4‐4.近くて遠い

 ラーストチカが異国に送られる姫君の身代わりになることは、他の村の住民には伏せられた。

 しかし隣のスーシャの一家は半分家族のようなものだったので、秘密はすぐに伝わった。


 だからいつもと同じようにラーストチカが一人で古い納屋にいると、いつもとはちょっと違う顔をしたスーシャが扉を開けて入ってきた。

 大きめの木箱に腰掛けて微妙に床につかない足をぶらつかせるラーストチカを立ったまま見下ろし、スーシャは吐き捨てるようにこう言った。


「お前、とうとう本当に馬鹿なことを引き受けたんだな」

「それって、何の話?」


 ラーストチカは毎日スーシャに会ってきたが、今日のスーシャにはどことなく真剣な表情をしていた。

 そんな雰囲気だからこそ、ラーストチカはとぼけて笑ってみせる。


 余裕を持って笑みを浮かべるラーストチカに、スーシャは苛立ちを隠さず本題を告げた。


「公女様かなんかの身代わりとしてお前がどっかの国に送られるっていう、領主と村長が持ってきた話のことだ」


 スーシャはこちらをにらんでいたが、ラーストチカはまったく怖いとは思わなかった。


 普段なら苛立っているのは、馬鹿にされているラーストチカの方であるはずだった。

 だからラーストチカは、立場が逆であることが楽しくて、さらに冗談めかしてスーシャを煽る。


「それは馬鹿なことじゃなくて、このスヴェート公国のための必要なことなんだよ」


 ラーストチカは政治のことを理解しているわけではないが、スーシャよりも優位に立つために全てわかっているふりをした。


 するとスーシャは、ラーストチカの思った通りに声を荒げた。


「どんな酷い目にあうかわからない余所の国に死ぬために行くことが、馬鹿なことじゃなかったら何だって言うんだ」


 まるで掴みかかってくるような勢いで、スーシャはラーストチカに迫った。

 スーシャは公女の身代わりとして死ぬラーストチカを、大人に騙されて命を無駄にする可哀想な女の子か何かだと思っているようだった。


 だがスーシャがいくらラーストチカを下に見て叱ろうとしていても、本当に死ぬ覚悟を決めた人間に勝てるはずはなかった。


「どうして、スーシャがそんなに怒ってるの?」


 ラーストチカは木箱に座ったままスーシャを見上げて、わざわざ思い遣りを踏みにじった。

 これからラーストチカはただ死ぬのではなく、大帝という王でもあり神でもある化け物に喰われて死ぬのだと知ったら、スーシャはどんな顔をするのだろうかと思う。


 隙間風は耳障りな音を立てて、壊れかけた納屋に吹き込んでいた。


 我慢できなくなったスーシャはとうとう、屈んで目線を合わせてラーストチカの両肩を掴んだ。


「だったら逆に聞くけどな、何でお前は意味もなく殺されるっていうのにそんなに嬉しそうにしてるんだよ」


 スーシャの声は震えていて、厚手の外套越しにラーストチカの肩を掴む手は少し痛いほどに強く力が込められている。


 見てみると、スーシャの目には涙が滲んでいた。

 スーシャはラーストチカと違って、人の死を悲しむことができる優しい人間だった。


 多少、やりすぎてしまったかもしれないと思ったラーストチカは、そのあたりで挑発するのをやめた。

 単なる幼馴染として以上にスーシャに好かれていることは、とっくの昔から気づいていた。


(だったら最初から正直に、お前が死ぬのは嫌だって言えばいいのに)


 ラーストチカは意地の悪い指摘は心の中だけにして、少しだけ物分りが良い態度をとった殊勝な表情でスーシャを見つめる。

 本当に言ってしまいたいことを飲み込んでいるのは、お互い様のはずだった。


「ごめんね、スーシャ……」


 何に対しての謝罪なのかははっきりしないが、ラーストチカは適当に謝った。


 スーシャは黙っていた。


 やがてスーシャの潤んだ瞳が揺れて涙が零れ落ちるのを、ラーストチカは見た。


 ラーストチカは腕を伸ばし、日々の労働でやせたスーシャの身体を抱きしめた。

 そしてそばかすだらけのスーシャの頬に自分の白い頬を寄せて、耳元に甘くささやく。


「でも、ありがとう。あたしよりもあたしを大切にしてくれて」


 ラーストチカの言葉は、まるでないはずの思い遣りがあるかのように響いていた。


 絶対にスーシャは、ラーストチカの言うことに納得するはずがなかった。

 だがこれ以上本音を晒すのは恥だと思ったのか、スーシャは反論の代わりにさらにラーストチカの身体を引き寄せ、きつく乱暴に抱きしめ返した。


 ラーストチカが息苦しくなるほどに狭く腕の中に閉じ込めて、スーシャは声を押し殺して泣き震えていた。

 寒さが厳しい納屋にずっといたためにラーストチカの身体は冷え切っていたが、一方でスーシャの身体は怒っているからか熱かった。


 スーシャの好意に家が隣だった以上の深い理由があるのかどうかを、ラーストチカは知らない。

 しかしスーシャはラーストチカが好きでいるからこそ、ラーストチカが勝手に死ぬと決めたことを許せず憤っていた。


 スーシャの怒りは人の心も冷え切ったこの土地では珍しい熱い激しさがあり、ラーストチカはそれを愛でるべきものなのだと思った。


 自分のためにスーシャが心を乱しているのだと思うと、嬉しさとおかしさで笑みがこぼれる。

 その熱くて冷たいほろ苦い達成感の中で、ラーストチカはもう一度決意を新たにした。


(お姫様の身代わりになって死ぬのは、この何もない土地で生きるよりもずっと素敵で意味のあることだと、あたしは思う)


 薄汚れた納屋で薄汚れた服を着た幼なじみの腕の中に身体を預けて、ラーストチカはそこから抜け出せる自分の未来のことを考える。


 果てしなく近くにいながらも、涙を流すスーシャと微笑むラーストチカの心はどこまででも離れていた。


 ラーストチカはこの幸運を理解しないスーシャこそが馬鹿なのだと思いながらも、その生真面目なまごころは愛しく受け取り、そして返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る