第614話 寧々さん、鐘銘問題を解決する
天正10年(1582年)8月下旬 武蔵国江戸城 寧々
ここに来たときは、とっても暗かったお義殿だったが、気晴らしに一度、薙刀の稽古に誘ってからというもの……どういうわけだか、わたしに懐いてしまったようだ。
「寧々様!もう一度、もう一度、お願いします!!」
「いいわよ。かかってきなさい」
「たああああ!!!!」
今日は、木刀で剣術の稽古をしているが、薙刀も剣術も中々の腕前で、こうしてそれからほぼ毎日、お互い楽しく試合を繰り返している。しかも、このお義殿はお酒も強いようで、そちらの方でも付き合ってくれる……ホント、今では良き友だ。
「……だからといって、毎日こっそり酒蔵に忍び込んでは、お酒を勝手に持ち出さないでくださいよ。帳簿の管理が大変なのですよ」
「「ごめんなさい」」
それに、このように次郎君に叱られても、一緒に謝ってくれる。それゆえに、押し付けられたと思っていたけど、良い人を連れてきてくれたと……今ではお市様に感謝していた。
「寧々様、福居のお市様より書状が届きました」
「……ついに来ましたわね」
そして、弥七郎からその書状を受取り中身に目を通すと、お江ちゃんと四郎様の婚儀を承諾すると記されていた。
「お義さん、ちょっと表に行って来るから、瑚々の面倒を見てくれるかしら?」
「承知しました」
結城家が先だって降伏したため、この城に滞在していた四郎様は、その結城領10万石を含めた12万石の領主という形で、近々古河城に入られる予定だ。その前にこうして良き知らせが届いたことにホッと胸をなでおろして、まずは政元様の下へ報告に向かう。
ただ……そこには先客がいた。成田大蔵大輔だ。
「あの……待ちましょうか?」
「いや、構わぬ。大した話ではないからな。それで……どうした?」
「はい、実は……」
わたしはそこで、お市様からお江ちゃんの輿入れについて、承諾の返事が届いたと報告した。問題がなければ、荒尾三左衛門に伝えて話を進める事にしたいと添えて。
「それはめでたき事だ。俺としては異存がないから、その話は寧々に任せる」
「畏まりました。では早速そのように……」
そう思いながら、部屋を出ようとしたわたしであったが、不意に政元様の前に広げられている紙に、鐘のような絵が描かれていることに気がついた。
「何ですの?それは……」
「これはな、今度建て直す増上寺の鐘銘だ」
「鐘銘?」
そんなのは、何でもいいのではないのか?それなのに、何で二人してそんなに悩んでいるのかしら……。
「管領様……もうこれでよろしいではありませんか」
「そうか?だが、こういうのは始めが肝要ではないのか。中途半端な文にはできぬぞ……」
ふむふむ、なるほどねぇ。つまり、うちの人が妙に拘っているのか。だったら、こういうのはどうだろうか。
「寧々?おまえ……何をしているんだ?」
「いえ、鐘の銘なのでしょ?ならば……国の政治が安定して、君主から民に至るまで豊かで楽しい生活が送れるように、こういう銘では如何かと思いまして……」
懐から矢立と紙を取り出して、スラスラと紙に書いたのは、かつて前世で問題となった方広寺の鐘の銘文だ。あの時悔しかったから、一言一句残さず覚えていて、全文を書くことはそう難しくはない。
「これは……凄いなぁ……」
「いや、眉唾物の噂話だと思っていましたが、本当に才女だったのですね。ただの呑兵衛ではなくて……」
まあ、元は南禅寺の偉いお坊様が書かれたものだから、優れた文書であるのは当たり前であまり胸は張れないが、あの時の悔しさが晴らせるのであれば、盗作もやむ無しだ。……っていうか、ただの呑兵衛ってなによ、成田!
「まあまあ、そう怒るな。それでどうだろう、大蔵。これを採用してはどうかな?」
「某には依存ございません。早速、住職と相談することに致しまする」
こうして成田が下がって行き、鐘銘問題は片付いた。あとで採用されたと聞いたので、落成したら「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれた鐘を必ず見に行こう。ああ、その時が楽しみだ。
(第10章 江戸編・完 ⇒ 第11章 天下惣無事編へ続く)
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