第1章 東の国の少女

1‐1.人と家畜

 朝が美しい場所、というのがこの土地の名前の意味だと、ギュリは領主である父親から聞いたことがある。その呼び名の通り、ギュリの住む村の朝は晴れれば美しい。


 穏やかな起伏のある枯れた野原の上に広がる冬の空は高く、東の山の端から昇る太陽があたりをまぶしく金色に染める。


 ギュリはその光の中、むしろで囲われた牛舎の戸のかんぬきに手をかける。

 家畜として飼われている牛に餌をやるのが、貧乏な領主の娘であるギュリの朝の日課なのだ。


「きょうは天気がよいから、牛を外に出してもそこまで寒がらなさそうだね」


 ギュリは戸を開けながら、もう一人の牛の世話係に声をかけた。


「うん。風も昨日よりは冷たくはないし、だいじょうぶだと思う」


 後ろからついて来たヨンウォルが、白い息を吐きつつ返事をする。


 ヨンウォルはギュリの家に雇われ働いている幼なじみで、ギュリと同じ年に生まれた八歳の少年だ。村の中でも身分が低いヨンウォルは貧相な身なりのやせっぽっちで、着ている綿の入った上衣も薄くて粗い。


 一方で貧しくても父親が領主であるギュリは、見目麗しいわけではないが髪は綺麗な三つ編みに結って、清潔感のある丈夫な服を与えてもらっている。


「じゃあえさをやったら外に出して、そしたら床のそうじかな」

「わかった。ぼくは先に糞をかたづけてるよ」


 そう言ってギュリが振り返ると、ヨンウォルは物置に置いてあった鋤を手して頷いた。ヨンウォルは使用人なので、何も言わなくてもより嫌な仕事をやってくれる。


 二人で朝陽が仄明るく漏れ入る牛舎の中に入れば、二頭の赤毛の牛が柵に収まり鳴き声を時折上げていた。鼻をつく動物の臭いには、とっくの昔に慣れている。


 ギュリは荷台で運んできた干し草を米ぬかと混ぜて、その牛の前に置かれている餌箱に入れた。それほど恵まれた土地ではないが、二頭分くらいの餌なら用意はできる。


 黒々した目で飼料をとらえた牛は身を屈めて首を伸ばし、餌箱に頭を突っ込んで餌を食べ出した。


(あさっては帝国から行政官がくる日だから、きょうは牛にとなり村のみつぎものを運ばせるって父様が言ってたな。きのうもきょうも、牛には働いてもらわないと)


 牛の口の中に消えていく干し草を眺めながら、ギュリは今日の牛にさせる仕事について考えた。


 牛はギュリたち人間にとっては貴重な労働力であり、それ以上でもそれ以下でもない。だからギュリは牛を可愛いと思ったことはないし、愛着を持ったこともなかった。


 だがヨンウォルにとってはそうではないらしい。ヨンウォルは牛舎の掃除をする合間に、実に愛おしげに牛の背中を撫でていた。


「牛はぼくよりもずっと大きくて、人のやくにたつ」


 ヨンウォルは若くて小さい方の牛の赤茶の毛並みを、嬉しそうにやせた手のひらで触る。


 その牛がひ弱な仔牛だったころ、ヨンウォルがとても心をこめて面倒を見ていたことをギュリは知っている。

 だからギュリは牛を可愛いと思うふりをして微笑み、幼馴染に合わせた。


「ヨンウォルが一生懸命にそだてたから、きっと立派にそだったんだよ」


 ギュリが優しげな言葉を言ってみると、ヨンウォルは照れてはにかんだ。


「ギュリはいつも、ぼくをほめてくれる」


 木造の屋根の隙間から差し込む太陽の光が、ヨンウォルの淡く茶色がかった髪を照らす。

 ギュリはその朝陽よりも明るいヨンウォルの素直な笑顔が、牛よりも何よりも可愛くて好きだった。

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