1‐7.歳月を重ねて

 ヨンウォルが死んでしまった冬から九年後。


 巡る季節をくり返して、ギュリは八歳の子供から十七歳の少女になった。


 庭の緑が次第に色を取り戻していく春の日の昼過ぎに、ギュリは井戸で布を草木で染めるのに必要な水をくんでいた。


 容貌に恵まれなかった父親ではなく、美人と評判だった亡き母親に似て成長したギュリの面長の顔は、それなりには美しく水面に映る。

 三つ編みに編んだ先を赤い布で飾った黒髪は豊かにつやがあり、一重のまぶたの瞳は切れ長でまつ毛は長い。麻布の服を着た姿は細く長身で、衿に包まれた首は透き通るように白く長かった。


(これだけ汲めば、足りるかな)


 歳月がたっても井戸の水の冷たさは変わらず、つるべから落ちる水滴は清らかに陽に照らされて輝く。

 その水で取っ手付きの甕を満たし、ギュリは屋敷に戻った。


 屋敷には、最近は役人の登用試験のために学問をしている兄が一人残っていた。父や弟妹などの他の家族は皆、農事や雑用のために外に出ている。


「梅で布を染めるのか。お前の腕でも、高く売れるものなのか?」


 台所の鉄釜で煮込まれている梅の樹皮とその煮汁の色を、父親似の顔の兄が覗き込む。


「まあ、それなりにはね」


 ギュリは適当に返事をして、煎液を布で濾して樹皮をまた新しく煮出した。草木染めは特別得意というわけではないが、他の住民にすすめられたのでやってみている。


「俺も染物を覚えてみようか。役人を目指すのにも金がかかる」


 そう言ってあくびをすると、兄は台所の隅に置かれた木箱の上に座った。おそらく机に向かうのに飽きたのだろう。


 ギュリは何も言わずに、豆汁で下染めをした綿布を先ほど濾した煎液につけた。


 ギュリは幼い頃よりも無口になり、余計なことは話さないようになった。

 言葉にしたところでどうしようもないことを、言葉にする労力を払いたくはなかったのだ。


 またギュリは領主の娘として、支配者である大嘉帝国の言葉と文字を覚え、多少の算学も理解するようになったのだが、その知識を必要以上に活かそうとも思わなかった。

 労力をかけて何かを生みだせば、生み出した分だけ帝国に奪われるのだから、努力をする意味が感じられなかったのだ。


 だからギュリはさらに磨けば自分が美しくなることを知ってはいても、その努力はしなかった。

 努力をしてもっと美人になったところで、せいぜい帝国の高官や貴族に献上されて妾になる未来を迎えるくらいだと思っていた。


(別に妾になるのが死ぬほど嫌ってわけじゃないけど、わざわざ目指すほど幸せな立場でもないだろうし)


 ギュリは何かになりたいとも思わず、どこかに行きたいとも思わず、どんな夢を見ることもなく生きていた。


 鍋で煮出した煎液からは、強い樹木の香りがする。ギュリはその梅木の香りの中で、黙々と布を染める作業を続けた。

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