1‐6.土と挽歌

 一頭の牛が死んで七日もたたないうちに、ギュリの父親は新しい牛を隣村から連れて来た。前の牛よりも体格の良い、健康そうな牛だった。


 ギュリとヨンウォルはこれまでと同じように、牛の世話をした。新しくやってきた方と元々いた方の、二頭の牛の世話だ。


「朝からげんきに、よく食べるね」

「そうだね。きのうは重いものをたくさん運ばせたから、疲れてなさそうでよかった」


 ギュリは二頭の牛の前に餌箱を置き、ヨンウォルは牛舎の掃除をする。家畜に餌を与えて働かせることの意味は、最初から変わってはいなかった。ヨンウォルは相変わらずよく言うことをきく使用人で、牛に対しても優しかった。


 しかしある朝、ヨンウォルは牛舎に来なかった。


 時間通りにヨンウォルが現れないことを不思議に思ったギュリは、使用人が住んでいる行廊の戸口を開けた。

 行廊は粗末というほどではないけれども、あちこちが古くなっていた。


「ヨンウォル、ねてるの?」


 中に入ると、薄い布団の上でヨンウォルは一人仰向けに横たわっていた。乾いたくちびるは半ば開いていて、目は閉じられていた。ギュリは直感で、もうヨンウォルが起きて話すことがないとわかった。


 その小さな身体からは、呼吸も鼓動も失われていた。なんでもないある日の朝に、ヨンウォルは人知れず死んだのだ。


 ギュリは書斎にいる父のもとへ行き、使用人の少年の死を報せた。


「父様、ヨンウォルが死んでる」

「そうか。冬はよく死ぬからなあ。特に子供は」


 父親は、病で牛が死んだときと同じくらいに素っ気なく答えた。



 以前、先代の領主であるギュリの祖父が死んだときには、柩は旗や扇で飾りたてられ、葬送人は挽歌を哀切に歌い、弔問客には酒や茹でた肉が振る舞われた。

 それはこの貧しい村の出来事にしては、豪勢な葬祭だった。


 だがギュリの祖父が華やかに見送られた一方で、ヨンウォルはただの身分の低い子供なので、死んでも土に埋められるだけだった。


 ――いくなれば、戻ることはかなわぬか。夜はふかく、よみじは遠い。


 ギュリはヨンウォルが埋められた村の外れにしゃがみこんで、半分くらいしか意味を理解していないうろ覚えの挽歌を口ずさんだ。

 しんと凍った空気に、ギュリのつぶやくような歌声ははかき消されていく。


 灑国の冬は雪は少ないが、風は凍えるように冷たくて寒い。そして収穫の多くを帝国に捧げることになるから、十分に満たされるまで食べることも難しい。特に身分の低い者は、飢え死ぬほどではないが、わずかな穀米しか得ることができない。


 だからヨンウォルが突然死んでしまっても、誰も不思議には思わなかった。

 ヨンウォルはギュリとは違って、粗末な扱いを受ける存在だった。寒くて食べ物が少なければ、子供が突然死んでもそれは当然の結果なのだ。


(おとなになって話せなくなるまえにもう、ヨンウォルは死んじゃったんだね)


 手向ける花咲いていなかったので、ギュリは真新しく掘り起こした跡がある土を手でつかみ、ぱらぱらと落とした。かすかに湿った土はひんやりとつめたく、細かく砕けて地面に落ちる。


 その手からこぼれる土を、ギュリはぼんやりと見ていた。


 ヨンウォルに自分が死んだら泣いてくれるかと尋ねられたときには、人が死ぬのはもっと特別なことなのだとギュリは思っていた。

 だが実際に訪れたヨンウォルの死は、ほつれた服の糸が切れてしまうのと同じくらいに、ささやかで小さな出来事だった。


 ギュリの目からは涙は流れないし、袖が濡れてしまうこともない。あまりにも唐突に死んでしまったものだから、失ってしまった実感もわかない。


(泣いてあげられなくて、ごめんね)


 ギュリは手の中の土を全部地面に落として、心の中でつぶやいた。


 ヨンウォルには親も親戚もいなかった。だから幼なじみとして泣けなかったことが、ギュリは余計に申し訳なかった。


 ――空をとぶ鳥よ、帰るときをつげよ。つきることなきは風の流れなり。


 しゃがんだまま軽すぎた一つの命のことを考えて、ギュリは挽歌の続きを歌う。


 ギュリはまだ物を知らない小さな子供だが、死んだ少年よりは多くの知識を得て、背も伸びるはずだった。


 その後、梅が白色に咲き始め、冬が去り春が訪れた頃には、ヨンウォルの代わりに雇われた使用人の男がギュリの家にやって来た。


 男はヨンウォルよりもずっと年上の青年で、牛の世話はほとんど彼が一人ですることになった。男はあまり好んで子供と接する人間ではなかったので、ギュリと言葉を交わすことは少なかった。

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