2‐10.鏡に映るもの

 目的もなく過ごす饗花宮での日々は溶けて消えるように流れて、やがてハルティナは最後の日を迎えた。


「殿下。腰巻は黄色と緑色、どちらの色にいたしましょうか」

「そうだな。では、緑色のものを頼む」


 ハルティナは衣装室の大机の上に置かれた衣裳や装飾品を前にして、異国の女官たちに指示を出す。

 机の上にはハルティナが故国から持ってきた更紗もあれば、帝国が用意した帯や髪飾りもあった。


(別に私は、最後に着るのがどんな服でも構わないが)


 汗衫のみを身に着け腕を広げて立ち、ハルティナは女官たちの手を借りて衣裳を纏う。


 ハルティナが選んだ衣裳は、煌やかな衣や帯を幾重にも重ねた、故国由来の絢爛豪華なものだった。


 金箔の張られた裾の長い蘇芳色の裳の上に、銀糸で椰子の葉の文様が織り込まれた腰巻を着て、様々な色のビーズが刺繍された紫の胸巻を上から下に肩を出して巻く。

 巻いて余った胸巻の残りは金の腰飾りや端に珠をつけた腰帯でまとめて、後ろに垂らした。


 化粧は青墨で眼を縁取って大きく強調して、眉を濃く弓なりに黒で描き、くちびるは紅でふっくらと塗る。

 最後に黒髪を結った頭には金の簪が生花と一緒に何本か挿し込まれ、色鮮やかな宝石がはめ込まれた首輪や耳飾りが褐色の素肌を飾った。


 こうして身支度が終わると、責任者であるらしい女官の一人が、ハルティナに脚付きの大きな鏡を見せて話しかけた。


「直すところはどこも、ございませんか」


 体にぴったりと巻かれたハルティナの国の衣装は、帝国で働いている女官たちにとっては慣れないものであるはずだった。


「ああ。特に問題はない」


 透かし彫りの木枠に収まったその大きな鏡の中にいる自分を、ハルティナは一瞬だけ見て頷く。


 鏡に映る自身の姿は見知らぬ誰かのように美しく艶やかで、ハルティナは今ここに立っているのが自分だとは思えない。


(私は最初から、中途半端な存在だった。この使い道がわからなかった命を活かすことができるのだから、きっと私はディティロの選択に感謝してみてもよいはずなんだ)


 ハルティナは鏡の中自分から目をそらし、別れ際に何かを言おうとしていたディティロの顔を思い出す。


 ずるくて冷酷な決断を簡単に下したわりに、最後は心苦しげな眼差しをしていたディティロのことが、ハルティナは嫌いだった。

 しかしそれ以上にハルティナは、生きてはいても何者にもなれず、人を羨むことしかできなかった自分のことを嫌悪していた。


 だからハルティナは従兄弟の薄情さと、異郷の陰惨な因習のことはなるべく忘れて、きっと立派に国のために死ぬことができる機会を得たのだと、自分に強く言い聞かせる。


 ディティロが治める故国は遠く、ハルティナはただ一人で全てが終わるそのときを待っていた。

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