2‐9.香油と宝石
ハルティナが供物として捧げられるまでの七日間。
神聖な花嫁とはいっても結局犠妃は生贄であるので、形式上は夫になるはずの大帝と会う機会も、どうやら文字通り死ぬまでないようだった。
だからハルティナは世界の半分を支配する支配者に娶られた妃として、帝国の各地から集められた富によって出来た美しいものに囲まれて、ただ暇を持て余して過ごした。
饗花宮はどの部屋も壮麗な装飾が隅々まで施されていて、特に浴殿は楽園のように華やかだった。
ハルティナは毎朝、浴殿の前室で女官たちに丁重に服を脱がされる。
そして繊細な彫刻の施された円柱のついた戸口の向こうへと送り出されれば、ハルティナの目の前には人間一人を洗うにはあまりにも広すぎる浴室があった。
花弁のような形をした金製の水盤からこんこんとわき出る湯は階段状の台座を流れ、真っ白な大理石の浴槽に注がれる。
床は濡れても滑らないように小さな石の粒が敷き詰められ、壁と天井は無数の薄紫色の石片が模様を形作るように張られている。
それらの欠片のつなぎ目に網のように差し込まれた薄い金板が、採光窓から注ぐ太陽の光によって光り輝く様子は、まるで夕暮れの空に金の籠を被せたかのように眩かった。
ハルティナはその浴室に置かれたほどよく温められた石の上に横たわり、女官たちの手によって大柄なわりに膨らみの少ない身体を洗われた。
女官たちが使うのは宝石のついた水盆に入った甘い匂いのする薬湯で、ハルティナはその濃い香りの中でまどろんだ。
(こうなるともうすでに、私は料理されているみたいだな)
女官たちが手にする柔らかな布で身体を洗われた後に、ぬるめに焚かれた浴槽のお湯に浸かりながら、ハルティナは感慨に浸る。
縁は金箔を使って仕上げ、正確な円形に作られた浴槽は、ハルティナが脚を伸ばし両手を広げてもまだ大きさに余裕があった。
毎日浴室で手入れをしてもらってるおかげで、ハルティナの褐色の肌は帝都に着いた当日よりもなめらかさを増している。
故郷のチャンティク王国は常に暑い国であったので、水浴びは頻繁にしても、湯に浸かって汗を流す習慣はなかった。
だからよい匂いの薬湯を使って身体を磨かれ、温かいお湯に沈められると、食材として下拵えをされている過程にいるような気がした。
「この浴室のために随分、水と燃料を使っているようだな」
煌びやかな浴室の裏にある収奪について考えつつ、ハルティナは綺麗に透き通ったお湯を手で掬う。
おびただしい数の薪と大規模な水路があってこその湯であることは、見ればわかった。
「はい。大帝の花嫁となるお方をおもてなしするために必要なものですから、お湯もたくさんご用意しております」
側にいた女官の一人は、中身が空になった水盆を持って頷いた。
女官の声は穏やかで、疑念を感じさせる響きはなかった。
それからじっくりと汗を流して温まった後に、ハルティナは入浴を終える。
湯上がりには体を拭かれた後に、これまた広々とした休憩室に通された。ハルティナはそこで女官たちに香油を塗ってもらったり、薄衣を羽織って卓上に用意されている冷えた甘酒を飲んで果物を食べたりした。
床も空気も暖かだった浴室とは違って、冷たい氷水の入った大きな水盤が置かれた休憩室はさらりと涼しく、温度差が心地良い開放感を生む造りになっている。
それから長椅子に座り髪を梳いて乾かしてもらった後は、様々な絵柄が織り込まれた錦の衣や、色も形も様々な宝石が嵌め込まれた装飾品が並べられた衣装室に移動し、女官たちに服を選んで着せてもらう。
それらはハルティナの故国のものと負けず劣らず優れていて、どれも普通の娘ならうっとりしてしまうような、見る者を魅了する出来栄えの品々だった。
しかし曇って晴れないハルティナの心は、翡翠や瑪瑙の輝きでは高揚することはなかった。
(私は女に生まれたが、着飾って綺麗になることが楽しいと思ったことは一度もない)
ハルティナは饗花宮で貴人の女性として最高の待遇を受け、世界中から集められた数えきれないほどの美しい宝石を与えらえていた。
だが王冠が欲しかったハルティナにとっては、蓮柄が色鮮やかな紅色の錦も、蝶や花を象った翡翠と金の首飾りも、望んで得たいものではなかった。
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