第2章 南の国の少女
2‐1.剣と王女
熱く湿った空気の中で鬱蒼と茂る、バカウの森の河口の水面を、舳先に赤い旗を掲げた舟が何艘も進む。
それはこのチャンティク王国の王女であるハルティナを、年に一度の夏至の日の祭が行われる聖都へと運ぶ船団だ。
今年で十八歳になったハルティナは、大勢の衛兵や水夫を従えて艇主側の座席に座る。
緻密な文様の藍色の更紗を着たハルティナは、海の国に生まれた者らしく褐色の肌をした長身の少女で、黒髪を後ろで束ねた姿は可愛さよりも凛々しさが勝っていた。
(今年もまた、あの無駄に長い祈祷文を聞くことになるのか)
ハルティナは心の中でため息をつきながら、真上まで上った太陽をバカウの木々の葉越しに仰いだ。
聖都へ行き、豊穣を願う祭りに王族として出席するのが、ハルティナが明日果たすべき役割である。
しかし一方でハルティナは、長い時間をかけて厳粛に行われる祭りの儀式の、畏まった雰囲気があまり好きではなかった。
側に控える兵士に話しかけて儀式に出るのが億劫だと言うわけにもいかないので、ハルティナは黙って舟が水上を進む音を聞く。
(聖都の街自体は、王都とは違う華やかさがあって好きなんだが……)
遠くの晴天を見上げたまま、ハルティナは舟が向かう先の土地について考える。
ハルティナが生まれたチャンティク王国は大小いくつもの島があつまってできた海上の国であり、王が住む王都と女神を祀る聖都はそれぞれ別の島にあった。
こうしてハルティナが憂鬱な気分で船縁にほおづえをついていると、船団の前方の舟が突然、動きを止めた。
見れば、水中から短刀や剣で武装した男たちが這い出て舟に乗り込んできて、水夫や衛兵に切りかかっていた。
水夫の掛け声と櫂を漕ぐ音が途絶えて、刃と刃がぶつかりあう音が響き渡る。
どうやらハルティナの船団は、賊に襲われているようだった。
チャンティク王国の領土と領海は広大であるため、こうした賊のような、王権に従わない勢力も少なくはない。
「王女様、海賊の待ち伏せです」
年若い側近の兵士が、落ち着いた声でハルティナに敵の襲来を告げる。
敵の行動は計算されたもので、水中から現れた賊と連動する形で、森林の影からは姿の見えない射手が矢の攻撃を加えていた。
「そんなことは、見ればわかる」
凛としてやや低く、ハルティナの声が響く。
腰に佩いた銀製の長剣を鞘から引き抜き、ハルティナは立ち上がった。
ハルティナの乗る舟にも一人の頭に布を巻いた男が乗り込んできて、剣を頭上に振り上げた。
それはハルティナに、手傷を負わせようとする動きだった。
だがハルティナは男が剣を振り下ろすよりも早く懐に入ると、そのまま深々と袈裟切りにした。
肉と骨を断つ、確かな手ごたえが手に伝わる。
男は自分の死を理解しないまま、ハルティナを凝視しながら息絶えた。
その死体が邪魔にならないように、ハルティナは死んだ男の腹を、革のサンダルを履いた足で蹴って船から落とした。男の死体は、音を立てて水面に消えた。
そしてハルティナは返り血を厭うことなく、剣を構えて次の相手の攻撃を誘って斬り殺す。
堂々としていれば、不思議と矢が当たることはない。
周囲の護衛も、弓や剣の各々の武器で粛々と応戦していた。自分たちの仕える王女がただの賊に殺されることはないとわかっているからこそ、彼らは慌てずに職を果たす。
(この程度なら、多少の損害で制圧できるな)
過小でも過大でもない評価を冷静に下しつつ、ハルティナは武器を手に戦闘の未来を見通した。
(そう。女の私が対峙する機会があるのは、この程度の敵だけなのだ)
剣を振るうことができる機会が終わってしまうことを、ハルティナは心のどこかで残念に思う。
ハルティナは女性らしく神に祈るための歌や言葉を覚えるよりも、剣や弓を学ぶ方が好きだった。武器を手にして戦うと、これが自分の望んでいることなのだと思えた。
だが同時にハルティナは、男に生まれなければ願いを追い求められない現実を、はっきりと正確に悟ってもいた。
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