子も逃げだしたから、姫君の国は負けるしかなくなった」


 ルェイビンは、必要最低限の概略だけを語る。

 その急展開に驚きわくわくしながら、ラーストチカは耳を傾けた。


(これは、ひどい目にあうお姫様のお話なんだ)


 物語が陰鬱な展開を見せても、ルェイビンは粛々と話していた。

 それが返って、その姫君の置かれた状況の悲しさを際立たせた気がした。


「姫君は敵兵に殺されるくらいなら恋していた屠殺人に殺されたいと願い、屠殺人に自分の肉を捌いて料理するように頼んだ。そして屠殺人は姫君の願いを聞き届け、姫君を屠殺し美味しい品々に料理した……。この屠殺人というのが、俺の先祖だという話だ」


 思ったよりも短く残酷な恋物語だったおとぎ話を終えて、ルェイビンは話し慣れていなさそうな様子で頭をかいた。


 ラーストチカはすっかり心を奪われた気持ちで、その内容を心の内で反芻した。


(ルェイビンのご先祖様には、そんな由緒が)


 自分とルェイビンもまたそのおとぎ話の一部になった気分になって、ラーストチカは恋をしていないのに恋したような心地になった。


 ルェイビンは帝国を統べる大帝に仕える料理人である。

 だから今話された物語はひとつのおとぎ話である一方で、実際にあった出来事が含まれている可能性が十分にあった。


「とても素敵なお話でした。その屠殺人も姫君のことを愛していたから、願い事を叶えてあげたのですね」

「いや、その男は自分の職務に忠実に、仕事をしただけだと思うが」


 ラーストチカはこれまで以上に純真無垢な公女になりきって、自分が思ったことを言った。

 だがルェイビンはおとぎ話の屠殺人と同じ立場にいる者として、夢も希望もなくあっさりとラーストチカの考察を否定する。


「それじゃあ、おとぎ話じゃなくて現実じゃないですか」


 頬を膨らませ、ラーストチカは隣に座るルェイビンと距離を詰めて言い返した。

 ラーストチカはきっとルェイビンは、自分を避けて冷たいことを言うのだと思った。


 しかしルェイビンは側に寄って来たラーストチカを遠ざけることなく、先程まで小刀を握っていた硬い指で少女の頬に触れた。


「……おとぎ話なら俺は、お前と恋に落ちるんだろうが」


 ルェイビンはラーストチカに視線を注いだまま、問いを打ち消すようにつぶやいた。

 それは甘い言葉に聞こえるけれどもどこか乾いた響きで、ルェイビンの行動は彼の想いを反映していないことを語っている。


 絶対にルェイビンは、ラーストチカのことを好きになることはないはずだった。ルェイビンはそういう、男女の情に欠けているように見えた。


 しかしルェイビンはその時々で変わる主に仕える存在であるので、今は犠妃であるラーストチカの意志に全て従っていた。


 ラーストチカはルェイビンの切れ長の黒い瞳を見つめ、好意ではなく、どちらかというと好奇心で答えた。


「では、試してみましょうか」

「お前がそれを望むなら」


 ラーストチカが仮初の恋をしてみることを選ぶと、ルェイビンは無表情なままラーストチカの頬から首を撫でて、もう片方の手でその先の赤い袖を掴んだ。


 主であるラーストチカが願えば、ルェイビンは絶対に拒まないし逆らわないのであった。

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