4‐10.天空と大地と

 帝都に到着したその日の夜は、ルェイビンが用意した帝国の羊料理のご馳走をたらふく食べて、ラーストチカは寝た。


 そして翌日、これまた豪華な鮑入りの白粥の朝食の時間があった後、ルェイビンは約束通りラーストチカを皇城の敷地に建てられた巨大な楼閣へと連れて行ってくれた。


 そこは何層にも庇を重ねた八角形の楼閣で、頂部には青銅の飾りが付き、瓦葺の黒い屋根の四隅には鐘の形をした金色の鈴がそれぞれ揺れている、立派で華麗な造りの場所であった。

 また各階の軒下には透かし彫りの格子状の欄干が巡らされ、外に出て眺めを楽しむことができるようになっている。


「こんなに高いところに立つのは初めてです」

「そうか。それは良かった」


 冷たく凍った空の風に赤いドレスの袖をはためかせて、ラーストチカは欄干の縁を握り最上階から帝都を見下ろす。


 ルェイビンはその後ろでただ立っていて、はしゃぐラーストチカを前に興味なさそうにしていた。


(だって人も家も、あんなに小さく見える)


 同行者の無関心も寒さも気に留めず、ラーストチカは全てが玩具のように見える澄んだ青空の下の眺めを楽しんだ。


 建物と建物の間を升目状に規則正しく延びる路に、大勢の人や馬車で賑わう大通りに建てられた鐘楼や寺院などの巨大建築、巨大な内港の池に浮かぶたくさんの商船など、楼閣からは帝都の全てが一望できる。

 また正方形に都を囲む城壁の向こうには、ゆったりと赤土を流れてやがて帝都や皇城の内部へとつながる運河や、山頂を雪に覆われた雄大な山脈なども見えた。


(私はあの大勢の人の中の一人じゃなくて、空からそれをみることができる特別な一人なんだ)


 街で蟻のように働いている人々の姿を、ラーストチカは不思議な万能感のある気持ちで見下ろした。

 帝都の街に並ぶ巨大な建築の、そのどれよりも高くそびえる皇城の楼閣の上に立ち、ラーストチカは神や王になったかのような気分になった。


 故郷ではいつも広すぎる大地から空を見ることしかできなかったラーストチカは、自分がそのいつも見上げていた天空に近い場所に立っていることに感動する。


 最上階まで階段を上がるのには骨が折れたが、どんな苦労だって忘れられるくらいに一生で一番に素晴らしい眺めだとラーストチカは思った。


「私、最初にこの都を見たとき、これは巨人が作った場所なんだろうかと思ったんです」


 欄干から身を乗り出したまま、ラーストチカは後ろにいるルェイビンに話しかけた。


 この夢見がちなラーストチカの問いに、ルェイビンはとても現実的な答えを返してくれた。


「この国に巨人はいないが、おそらく建築技術はお前の国よりもずっと進んでいるからな。国土が広く豊かだから、集められる人や資材が豊富なのも間違いないだろう」


 ラーストチカにとっては夢のように不思議な光景も、ルェイビンにとっては見慣れたあたり前の風景でしかない。二人は同じものを見ていながら、まったく別の景色を目に映している。


 だからラーストチカは振り向いて、あえてさらに夢みたいなことを言ってみた。


「おとぎ話で塔に閉じ込められたお姫様の見る景色も、これくらい高くて遠い眺めなんだと思うとわくわくしませんか」


 遥か高い青空を背に、ラーストチカはルェイビンに微笑みかける。

 高い塔に閉じ込められた美しい姫君が白く大きな鳥の力を借りて魔女の呪いから抜け出す物語は、ラーストチカの故郷の子供がよく聞かされる物語だった。


「そう思うやつも、いるかもしれんな。だがお前は囚われの姫君なんかじゃなくて、望んでここに来たんだろ」


 ルェイビンは突き放した表情で受け答えながら、ラーストチカが悲劇の姫君ではないことをやんわりと指摘する。ラーストチカが率先して喜んで公女の身代わりになっていることも、ルェイビンは見抜いていた。


「いいえ。私はこの国に、泣く泣くむりやり連れて来られたんです」


 肯定はしたくないが普通に否定するのも格好悪いと思ったラーストチカは、わざと悲しそうな表情をしてみせる。

 その滑稽さにルェイビンは、かすかに笑みをこぼした。


「お前は嘘ばかり言うな」


 冷たく感心した様子で、ルェイビンが言い捨てる。ルェイビンは多分呆れて、ラーストチカを馬鹿にしていた。


 どうせ話は通じないだろうと思ったが、ラーストチカはせっかくの機会なので自分の意見を述べてみた。


「真実や事実が、そんなに良いものなのでしょうか。私はどうでもいい現実に生きるくらいなら、夢の中に生きたいと、そう思います」


 ラーストチカは手を後ろで組み、丁寧な言葉で想いを打ち明けた。


 するとルェイビンは目を細めて、思ったよりも真面目になって顔でつぶやいた。


「そうか。俺はひどい悪夢よりは、つまらない現実を選びたいがな」


 その声には、どこか諦めた響きがあった。

 もしかするとルェイビンは何か辛い選択をしたことがあるのかもしれないと、ラーストチカは察する。


 興味がないと言えば、嘘になる。

 しかし自分がわかる答えが返ってくる気がしないので、ラーストチカは何も聞かなかった。



 ラーストチカは景色をたっぷり堪能してから、ルェイビンと二人で楼閣を降りた。

 階段の最後の段を下り終えたのはちょうど正午のころで、朝食をしっかり食べたラーストチカも小腹がすいていた。


 楼閣の周辺に設けられたちょっとした庭で、ラーストチカはルェイビンの方を向いた。


「軽く何かが食べたいですね。夕食が食べられなくなるのは嫌なので、量はそれほどなくていいんですが」

「要するに、軽食だな」


 ラーストチカが遠慮なく食事の希望を伝えると、ルェイビンは嫌々承諾した。


 そのルェイビンにまたさらに、ラーストチカは要求を突きつける。


「あとはついでに、あなたが料理をしているところが見てみたいです」


 別にどうしても厨房が見たいというわけではなかったが、ルェイビンがきっとより嫌がってくれると思ってラーストチカは頼んだ。

 ルェイビンはやはり顔をしかめたが、ラーストチカの頼みを断るということはなかった。


「わかった。じゃあ、ついて来い」


 そっけない返事で答えて、ルェイビンは饗花宮の方へと歩き出す。

 ラーストチカはその後ろを、言われた通りについて行った。

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