第3章 西の国の少女

3‐1.古い記憶

「お前は誰よりも可愛いから、きっと素敵な人に買ってもらえるはずだよ」


 幼い我が子を奴隷商人に売り渡すその日、シャーディヤの母親は娘の手を握りしめてそう言った。


 家の前には商人の荷馬車が止まっていて、残された時間はもう少ない。


「だから、神様に感謝しなさい。お前のその可愛らしさは、神様の祝福なんだから」


 シャーディヤと同じ金色の髪と琥珀色の目をした母親は、静かに微笑みシャーディヤの小さな額にキスをする。

 そのかすかな温もりとくすぐったさに、シャーディヤは笑みをこぼす。


「うん。おかあさんの言うとおりにする」


 子供ながらに自分が容姿に恵まれていることを知っているシャーディヤは、母親の最後の言いつけに素直に頷いた。

 我が子を売るという母の選択が持つ重みはわからなかったが、母親の言う通りにすればきっと自分は幸せになれるのだと信じて疑っていなかった。


「母はお前を忘れない。でもお前は母のことを忘れてもいいからね。忘れてしまった方が、この先辛くはないのなら」


 そして母親は握りしめた手を離し、シャーディヤの頭に、乾いた砂漠の空気から肌を守るフードを被せる。


 それがシャーディヤの、もっとも古い記憶だった。


 貧しい都市の最下層民の家に生まれたシャーディヤは、こうして母親の手によって奴隷商人に売られた。父親や、何人かはいたような気がする姉妹のことは、覚えていない。


 はっきりとシャーディヤの心に刻まれているのは、神様に感謝しろという母親の言いつけだけだった。

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