1‐4.ご馳走の欠片

 川辺での歓待が終わると、帝国の行政官の一行は領主であるギュリの父の屋敷に招かれた。


 ギュリの父の屋敷は領主が住む場所としてそれなりに大きい建物で、石とわらを土でかためた塀に囲まれている。

 表門のすぐ近くに使用人が住む区画が、奥には主人が住む区画があり、一番後ろには母屋があった。

 壁は木造の骨組みに白土を塗り込んだもので、屋根は黒色の瓦葺、床は厚手の油紙が敷いてあって、履物を脱いで過ごせるようになっている。


 行政官たちが通されたのは普段は父親が村の集会をするのに使っている客間で、彼らが到着するとすぐに膳に載ったたくさんの料理が運び込まれた。


 そして日が暮れるよりも早く、客人を歓迎する宴は始まった。


 宴は一族総出で執り行われ、ギュリも普段の服に着替えて細々とした台所の雑用を手伝った。


「おばさん。お酒を蔵から持ってきたよ。まだ足りないぶんは、ヨンウォルが他の家からもらってきてくれるって」


 両手で抱えていた酒甕を、ギュリは台所の土間に置く。帝国からやってきた客人の飲む酒の量は想定していたよりも多く、あらかじめ準備していた分では足りなかったのだ。


 亡き母の代わりに宴会の料理を仕切ってくれている叔母は、鉄釜で炊いている米飯の火加減を見ながら返事をした。


「助かったわ、ありがとう。その台に置いてあるのは、余った料理だから食べていって」


 叔母がそう言った場所を見てみると、台の上の皿には綺麗に焦げ目がついた緑豆の丸餅が載っていた。

 ちょうど空腹が気になりだしていたギュリは、宴のご馳走の一部を前にして喜んだ。


「あ、具がいつもより多いお餅だ」

「今日の夕ご飯はそれだけだから、ゆっくり食べなさい。あたしはちょっと客間に用があるから、食べながら火加減を見ておいてちょうだい」


 叔母は忙しそうに、手拭いで煤のついた頬をぬぐって立ち上がって台所を去った。


(このお餅が焼いてあると、特別な日ってかんじがするな)


 残されたギュリは、台の前に空の木箱を置いて座って丸餅を食べようとする。

 そこに、隣の家からもらってきた酒甕を背負ったヨンウォルがやってきた。


「あれ、ギュリしかいないんだ」


 ヨンウォルは酒甕を下ろして土間に置くと、ギュリの方を見た。


「そうだよ。ちょうどいいときに来たね」


 昼間に話せなかった分二人っきりになれたのが嬉しくて、ギュリは皿の上の緑豆の丸餅を手で半分に分けてヨンウォルに渡す。


「これ、半分あげる。今はちょうどおばさんもいないし、ここでいっしょにすわって食べようよ」


 ヨンウォルは一瞬迷った様子を見せたが、結局はギュリから半分の餅を受け取って隣に座った。


「ありがとう。宴のあまりの料理?」

「うん。おばさんがとっといてくれた」


 手でつかんだ丸餅にかぶりつきながら、ギュリは答えた。


 緑豆の丸餅はつぶして練った緑豆に白菜の塩漬けと大豆もやしを加えて丸く平らに焼いた料理で、酢醤油と砂糖を混ぜたたれをつけて甘辛くして食べるものだ。

 こんがりときつね色に焼けた表面は、胡麻油の香りがして食欲をそそる。中はふんわりとほの温かい緑豆の生地と歯応えのある塩気の効いた具が、ちょうどよく頬張った口の中でほどけて美味しかった。


 ギュリがむしゃむしゃと緑豆の丸餅を食べていると、ヨンウォルも一口食べて頷いた。


「ぼくにはもったいないくらいに、おいしいね。帝国のお客さまは、これを何枚も食べられるんだからうらやましいよ」


 丸餅は大きめに焼かれていたけれども、二人で分けたので無くなるのにそう時間はかからない。


(宴での食べ残しがあればまた食べれるけど、あの帝国の人たちはきっとぜんぶ食べちゃうんだろうな)


 一番好みの具合に焼けた部分を最後の一口にしてよく噛んで味わい、ギュリは生地の一欠片も残さないように手についたたれも舐めた。


 丸餅を食べ終わった二人は、水を飲んで一息をついた。外はもうそろそろ日が落ちる頃合いで、曇天の空は赤くはならずに暗かった。


 しばらくするとヨンウォルは、思い出したようにギュリに言った。


「そういえば、ギュリがお昼に着てた服、かわいくてとてもよく似合っていたよ」


 散切りの前髪越しに、ヨンウォルは控えめな笑顔でギュリを見た。ヨンウォルは使用人なので、大人になって結婚するまでは髪を結うことを許されていない。


「そう? 兄様も父様も、ほめてくれなかったからうれしい」


 ギュリは本当に誰にも着飾った姿を褒めてもらえた覚えがなかったので、ヨンウォルがちゃんと見てくれていたことを素直に喜ぶ。


 そうしてはにかんで微笑むギュリを、ヨンウォルは案外まつ毛の長い目でじっと見つめた。


 遠くからは、宴で披露されている謡曲の歌声と笑い声が聞こえていた。


 ヨンウォルはギュリを見つめたまま、しんみりとつぶやいた。


「おとなになったら多分、ぼくはこんなふうにギュリとおはなしできないんだろうね。ギュリは主家の人で、ぼくは使用人だから」


 そう言ったヨンウォルの日に焼けた顔は、訳もなくとても大人びて見えた。

 ヨンウォルは普段はギュリよりも体が小さくて子供っぽいのに、ときどきひどく成熟した表情をすることがあった。


(わたしがあの礼服がもう着れないくらいに大きくなったら、やっぱりそうなるのかな)


 寂しい気持ちにはほんの少しだけなって、ギュリはヨンウォルを見つめ返した。


 まだ子供である今は同年の話し相手として一緒にいることを許されているが、実際はギュリとヨンウォルの間には明確な身分の差が存在する。


 しかし帝国の人間と灑国の民の間にある隷属関係と違って、ギュリにはそれがまだぼんやりとしか見えてはいなかった。

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