1‐3.支配された土地

 二日後、帝国の行政官が来る日は予定通りにやって来た。


「ギュリ。お前、上衣の結び紐が曲がっているんじゃないのか」

「これであってるよ。ちゃんと習ったとおりに、着たんだから」


 屋敷の玄関から外に出ると、先に外に出ていた兄はギュリの姿を一目見るなり文句をつける。


 ギュリは自分の着方に自信があるわけではないが、兄に世話を焼かれるのが嫌で意地を張った。


 領主の子として帝国の人間を歓待するために、ギュリやギュリの兄弟は一応の正装で着飾っている。

 兄や弟が着ているのは若草色の生地を黒地に金の文字が入った布で縁取った長袍で、ギュリが着ているのは色とりどりの縞模様が綺麗な袖の上衣と緋色が鮮やかな仕立ての良い裳だ。


 ギュリと兄がにらみ合っていると、残りの弟たちと一緒にやって来た父が、二人に頼み込むように注意をした。


「今日はとても大切な日だ。二人とも喧嘩はやめてくれんか」


 量の少なくなった髪を結い、渋い藍色の衣を着た父の姿は、身分がある程度はあるはずなのにみすぼらしく見えた。客人への対応のために緊張している父親が気の毒な気がしたので、ギュリと兄は次の言葉を飲み込み父親に従った。


(お祭りでもないのにちゃんとした服を着るのって、なんだかへんな気分だな)


 ギュリは父親や兄弟とともに行政官がやって来る川辺の広場へと続くあぜ道を歩きながら、雲が低く垂れ込めた灰色の空を見上げた。祝い事のときに着るはずの服を着てはいても、帝国の人間を迎える今日はめでたい日ではない。


 ギュリの住む村は特産も特になく都からは距離があり、主要な街道も通っていないため華やかさとは無縁だった。眺めて見えるのは、遠くの雑木林と冬枯れした山、そしてぽつりぽつりと点在する農家だけである。


 やがて広場に近づいてきたところで、ギュリは徐々に増える人の中にヨンウォルの後ろ姿を見つけた。ヨンウォルはギュリたちよりも身分が低いので、白い民服を着て牛を綱でひいて歩いていた。


(あれ、牛もつれて行くんだ)


 牛もいることを不思議に思ったギュリは、ヨンウォルに駆け寄って話しかけたくなった。けれども着ている服が違うと、近づいてはいけない気がしたので我慢した。


 砂利が寒々しい川辺の広場につくと、そこにはあたりの住民のほとんどが集まって家族ごとに列を作って並んでいた。


 家長であろう男性たちを先頭に、村人たちは隙間を空けて等間隔で立つ。きちんと正確に整列できるように、ギュリの父が仕事の一部を任せている土地の若者がいろいろと指図をしているようだ。

 しかも列に含まれているのは人間だけではなく、各家庭で飼っている鶏や犬も籠に入れられて連れて来られてきていた。


 人口が少ない土地とはいえ、人も家畜も整列している様子は得体の知れない雰囲気に包まれていた。


「父様、なんでみんな並んでいるの?」


 ギュリは妙な居心地の悪さを感じながら、父に尋ねる。

 父は領主の一家としての持ち場に移動しながら、ギュリの質問に平易な言葉で答えた。


「帝国の方々はこの土地にどれだけの労働力と収穫があり、どんな奴婢を差し出せるのかを調べにやってきている。だから人間の数も家畜の数も数えやすいように、みんなで並ぶんだ」


 灑国に生まれた人間は、奴婢として帝国に献上される可能性がある。奴婢の男は帝国が戦う戦場に、奴婢の女は帝国人の屋敷に連れて行かれることが多い。

 そう父が付け足しの説明したところで、牛をひいたヨンウォルがギュリたちの列にやって来た。


「領主さま、牛たちはこちらでいいですか?」

「ああ。急に暴れ出したりしないように、気をつけて見てくれ」


 ギュリと二人のときには使わない敬語で話すヨンウォルに、父は主らしく指示をする。

 頷いたヨンウォルは、ギュリにちょっとだけ微笑みかけて、命じられた場所で牛と一緒に立った。


(あっちには、となり村からももってきたみつぎものもある)


 ギュリは兄と弟の間にきちんと並びながら、ヨンウォルがいる方とは反対を見る。そこには米俵や干し柿、染めた布など、この土地から献上することができるものは何でも集めて置いてあった。


(こんなにたくさんの物をささげなきゃいけないなんて、帝国の人たちは本当にえらいんだ)


 ギュリは川岸の冷えた風に凍えて待ちながら、帝国の強大さを実感した。


 こうして全ての住民が並び切ったころ、川沿いの土手の上の道から大きな馬に乗った騎兵の集団が現れた。馬上の人々は、この土地の住民が十人集まっても敵いそうにない屈強な男性たちだった。

 彼らは髪も目も黒く、顔の造り自体は灑国に生きる人々とそう変わらない。しかし彼らは眼光が非常に鋭く、あまりにも大柄で筋肉質なので、同じ人間には思えなかった。


 ギュリの父親は今までに見たことがないほどにへりくだった態度で、男性たちに話しかけた。


「ご来訪いただき、誠にありがとうございます。この場所に集まっているのが、この土地のすべてでございます」


 馬上の男性たちは厚手の長袍に毛皮の外套をまとい、さらに毛皮のついた帽子を被った暖かそうな姿で、川辺で凍えているギュリたちを見下ろす。


 そして男性たちの一人が、口を開いた。


「ごくろうだったな。どうやらここは、やせた動物ばかりの貧しい土地のようだが」


 まるで獣が唸っているかのように低くて恐ろしげな声だったが、それはギュリにも何とか意味が把握できる言語だった。

 行政官である男性たちが言った一言の乾いた冷たさに、ギュリは帝国と帝国に征服された土地の間にある関係のあり方に気づいた。


(そっか。帝国の人たちにとっては、わたしたちも牛とか鶏みたいな家畜とおなじなんだ。だからわたしたちは、こうして数えやすいように並べられている)


 これまで感じていた状況の不気味さの正体を、ギュリはそのときはっきりと理解する。だが気づいた現実を受け止めるための感情は、どれを選ぶべきなのかはわからなかった。


 周囲を見回すと、ギュリの父は行政官に向かって領民の戸籍台帳と貢物の目録を読み上げていて、他の人々は黙っていた。


 とりあえずまずは黙っているのが正解なのだと思って、ギュリは黙り続ける。


 土手の上を見上げると、男性たちとではなく、彼らを乗せている馬と目があった気がした。

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