第4章 北の国の少女

4‐1.おとぎ話と少女

 ラーストチカが住んでいるのは、寒くてやたらに広い国だった。


 一年のほとんどは雪に閉ざされていて、太陽が姿を見せる夏は短い。山も谷もない凍てついた大地が遥か遠くまで続く地形はあまりにも広大で、その広さが行く手を阻んで住民を土地に縛りつける。


 農奴しか住んでいない何もない村と、凍った森しかない自分の故郷のことが、ラーストチカは嫌いだった。


 そんな荒涼とした虚無に支配された土地での日々の中でラーストチカがたった一つだけ好きなのは、誰もいない壊れかけの納屋で一人空っぽの樽に腰掛け、おとぎ話について考えている時間である。


「昔々、世界に精霊や妖精、魔法使いがたくさんいたころ……」


 幼いころに祖母から何度も聞いた物語を始める決まり文句を、ラーストチカはつぶやいた。そしてその言葉に続く、可哀想な姫君に人を喰う化け物、勇敢な騎士に知恵のある魔法使いたちがいる、ここではないどこかの世界を思い描く。


 そうするとラーストチカは、自分が凍えそうなほどに寒い納屋で一人かじかんだ手を温めているただの農奴の少女であることを忘れて、どこか救われて幸せになれる気がした。


 銀の髪と青い瞳を持ったラーストチカは、農奴にしては目鼻立ちがはっきりとした綺麗な顔をしていたので、一人きりでいればより、自分は塔の上に閉じ込められた姫君のように特別な存在なのだと錯覚できた。


 しかし想像していた物語が最も盛り上がったところで、ある少年の聞きなれた大声が納屋に響いた。


「また、ここで変な話の空想に浸ってたのか。あんまり長いこと馬鹿をやっていると、風邪をひくぞ」


 振り向く前からそこにいることがわかっているのは、幼なじみのスーシャである。


 ラーストチカの隣の家の息子であるスーシャはやせて背の高い赤毛の少年で、そばかすの多い顔は野暮ったさがあり垢抜けない。


 自分が着ているものと同じような、大きさの合わないつぎはぎだらけの古着を着たスーシャが納屋に来ると、ラーストチカはいつも現実に引き戻された気持ちになる。


「あたしは、馬鹿じゃないよ」


 樽から立ち上がり、ラーストチカはスーシャからなるべく目をそらして言い返した。


 するとスーシャは肩についた雪を払いながら、さらにラーストチカに説教を重ねた。


「十六歳にもなって未だにおとぎ話のことばかりを考えているのは、馬鹿だけだ。このままこの大雪が降り積もれば、ここの納屋も潰れるかもしれないのに」


 スーシャは呆れた顔をして、ラーストチカの側に近寄る。その態度は常に、無性にラーストチカを苛立たせた。


(毎回毎回、スーシャはうるさいな。他人の人生に勝手に口を出して)


 スーシャはまともで真面目な男子として、夢見がちで愚かな幼なじみの少女であるラーストチカをいつも心配して、何かと世話を焼いてくれていた。


 その想いの本質が好意であること、ラーストチカは知っている。


 だがラーストチカはスーシャのそうした上から物を言う姿勢が気に入らなかったので、向けられた言葉を素直に受け取ろうとは思わなかった。


「スーシャはいつも、つまらないことばかりを言う」

「つまらないことこそが俺たちを生かすんだから、仕方がないだろ」


 ラーストチカは不機嫌な気持ちを隠さず、文句をつけた。

 しかしスーシャは聞く耳は持たず、手にしていた見た目がどうしようもなください毛糸の帽子と肩掛けをラーストチカに被せて、納屋の外に連れ出した。


 お互いの家まで続く帰り道では雪が音もなく降っていて、氷の塊に覆われた木々の間からは白以外の色はどこにも見えない。

 鼻の奥が痛むくらいに、ただひたすらに寒かった。


 ラーストチカとスーシャは、暗い曇天の下に果てしなく広がる凍土の端を生き、重い雪を踏みしめ歩いている。


 その目に映る虚ろな冷えた空と大地に、ラーストチカは永遠に閉じ込められているような気さえしていた。

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