2‐3.夏至の日の祭

 建物に塗られた青の染料よりも青い空の夏至の日に、聖都では豊穣を願う祭りが盛大に執り行われた。


 蒼銀の屋根が太陽の光を反射して輝く神殿の周辺では、鮮やかな黄色の腰巻を着た少女たちが菓子を配って色粉を撒く。


 赤いアソカや白いジュプンの生花で飾られた大通りは、王国の各地から集まった楽士や旅芸人が練り歩き、祭りを見物する庶民の目を楽しませた。


 一方で正式な儀式が行われる神殿の中は暑くにぎやかな外の様子とはうって変わって厳粛で、神々の物語を彫った壁画に囲まれた伽藍はひんやりとした空気に満ちていた。


 壁に沿って丸く配置された木製の席には、聖都の周辺に住む豪族や高位の僧が坐っている。

 そして中央の碧玉がはめ込まれた祭壇では、ハルティナを客殿で迎えた神官の老人が祈祷文を読み上げていた。


 無数の金色のビーズで飾った儀礼用の衣裳を纏ったハルティナは、王族として前方の席に座ってその老人の声を聞く。


 ――人の王に石を以って打たれ、弑し奉られた女神に畏こみ畏こみも白す。神荒びて君、天地に宿る。其の肉には薯が生り、我らに恵みを齎さん。


 神官の老人は、昨日よりも立派な真っ白な僧衣を着ていた。

 老人の声はよく響いてはいるものの聞き取りにくく、祈祷文自体の言葉も古めかしいうえに長くて繰り返しが多い。


 そのため儀式が大事なものであるとわかってはいても、ハルティナは真面目な顔をしてあくびを噛み殺さなければならなかった。


(またこの老人の間延びした話し方が、眠気を誘ってくるから困る)


 低く単調な音程を保つゆったりとした老人の声は、空気を細かく振動させるように伽藍に広がっていく。


 神官である老人や周囲に座る高位の僧は、神に祈ることが重要な仕事の一つであるので、一応は神妙な雰囲気を作っていた。

 だがハルティナの見る限り、他の豪族たちは居眠りしている者も毎年少なくはないようだった。


 ――景風吹きて、夏に至る。涼風吹きて、秋が立つ。雨は其の血、川は其の髪。君再び、此の地に生まれ出ずる。


 白髭の老人はさらに祭壇の上の聖水の入った盆に供え物の生花を入れながら、祭壇の上の碑石に刻まれた祈祷文を読み上げる。


 語られている内容そのものは、背後にある神殿の壁画にも描かれている有名な神話であるはずだった。


 流血を好む人間の王マレクに殺された少女エレウニアの魂を慰めるため、この地の民はその骸を土に埋めた。

 すると少女の身体から様々な種類のいもが生まれ、民が生きるための糧となったという。


 この物語はチャンティク王国で広く親しまれているもので、殺された少女エレウニアは豊穣を司る女神として農耕に携わる者の信仰を集めている。


 だから王国の農村では、生贄の動物を殺して肉の半分を食べ、もう半分の肉を畑に埋めるいう儀式が行われることもあった。


 ――雨は其の血、川は其の髪。神荒びて君、天地に宿る。其の肉には薯が生り、我らに恵みを齎さん。君再び、此の地に生まれ出ずる。


 同じ言葉を幾度も繰り返し、女神を祀る夏至の日の祭は進む。


 やがて本当にハルティナが寝入ってしまいそうになった頃に、神官の老人の祈祷はやっと終わった。


 うやうやしく礼をして、老人が祭壇を去る。


 伽藍は静寂に包まれ、しばらくすると今度は、女神となった少女と少女を殺した王の仮装をした巫女の二人が祭壇に現れた。


 深い海のような色合いの青と黒の衣裳を重ねて身に着けているのが女神役の巫女で、火のように明るい緋と白の衣裳を着ているのが王役の巫女である。


(やっと巫女の舞踊の時間になったか。これは綺麗で見応えがあるから、まあ悪くはない)


 ハルティナは肩の力を抜いて、祭壇上の巫女を眺めた。

 くちびるに紅を塗り、大きな目を青墨で化粧した二人の顔は双子のように似ていたが、醸しだす雰囲気はそれぞれ違っていた。


 金銀の冠を被った二人の巫女は、対になるような姿勢になって立ち、ゆっくりと指先を動かした。


 そして巫女の動きに合わせて、祭壇の後ろで舞踊が始まるのを待っていた楽団が音を奏で始める。

 赤い布を頭に巻いた楽団の男性たちが使っているのは、大きな銅鑼に、胡弓や太鼓、縦笛に二組の青銅打楽器など、金色の龍の装飾が美しい伝統の楽器だ。


 素早く打たれる青銅の鍵盤からは、星の瞬きのように細かな高音が鳴る。太鼓は一定の拍を正確に打ち、縦笛からは甘い音が流れた。

 二対の打楽器は調律が意図的にずらされており、同時に叩けば音の重なりがうねりを作った。


 それらが調和した、煌めくような音楽に合わせて、巫女は艶やかな衣裳から小麦色の肩と背中を見せて舞う。

 頬を左右に軽く合わせて近づけたり、手を伸ばして離れたりしながら二人、時折視線を交わして祭壇を廻る。


 首や腰を優雅に揺らし、長い帯を持って手を広げる巫女の舞踊は、神を殺す様子を演じているとは思えないほどに綺麗だった。


 女らしさに欠けたハルティナにとっては特に、美しく舞う巫女はまぶしく見える。


(私は彼女たちと同じ、女に生まれた。だけど私は彼女たちのように美しさのためだけには生きられないし、迷いなく神々に舞を捧げることもできない)


 青い煉瓦敷きの伽藍の床を裸足で舞う巫女の少女の姿を見ながら、ハルティナはひたすらに美を磨くことが使命である彼女たちとは違う、自分の出自について考えた。


 そしてハルティナは、あまり思い出したくはない存在である、母親のことを思い出す。


 父と同じ年に亡くなったハルティナの母は王家に次ぐ格式のある家門の出身で、王に嫁いで世継ぎを産むために育てられた自尊心の高い女性だった。


 だから王に嫁いだ時も、自分は絶対に男子を生み、王の母になるのだと意気込み周囲に吹聴していた。最初に子が宿ったときもまた、腹の中にいるのは絶対に男児なのだと、断言して聞かなかった。


 しかし結局、生まれたのは女子であるハルティナだった。


 焦った母は男児を産むために何度も王の寝所にむりやり入り、怪しげな呪術師のまじないに頼った。だがどんなに王と床を共にしても、彼女が再び子を宿すことはなかった。


 いつも忌々しそうな顔をして横を向いていた母親の顔を、ハルティナは思い出してため息をつく。


(父上は、私を可愛がってくれていたとは思う。でも母上は、私の方を見てくれさえしなかった)


 女子として生まれてきたたった一人の子供に、ハルティナの母は冷たかった。母親に抱いてもらったり、笑顔で話を聞いてもらった覚えは、どんなに幼いときを含めても一切なかった。


 母は自分が世継ぎの王子を生むのだと、そして王の母になるのだと、信じて疑っていなかった。

 だから懐妊して生まれた子供がハルティナであったときは、その赤子を投げ捨てかねない勢いで落胆したのだと、ハルティナは十一歳のときに母親本人から聞いた。


 ハルティナはそのときにやっと、自分は王にも戦士にもなれないのだと理解した。


(それまではずっと、自分は王になるんだと思っていた。女子は王にはなれないとわかるまでは)


 男勝りで武術が得意な子供だったハルティナに、母以外の大人は皆、ハルティナが男だったら立派な王になっただろうと言った。


 幼いハルティナは「男だったら」という言葉の意味を理解せず、自分が王になれば母は悲しい顔をしないですむはずだと、玉座につくことを夢見ていた。


 そのころの自分は自分で思い出して嫌になるくらいに哀れで素直な子供だったと、ハルティナは思う。


(だが何も知らない分、今よりも幸せではあったはずだ)


 ふと現実に戻って顔を上げれば、巫女の舞は王が女神を殺すところまで進んでいた。


 青い衣裳を着た女神役が身体をしなやかに倒し、赤い衣裳の王役が相手の身体を支えながら勇壮な姿勢をとる。それは王が石で少女を撃ち殺した場面を意味する舞いだった。


 それがこの儀式の一番の盛り上がりであり、周りの出席者も寝ているものはおらず、皆熱心に巫女の舞踊を見ていた。


(少女エレウニアは殺されて、女神になった。では漫然と生きている私は一体、何になれるのだろうか)


 ハルティナも周囲の人々と同様に、階段状の席の上から巫女の舞踊を眺めていた。


 ときどきハルティナは、素直な子供だったころの自分はどこかで死んでしまっているような気がしていた。

 幼い日の自分が死んでいるのなら、今ここで生きて巫女の舞を見ている自分は何者なのかとハルティナは思う。


 やがて二人の巫女は、衣裳の裾を揺らしながら去った。


 誰もいなくなった祭壇の背後では楽団が名残を惜しむように、途切れてしまいそうなほどに静かな音楽を演奏していた。

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