3‐9.鎖と馬車

 その可愛らしい容姿ゆえに惨殺されずに済んだシャーディヤの、牢獄での生活はそれなりには恵まれたものだった。


 食事は毎日十分な量が与えられたし、毎日ではないにしろ風呂に入る機会もあり、衣服も定期的に清潔なものに着替えることができた。

 寝台も王宮の物に比べれば質は落ちるが、十分によく寝れるものだった。


 牢獄には破壊を免れた弦楽器ウードを持ち込むこともできたので、冷たく重い鎖に繋がれた足の鎖と鉄格子さえなければ本当に悪くはない生活だっただろう。


 やがて捕虜としての生活にもすっかり慣れたころに、シャーディヤの牢獄に一人の青年がやって来た。


「処刑された王の妃の、女奴隷のシャーディヤっていうのは君のことかな」


 妙に嘘くさい微笑みに猫なで声を添えて、その青年はシャーディヤが入れられている檻の前に立っていた。


 年齢はおそらく、シャーディヤよりも十は上だろう。


 青年が着ているのは他の帝国の兵士と同じ、襟の立った丈の長い衣である。

 しかし褐色の肌に彫りの深い顔立ちで髪が濃い金色なのは、どちらかというと砂漠の住民に近い風貌で、青年は帝国の周縁出身の人材の一人であるようだった。


「私がシャーディヤですが、何か御用でしょうか」


 かつての王の妃だった奴隷として、シャーディヤは立ち上がって答えた。


 青年はシャーディヤの、金色のまつげに縁取られた琥珀色の瞳や、白い肩をじろじろと見て頷いた。


「うん。噂通りの可愛い娘だね」


 そして青年は鍵の束を懐から出し、シャーディヤの牢獄の錠を開けながら、来訪の理由を述べる。


「僕は大嘉帝国の搬贄官はんしかんとして、君を帝都カンバリクにいる大帝シカンダルに捧げるために、迎えに来たんだ」


 青年はすらすらと、シャーディヤにも通じる言語を使って話す。


「搬贄官、とは?」


 シャーディヤが唯一聞いたことがなかった単語に首をかしげると、青年は軽い調子で説明を加えた。


「平たく言うとまあ、いろんな土地から生贄になる少女を選んで運ぶ役職かな」


 その説明があまりにも簡単すぎたので、シャーディヤはきっと青年は帝国に雇われた奴隷商人のような立場の人物なのだろうと、雰囲気や立ち振る舞いから推測した。


 金属がこすれる音がして、青年の手によって鉄格子が開け放たれる。

 そして青年はさらにより陰惨な、シャーディヤに訪れるこの先の運命の前提について語った。


「僕たちの国の君主である大帝シカンダルは、万物を統べる神なんだ。至上の神である大帝シカンダルの前では、人間も他の生き物と同じように食材になる。だから国の繁栄を祝うために、征服した土地の少女の肉を大帝が喰らう宴が、帝都カンバリクの皇城で時折開かれる」


 青年は本気で信じているのか単なる建前なのか、他国の人間からはわからない取り繕った表情をして、自国の信仰と風習について話す。


 シャーディヤは開かれた鉄格子を前にして、外にいる青年の端整な微笑みを見つめた。


 大嘉帝国は異教徒の国であるので、ベルカ朝やその周辺の国の信仰とはまったく違う宗教があることは、シャーディヤもわかってはいた。

 だから神である王が人の肉を食べて国の繁栄を祝うという風習をすぐには呑み込むことができなくても、自分がこれからどのような扱いを受けるのかは、奴隷としての本能で理解して話の続きを聞く。


大帝シカンダルに捧げられた供物でもあり、娶られた花嫁でもある少女のことを、僕たちは犠妃ぎひって呼んで大切に扱っている」


 青年は牢獄の中に入ってシャーディヤに無頓着に近づき、鉄格子のものとは別の鍵で足の枷を外した。

 シャーディヤは、重くて疲れる足の枷を外してもらえたことには、素直に感謝した。


 だが細くて長い青年の指は、死んだイスハークのものとは違って、シャーディヤを金貨や宝飾皿と同じただの物として扱っていた。


「君はその神聖な役目である犠妃に、めでたく選ばれたんだ」


 青年は嘘つきの冷たい恋人のように、シャーディヤの耳にそっと髪をかけて囁く。


 シャーディヤは侵略者によって国と愛する主人を奪われた上に、生贄として異教徒の神にその身体を捧げて喰われることを強いられていた。


 神聖だとか花嫁だとか説明されても、それは普通に考えれば惨たらしく殺される存在でしかなく、すき好んでなりたいものではない。

 しかしシャーディヤは奴隷として、かつての主人に王の妃になることを命じられたときと同じように、従順に必要最低限の言葉で与えられた役割を受け入れた。


「光栄なお役目、誠にありがとうございます。搬贄官殿」


 シャーディヤの澄んだ声が、朗々と高く響く。

 あっさりと承諾したシャーディヤを、青年は興味深そうに間近で見つめた。


「君もなかなか、話が早い女の子みたいだね。僕と来てくれるのかな、帝都カンバリクに」

「はい。私はつつしんで、あなた方の望みに従います」


 シャーディヤは昔に習った作法通りに、青年の足下に跪く。


 顔を伏せ、牢獄の石の床を見ながら、シャーディヤは幼いころに母親に売られたときのことを思い出していた。


 母親は、シャーディヤは可愛らしいから皆に大切にされるだろうと言って、可愛さを与えてくれた神様に感謝しなければならないと最後まで諭した。


 犠妃とやらにシャーディヤを選んだ理由を青年は明言しなかったが、きっと自分は可愛さゆえに選ばれたのだろうと推し測る。


 もしもシャーディヤが可愛らしい少女ではなかったのなら、もっと酷いところに売られて、悪人の主人の下で生き、侵略者からも価値のないものとして乱暴に扱われていたのだろう。

 だからシャーディヤは、今日もまた与えられた運命に従えば幸せになれるはずで、幸せにしてくれる神様には感謝しなければならないと思った。


 女奴隷として人を楽しませる方法を教えられて育ち、妃として王宮に送られた後に、今度は異教徒によって生贄に選ばれる。

 少しずつ違う同じことを繰り返し、シャーディヤの人生は着実に終わりに向かっていた。



 青年は牢獄から外の天幕へとシャーディヤを連れ出すと、尊い供物であるらしい犠妃にふさわしい装いになるように着替えと装飾品を与えて、手ずから化粧を施した。


 淡い浅緑の長衣エンターリを桃色の飾りが鮮やかな腰紐でまとめて着て、金箔で花が描かれた薄絹を被って薄く化粧をしたシャーディヤの姿は、王の妃であったころと同じように可愛らしかった。


 本人が得意だと自負していた通り、青年の見立ては的確で、化粧の腕も確かだった。

 あまりにもよく女性の服飾について知っているので、やはり彼はまともな男ではないのだとシャーディヤは思った。


 そして青年は着飾らせたシャーディヤを立派な赤い馬車に乗せると、自分も別の馬車に乗り込んだ。


 それらの馬車は大嘉帝国の都へ略奪した物や人を送る一団の一部で、戦争のために整えられた補給路を通って遥か遠い本拠地を目指していた。


 旅支度の機会もなく、帝都カンバリクという土地への旅は始まる。


 シャーディヤは生まれ故郷から売られたことを除けば一度も旅をしたことがなかったので、地平線の彼方まで続く黄土を続く道を見て一人、しみじみと思いにふけった。

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