2‐7.帝国への旅立ち

 ハルティナは自分の屋敷で身支度を終えると、衛兵たちを従えて帝国からの迎えの船が待つ港へ輿で向かった。


 王宮からほど近い場所にある港は、いつもはにぎやかに商人が舟から積荷を下ろしているのだが、今日は出入りを禁じられているため静かだった。


 港の白い砂浜には曲刀を腰に携えた王国の兵士が整然と並び、木造の桟橋を渡ったところには渡し船が浮かべられている。

 白い帆を上げた帝国の船は大きすぎて港には入れないので、離れたところに停泊していた。


(まるで嫁入りではなくて、戦争のようだな)


 厳しい日射の下で兵士たちの沈黙を前にした一瞬、ハルティナは自分が花嫁としてやって来たことがわからなくなった。


 だが兵士が集まった雰囲気が戦に似ていたとしても、ハルティナが着ているのは白く柔らかい絹の衣であり、履いているのは歩きづらい金の靴である。

 結った黒髪に載せられた赤い宝石で彩られた冠も、透き通った布を巻いて留める金の腰飾りも、戦支度とは違う美しく優雅な装いで、本来は女性らしさに欠けたハルティナの姿を天女のように魅せていた。


(私はおそらく、もう剣を携えることはないのだろう)


 片方の肩に掛けた更紗の布を揺らして、ハルティナは桟橋の方へと歩く。


 剣を佩かずに着飾るのは落ち着かなかったが、これから異国に嫁ぐ者として、武器を持たないことには慣れなければならなかった。


 生花を置いて飾られた砂浜には兵士たちの他に、王女を異国へ送るのに必要な格式を与える重臣たちも並んでいた。

 そして桟橋のすぐ手前には、ハルティナほどではなくとも国王らしく着飾ったディティロと、まったく見知らぬ青年が二人で立って待っていた。


「ハルティナ」


 ディティロは沈痛な響きで、自分が脆い平和と引き換えに死なせることになる従姉妹の名前を呼んだ。

 ハルティナはその声に答えることなく、ディティロの隣で微笑んでいる青年に視線を向ける。


 その青年は鷹の刺繍が施された、仕立てが良さそうな見慣れない形の立襟の服を着ていた。

 肌は褐色で、甘く整った顔の造り自体は王国に住む人間とそれほど大きな違いはないのだが、後ろで束ねた髪が金色に輝いているのが美しく奇異で目を引いた。


 ハルティナが隣の男をじっと見たので、ディティロは軽くその青年の立場を話した。


「彼は帝国の都まで、ハルティナを案内する方だ。船旅の間、いろいろと面倒を見てくれることになる」


 簡単にディティロが紹介を終えると、青年はうやうやしくハルティナにお辞儀した。


「この度は犠妃ぎひとしてその身を捧げていただき、誠にありがとうございます。王女殿下」


 異郷の青年は爽やかに挨拶をして、見目麗しい笑顔を見せた。年齢はハルティナよりも上に見えたが、声からはある程度の若さと軽薄さに感じられた。


 「犠妃」という言葉はこれまで耳にしたことがなかったが、おそらく生贄となる女子のことを帝国ではそう呼ぶのだろうと推測する。


(帝国はもっと、地味な顔の人間が暮らす国だと思っていたが)


 ハルティナは青年の金色に輝く髪と、美貌に恵まれた顔立ちを、じろじろと眺めて挨拶を返した。


「ああ。よろしく。少し変わった風貌をしているようだが、帝国の大帝にはお前のような人間も仕えているんだな」

「はい。僕は搬贄官はんしかんという、大帝に犠妃として嫁ぐ方をお迎えに上がる役職に就いています」


 また一つ聞きなれない言葉を使って、青年はハルティナの問いかけに答えた。


 そして青年は、ハルティナが進む桟橋の先にある小舟を、手で指し示して招く。


「渡し船をご用意いたしましたので、どうぞこちらに」


 青年は親切な顔をしていたが、見慣れぬ色をした瞳には冷たいものが宿っていた。

 その取り繕われていても伺える酷薄さを感じ取ったとき、ハルティナはやはり自分は間違いなく異国で無残に殺されるのだと悟る。


 青年が誘う方向には、帝国の巨大な帆船もあった。ハルティナはその船に乗って、見知らぬ夫となる神が待つ国へと行くのだ。


 ハルティナが歩き出そうとすると、後ろから再度ディティロが名前を呼んだ。


「ハルティナ」


 それは遠ざかっていたら聞き取れなかったであろう、ささやき声に近いかすかな声だった。


 振り返ると、ディティロは何かを堪えた顔でハルティナを見つめていた。

 海岸に並んだ兵士や重臣たちからは確認できないだろう冠の下のその表情は、ひどく傷付いていて脆かった。


(ディティロが決めたことなのだから、傷付かれても私は困る)


 最後に見せた国王である従兄弟の情に、ハルティナはほだされずに逆に苛立ち、拳を握りしめて顔をしかめた。


 名前の呼び掛けに続くのは、おそらく謝罪なのだと思われた。

 ハルティナはディティロに贖罪の機会を与えたくなくて、謝罪を聞き届けることなく冷たい表情で別れを告げる。


「じゃあ、また」


 もう二度と会うことはないと知ってはいても、口をついて出たのは再会を期する言葉だった。


 そしてハルティナはディティロに背を向けて、異郷の青年と共に桟橋を進んだ。


(私はディティロに、幸せになってほしくはない)


 明るくまぶしすぎる青空の下で、華やかな装束を着て歩きながら、ハルティナはディティロに暗い感情を寄せる。


 ディティロはハルティナよりも弱々しく華奢で、臆病であることを隠さず、他人の顔色を伺うことに長けていた。


 王にはなれなかったハルティナは、王になったディティロが妬ましかった。男にさえ生まれていれば、自分の方が王にふさわしい人物だったはずだと、ハルティナは思っていた。

 そのうえ本当なら王ではなかったはずのディティロが自分に命令をして、一方的に犠牲を強いてきたのも許す気持ちにはなれなかった。


 だからハルティナは、どうせ死ぬのならディティロの人生により濃い影を落としたいと思っていた。


 ディティロが本当のところは善良な人間であることは知っているし、彼は彼で王として重荷を背負っていることは理解していた。

 だがそれでもハルティナはディティロをずるいと思っており、また卑怯だとも感じていたので、彼の不幸を強く願った。


 王族のくせに死を恐れていると思われたくはないから、死ねと命じられればハルティナは潔く死を受け入れいるふりをする。

 しかし本当に清く美しい想いを残して死ねるほど、ハルティナは心の広い人間ではなかった。

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