4‐3.姫君の身代わり
「領主様と村長様が、私の家に一体何しに来てくださったんでしょうかね」
娘に呼ばれて家から出てきたラーストチカの母親は、腰の低い態度で客人を出迎えた。
家の住民を前にした領主と村長は二人、顔を合わせて来訪の目的について言葉を濁した。
「それがまあ、どこから話せばいいのやら」
「この国のちょっとした歴史から説明せねばならんですからなあ」
領主が困った様子で口を開くと、村長も同調をする。
話が長くなりそうだと思ったラーストチカと母親は、自宅に帰るスーシャに妹たちを預けて、狭苦しい家を軽く片付けて客人をもてなした。
外が極寒であったとしても、きちんと暖炉で薪を燃やせば丸太小屋の家でも暖かくはなる。
そしてかまどで温めていた甘辛い蜂蜜湯を木の杯に注いで、羊毛の敷物を敷いた椅子に腰かけている領主と村長に出す。
領主は杯を受け取ってお礼を言うと、母親ではなくラーストチカの方を見た。
「話したいことって言うのは、そっちの娘さんに関わることでね」
いきなり自分が一番に関わることだと言われて、ラーストチカは驚いて二人の客人を凝視した。土地や農作物に関わる何かの話なのだろうかと思っていたが、どうやら何か別の話らしかった。
「はあ、この子が」
母親も同じ認識だったらしく、訳が分からなそうに首を傾げた。
「あたし、なんですか」
「うんうん、そう。あんたのこと。だがまずは、この国を支配しているのが誰かっていうところから話を始めなけりゃならんな」
ラーストチカが聞き返すと、湯気のたつ蜂蜜湯をすすりながら領主が説明を始める。
「このスヴェート公国を治めるのが大公様っていうのは、もちろん二人とも知っているだろうな。だけど大公様よりも偉い人が、この地上にはいらっしゃる」
ごく基本的な知識の確認から始まる領主の話を、ラーストチカと母親は向かいに座って聞いていた。
学のないラーストチカでも大公のことくらいはさすがに知っていたが、それでも具体的に何がどう自分たちと関わっているのかはわからないし、大公よりも偉い存在と言われてもぴんとはこない。
「この僻地に住んでいるとわからんかもしれんが、実はこの国は百年くらい前に戦争に負けてからずっと、
領主の説明を受けて、村長は話を続けた。
(遠い東の大国……)
前置いて言われた通り、それは農奴にはまったく実感ができない大きさの世界についてのことで、まるでおとぎ話のような心躍る話にも聞こえる。
わからないなりに興味を持っているラーストチカがちらりと横に目をやると、母親の方はちんぷんかんぷんで何も頭に入っていないであろう表情をしていた。
さらに領主と村長も、よく見ると彼ら自身もまた完全には状況を理解していなさそうな様子だった。
「わしら領主は村々から集めた年貢を大公様に送り、大公様はその一部を奴隷と一緒に大嘉帝国にお送りになる。こうしてわしらの国は何十年も、大嘉帝国に人や物を貢ぎ続けとる」
領主は自分たちも含めて何とか話に実感が持てるよう、年貢というお互いにわかる言葉を使って説明を重ねる。
「その大嘉帝国を治めとるのが、大帝様。わしらの信じている雷神様よりも偉く、世界で最も天に近いところにいらっしゃるということになっておるお方だ」
そして村長は、ラーストチカたちがこれまでの人生で一度も存在を聞いたことがなかった、大帝という王なのか神なのかわからない存在について語った。
(雷神様より偉いのなら、それは世界で一番偉い神様のはずだよね。でもその大帝という方は、大嘉帝国という国の王様でもある……)
空想が好きなラーストチカは、どちらかと言うとわくわくした気持ちで、大帝という新しく知った存在について考えた。
雷神は作物を育てるのに必要な雨ももたらす神であり、農奴は皆日々の暮らしの中で雷神を祀っている。
しかしそれはラーストチカがいる村の中だけの話であり、広い世界はもっと別の何かがあるらしい。
「知りませんでした。この国よりもずっと強くて、ずっとすごい国があるんですね」
「はあ、もう、私には何が何やら」
ラーストチカは朗らかな声で相づちをうったが、母親はややこしい話を聞きたくなさそうにしていた。
少なくとも片方には話が通じたことに安心した様子で、村長は大嘉帝国の大帝についてさらに深く掘り下げる。
「本題はここからでな……。その誰よりも偉い大帝様は大変お食事が好きな方で、支配している土地の少女を生贄に求めてお食べになる。捧げられる生贄の少女が高貴な身分であればあるほど、大帝様は喜ばれる。だから何年かに一度、大公様は公族の姫君を大嘉帝国の帝都に送られとるんだ」
それはいよいよ本当に、おとぎ話のような話である。
(人を食べる化け物が、本当にこの世界にいるんだ)
ラーストチカは人を食べる王の話に、大きく反応した。ないと言われていたものを見つけたような、嬉しい驚きだった。
現実には陰惨で血なまぐさい惨劇であるはずのに、おとぎ話に憧れるラーストチカには生贄の風習がとても心惹かれる夢物語に聞こえる。
化け物に食べられる公族の姫君の話は遠い昔の伝承のようなのに、今この世界で本当に起きていることであるらしい。
領主はその現実にいる姫君がどのような人物であるかについて、ラーストチカに手短に教えた。
「帝国との取り決めで、来年は大公様の御子である四番目の公女イストーリヤ様が送られることになっておった。しかし大公様とその奥方はその公女様をたいそう可愛がっていらっしゃるから、死なせてしまいたくないとお考えになった」
ラーストチカは何も言わずに、領主と村長の話に耳を傾けた。
よく聞く物語では化け物の生贄に選ばれるのは継母に冷遇されている姫君であるのだが、どうやらその四番目の姫君は両親に愛されている幸せな娘であるようだった。
「だから大公様は国中に密偵を放って四番目の公女様にそっくりな少女を密かに探し出し、身代わりとして送ることにしたのだ」
村長は蜂蜜湯をゆっくりと飲み、娘を愛している大公がとった行動について話す。
大公が選んだのは公女にそっくりな身代わりを探すという、これまたおとぎ話のような選択だった。
それだけでも十分嘘のような話なのに、領主はさらに驚くような言葉を後に続けた。
「そのそっくりさんっていうのにラーストチカ、あんたが選ばれたんだ。わしは数回ほどイストーリヤ様の姿を見る機会があったが、確かに雰囲気は似とるぞ」
領主はさらりと、ラーストチカが公女の身代わりに選ばれたという事実を告げる。
あまりに突然の一言だったので、ラーストチカは思わずぽかんと口を開けて遅れて物を考えた。
(あたしが、お姫様にそっくりな身代わり)
ラーストチカは、自分の姿が公女に似ていると言われて嬉しい反面、会ったことも見たこともない人物についてのことなので、すぐにはその言葉が事実だと思うことはできなかった。
しかしラーストチカは、自分の銀髪と二重の青い瞳は農奴にしておくにはもったいないほどに美しいと思っていたし、顔立ちも華やかでそれなりに整っているはずだと常日頃考えていた。
またおとぎ話に出てくる存在のような特別な何かになりたいとずっと昔から願っていたし、心のどこかでは自分は最初から平凡ではないのだと信じ、納屋で一人なりきってもいた。
だからラーストチカは、自分が公女の身代わりになるという事実は即座に受け入れた。
「農奴のあたしが、本当にお姫様になれるんですか?」
ラーストチカがまず口にしたのは、自分が本当に公女のようになれるかという確認だった。
どこかずれたラーストチカの問いに、領主は若干困惑しながらも答えた。
「まあ身代わりとして死ぬ存在としてだがな。ちゃんと姫君らしく教育する時間も用意しとるし、一応そこらへんは考えてある」
「この国の公族は元々、そう格式が高いわけではないしな」
さらに村長が、身も蓋もないことを付け加える。
「生きては帰って来れない役割だから絶対に嫌なら無理強いはせんが、どうだろうか」
蜂蜜湯を飲み干し空にして、領主が尋ねた。
領主も村長も、人の命がかかっている状況にいるとは思えない呑気な口ぶりである。
その客人の態度に対してラーストチカの母親は、怒ったり悲しんだりするのではなく、ただ何が起きているのか理解できずに困っている様子を見せた。
「はあ、そうですか。この子がその身代わりとやらになる対価がわからないことには、母親としては何とも……」
母親はわからないなりに損得の勘定はしているらしく、何かしらの報酬を引き出そうとしていた。
その雑な駆け引きを打ち止め、ラーストチカは勢いよく立ち上がった。
「あたし、やります。引き受けます」
何も恐れずに、ラーストチカは客人二人の依頼を承諾した。
自分ではない何かになる怖さはなく、むしろ夢が現実になったような、喜びに満ちた気分だった。たとえ死ぬのだとしても、ずっとなりたかった存在になれるのなら構わなかった。
「おお、やってくれるか」
「異国では何があるかよくわからんが、いいんだな」
本人の意志によって話がまとまりそうなことにほっとした様子で、領主と村長はラーストチカの方を見た。
逆に母親は、訝しむような目を娘に向けていた。
だがラーストチカはまったく自分を疑うことなく、再度決意を口にした。
「はい、お姫様になります。なってみせます」
ラーストチカの声は、古びた丸太小屋の室内に明るく力強く響いた。
「では決まりだな。すぐに大公様に返事を送る。大公様が用意した迎えが来たらこの村を離れて、どこかの城で姫君になるための勉強だ」
領主はこれからラーストチカがどこへ行くのかについて、あっさりと語る。
(あたしが、お城に行けるんだ)
恍惚とした気分で、ラーストチカは示された将来のことを思い浮かべた。
農奴でしかないラーストチカは異国で死ぬ代わりに、姫君になる機会を手に入れた。
いつも心に思い描いていたおとぎ話を現実に生きることができる日は、思いもよらぬ形で突然やって来たのだった。
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